吐いた息が白く、もうそんな季節かと自覚する。
この季節は不用意に水に入るのを控えなければならない。“水が刺さるように痛い”というのがわからないは以前真冬の川を渡りそのまま足を腐らせかけたことがある。凍傷になっても気付かないというのだから無痛覚とはあまりに不便な長所を患ったものだ。

「ヒヒッ。どうだ?冷たいか?」

返事は返ってこない。

「死んだのかァ?」

そういえばもう空気も上がってきていない。途端に興味をなくしたらしく、わずかに視線を投げてあとはもう見向きもせず立ち上がった。もう玩具はいなくなってしまったからと不服そうな顔のまま“ぬるま湯”と称するあの学園へ歩を進める。
それからしばらくして痛いほどに冷たい川から浮いてきたのは哀れな追っ手。時間稼ぎを任されたはわざと砦の中を間者として嗅ぎ回り爪痕を残した。身の虫の術がかけられているとわかれば無闇に攻撃に移れない。そこを突くための潜入も、こうして疑われ後をつけられるのだから意味がない。結局は本人が得意とする蹂躙という形で蹴りをつけるしかなかった。この死体も浮いてこないよう石をくくるべきなのだが、つくづく爪が甘い。自分が殺されることはないという余裕がこの男を駄目にするのだ。


   ***

「あは、出迎えてくれるなんて嬉しいねぇ」
「……留三郎や伊作、文次郎は今出払っている。何か用があれば私に言え」
「留三郎ォ?」
「……食満だ」

一度も目は合わない。以前共に諜報任務を行った時もそうだ、興味ない事には良くも悪くも無関心で無害。だからこそ中在家長次はそれほどこの男を危険視してはいなかった──尤も自分に関心が向けられていたのなら話は別だろうが──から自らこの男の監視についたのだ。この間の抗争もこれを見越して目立たぬ位置からの援護に徹していた。

「ふぅん」

肩がぶつからなかったのは長次が避けたから。小松田の懇願も聞こえない振りで我が物顔で学園を闊歩する姿に頭痛を覚える。

「あァ?与四郎がいねぇな」
「いえ、入門表にはお名前がありますよ」

ずいと差し出された入門表には確かに錫高野与四郎の文字がある。根負けして血判を叩きつけてやるとまたしても小松田は悲鳴をあげた。学習しない男である。

「まぁいいか。どうせ向こうから来るだろうしなァ」

わざとらしく声を出して大きく伸びをする。見つけろと言わんばかりの行為が長次からすれば強がる迷子にしか見えないが、こんなこと、誰であろうと言えないだろう。
そんな迷子に声をかけたのは残念ながら保護者ではなくよりにもよって、立花仙蔵だった。
彼の後ろに作法委員の後輩たちがいるのは不幸中の幸いだろう。ここで火薬を使うようなことがあってはさすがに中在家一人では場を収めきれない。

「安心しろよォ、これから大切な任務があるんだから噛みついたりしねぇって」

この間の事などまるでなかったように他所の学園でくつろぐ男が心から気にくわないらしい。指を首実検人形にめり込ませるながらも何とか殺気を放たずに耐えている。


「あなたが、先輩ですか?」

居たたまれないその空間で、異物の男に声をかけたのは思いがけない人物だった。

「ア?誰だお前」
「三年は組、浦風藤内です。さんのことは作兵衛から聞きました」
「カスベェ?」
「作兵衛です。赤い髪をして、食満先輩と同じ用具委員の……」

そこまで言ったところで思い出したらしい男が「あいつか」と笠に手を当てる。作兵衛の修理した笠はあれから解れる事もなく粗悪者の頭上を陣取っている。すぐに物を壊す彼にとってこれはかなり珍しいと言える。

「笠を直したら、そのお礼に願いを叶えてくれたと聞きました」

そいつに近付くなと喉まで出ているのに、あと一つ声にならないのは、の雰囲気が今までとは異なることに気付いたからだろう。後ろ手に炮烙火矢を構えながらも二人の様子を見守っている。

「だったらなんだよ」
「僕にできることならなんでもしますので、ひとつお願いしたいことがあるんです」
「ほォ?この“先輩”に言ってみな」

ニタリ、と口角をあげてその淀んだ目は若葉色の制服を来た子供を見下している。

「今度の任務、風魔に協力してもらうほど危険なものなんですよね」
「……」
「どうか、先輩たちを死なせないでください」

くは、と息がこぼれたかと思うとこの場に似つかわしくない笑い声が響き渡り少年は当惑した。

「“死なせないでくれ”だァ?なかなか愉快な後輩君だっ 」

勿論誉めていった様子はなく、むしろ軽蔑の意味をこめてこう続けた「忍者ごっこは楽しいか?」と。言わんとした意味を理解して藤内は羞恥で顔を赤らめ俯いたまま黙してしまった。


「だが安心しろ?今回はその“死なせないでくれ”って依頼のもと来てやってんだ。忍者ごっこしてんのはお前だけじゃねーぜ?」

が手を伸ばすのを見て咄嗟に構えた仙蔵の様子を楽しんでいるように傷だらけの手は藤内の頭をなで、口角はあげたまま仙蔵を見やった。

「だからこの任務では墓はいらないぜ?墓守の少年」
「僕の鋤は墓を掘るためのものではないので」

後輩たちを苔にされた仙蔵がに噛みつこうとした寸でのところで作法委員会顧問の斜堂が止めに入り事なきを得る。
相手への信頼以前に味方とも思わぬお互いが任務を無事成せるのだろうか。ただでさえ青い顔を更に曇らせる教員のことなど、当の本人らは考えもしないのである。

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