渦巻く黒い何か
もし来るというのなら決勝戦だけ伝えようと思っていた。前に二人で帰った時に、珍しくたどたどしい口調で片親なのだと身の上を明かしたはバイトで忙しいと聞いていたから、試合の日程を伝えれば無理にでも休みを取ると知っていたからだ。しかしにとってそれは失敗だったらしく、「若利が出るならどんな予定より優先する」とまで言われる始末だ。そう言われては困るのに、嬉しくも思ってしまうから仕方がない。
「今後は、俺からお前に報告する」
「え、あぁ……よろしくなっ」
そう告げた時のが余りに屈託なく笑うから、これは牛島を気遣ってではなくて本当に本人の希望なのだとようやく理解した。しかし結局が会場に現れたのは決勝戦の日だけで、一番前の列に座ったは牛島と目が合うたびにひらひらと手を振っている。
クラスメイトの女子と話す暇があるのなら今日まで来られなかった理由でも弁解しろ。疑うわけではないが、どうにも腑に落ちずに降りてくるようジェスチャーを送ると、はクラスメイトとの会話を打ち切り小走りでコートのある下のフロアまで降りてきた。
「やっと見に来られた!」
バイトのシフトは一ヶ月前に出すためなかなか変わってもらえなかったという。他の日付のシフトを増やすことを条件に急遽変わってもらったのだとか。それを聞いてつい申し訳ない気持ちなるが、はもっと見たかったと悔やんでいた。
「若利にとっては楽勝な試合だろうとお前が活躍してれば俺には大事な試合だ」
「“楽勝”などという試合はない。どの試合も全力だ」
「へぇ……お前のそういうとこ好きだな」
「……」
ふにゃりと柔らかく笑う目は牛島だけを写してそんなことを平然と言うのだ。牛島はつい目が離せなくなって、この時間を引き延ばそうと口を開くが何も言葉が出てこなかった。
「あ、また鷲尾監督と目があった。長々と引き止めてすまん。皆エースを待ってる」
結局牛島が何も言えないままは牛島に戻るよう促す。
「また後で……は無理だから、また学校でな」
「あぁ」
の手が優しく牛島の背を押した。元々体温の高い牛島でもその熱を感じるくらいの手は暖かく、手が離れた瞬間を惜しんだくらいだ。
「……」
だから、随分と時間をかけて二階席に戻ったが女子生徒たちと及川に手を振っていたのを見たときに背中に受けた熱が一気に冷めてしまったような感覚には僅かに驚いた。
「若利君サーブやろ〜」
「ん、あぁ」
湧き上がる違和感だってボールに触れていれば自然と消えていく。
コートに入って、ボールに触れて、チームメイトの声を聞きながらコート内を走っていれば、あとはもうアラームの音が鳴るまでこの試合以外の何物も入っては来ない。
「……」
青葉城西との試合が終わってミーティングを終え、体育館を出る直前に見上げた応援席にはもうの姿はなかった。
「ならバイトがあるって言って試合終わったと同時に駅に走ってったよ」
「ん」
「いや、が『万が一牛島が探してるようだったら伝えといてくれ』って。違ったらごめんだけど」
「いや、合っている」
「ふーん。牛島とってそんなに仲良かったっけ?」
バスの乗車時間ぎりぎりまで探していたので帰ったと教えられたのは良かったのだが、よりにもよっての事を好いている女子から伝言を聞かされるとは思ってもいなかった。
「あぁ。少なくとも俺には大切な……友人だ」
「そーなんだ。両思いだねぇ」
「両思い……あぁ、そうだな」
第三者からその手の言葉を聞くのはなんとも新鮮で、僅かながらに牛島の顔が綻んだのだが、なんの気無しに発言した女子生徒はそれに気付かないまま友人からの電話を受けて手を振って別れた。
「若利君なんかいいことあった〜?」
「そりゃ一応優勝したんだからあいつだって多少は浮かれるだろ」
「えぇ〜?そうかなぁ」
天童と大平の声など当然聞こえていないのだけれど。
***
「若利、インハイ優勝おめでとう」
「あぁ」
「相変わらずのポーカーフェイスだなぁ。宮城優勝は当たり前だった?」
大会が終わった次の登校日にが牛島の教室に飛び込んできて、この時やっと、牛島の中にあった形容し難い不思議なもやが消えたような気がした。
バレー部より勝利を喜んでいるは他の高校が勝つ可能性があると思っていたのだろうか。そう言うと一度目を丸くしてからにたりと笑った。
「いや、この間及川に会ってさ、言われたんだ。『悪意がないからこそ腹立つ』って。今ちょっと分かるかも」
及川。
試合前に見た景色が一瞬で蘇った。今はバレーボールはないから気を紛らわすものもない。何を思っては楽しそうに笑っているのだろう?少なくとも自分の言葉にではない。そう思うとたまらなくなって、気づいたら目の前にある腕に縋っていた。
「ど、どうした?」
「……、いや」
驚かせてしまったことへの申し訳ない気持ちもあったが、それ以上にまた目があったことに安堵する気持ちのが大きかった。自分でもよく理解できない感情に整理が追いつかないうちに予鈴が鳴りが教室へ戻って行った。
試合が終わったというのに何故か落ち着かないのは恐らく試験が近いからだろう。クラスメイトもいつになく授業に真剣だからその空気に飲まれたのかもしれない。それにしたって今の態度は褒められたものではないが。
「……」
謝罪しようとメッセージアプリを開く。最後にやり取りをしたのはインターハイより前にから出かけようと送られてきた時だ。そこから遡ってもいつも話し始めるのはの方からだったから、今牛島は必要な事務連絡以外でのメッセージをどう送ればいいのかわからなかった。
なんとも落ち着きのない牛島の様子を不思議に思った山形から試験勉強を口実にすればいいとアドバイスをもらいメッセージを送ったのはその週の最終日で、冗談交じりで「彼女か」と聞いてきた山形に画面を見せるとなんとも残念そうな顔をされた。
「友人に送るメッセージならそんなに考え込むこともないだろ」
「そうだろうか」
「まぁ、お前っぽいけどな」
その後からいつにするかと言う問いにも散々悩んだ挙げ句来週の月曜日と業務連絡のような返信をしてしまったが、向こうからの牛島を気遣うメッセージに悲観的な思いもなくなった。
[それじゃ、土日の部活で怪我すんなよ]
体が資本だ。自己管理は徹底しているし怪我については誰よりも気を付けている。試合でもない通常の練習日だから何も起きるはずがない。
あるとしたら、外部からのイレギュラーくらいだ。
『コンクリート出身、日向翔陽です』
『あなたをブッ倒して全国へ行きます』
「若利、やっぱり勉強はまた後日にするか?」
「なに?」
教室に来たときはいつもどおり笑っていたのに、今は静かに道路の向こう側を見ている。先程まで笑ってクラスの女子生徒とも軽口を叩いていたし、むしろ向こうも勉強の約束を取り付けようとしていたのをよく思わなかったのは牛島の方だ。露骨に遮ってしまったのを快く思わなかったのか。
一歩だけの方に近づくと少しだけ下の方にある顔が寂しげに笑っているのが見えたがいつもみたいに目は合わない。
「いや、今やっても身に入らないだろうと思ってさ。俺はバレーの練習相手は務まらないけど、英語ならお前が苦手なとこまとめておけるから教えてくれればやっておくよ」
「……何か予定ができたか」
「なにもないよ。俺は」
何か含みのある言葉は拗ねたようにも聞こえたが、それを追及するのに適した言い方が見つからなかった。こういうとき覚ならきっと上手いこと言えるのだろうとピースサインを作る同級生の顔を浮かべたがすぐに目の前のに意識を戻す。
「なら問題ない。早く行こう」
「えぇ~走るのかよ~」
そう言いながら声をあげて笑うの姿は久し振りで、それを見て牛島もようやく安心感を覚えた。この時間がもっと欲しい。バレーの時間は減らしたくはないし、一日が30時間あればいいと本気で思った。
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