03

『僕一年は組の善法寺伊作、よろしくね』


「……はぁ、よろしく」

寝ぼけてるのだろうか。一瞬頭をよぎった見知らぬ子供の姿のせいで横に立つ男子への返事が遅れてしまった。
善法寺伊作。人の名前を覚えるのは得意じゃないが、語呂がいいし、一度聞いたら忘れないだろうなと、そう思った。転校早々気にかけてくれて、優しい人だろうと、そう思った。
そんな先入観が仇となったのか、腕を掴まれた時に感じた恐ろしさは、逃げ出すには十分だった。


   ***

「…はぁ、はぁ……」

女子トイレに走ったのはなにも逃げるためじゃない。何か拭くためのものをと思って来たのに、戻ろうとは思えなかった。

「なにしてんだろ、私」

無意識とかじゃない。確かにあのとき、飲ませてはいけないと思って腕を掴んだ。コーラなんてよくある飲み物だ。自分だって飲んだことくらいある。なのに何故。

何故、飲んだら死ぬと思ったんだろう。


「あれ」

なんとか気持ちを沈めて自販機のところへ戻ったが、先程ぶちまけたはずの床はすっかりきれいになっていた。階を間違えたかなとも思ったけど僅かに立ち込める甘い匂いは先程散々嗅いだものだ。

「悪いことしちゃったなぁ……」

自分が当事者であることを全面的に棚にあげるが、制服にコーラをかけられた上に一人で片付けさせられるなんて不運にもほどがある。

「明日ちゃんと謝ろう」

くしゃくしゃにしたトイレットペーパーを近くのゴミ箱に放り投げる。予想はしていたがホールインワンとはならなかった。あろうことか風に煽られ向こうの角を曲がってきた男子の足元まで飛んでいってしまった。勘弁してくれ因縁つけられたらどうしよう。

「ごめんなさいこれ綺麗なやつなんで大丈夫ですすみません」

先手必勝謝罪の嵐。慌てて拾いに行くと思いの外大きい人でなおのこと怖くなる。

「……」
「……」

怒ってるのだろうか。頭上からは何も声がしない。かといって顔色を伺う勇気もない私は廊下を向いたまま小さく謝罪をして大慌てで逃げていった。

後ろから名前を呼ばれた気がした。
明日、どうやって善法寺に謝罪しよう。



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