男は、深紅の盃を傾ける。
口から僅かに溢れる液体は、向かいに座る級友らの、上がる口角をぼんやりと写し出していた。
***
庵は、その姿を厳かにし、何者も近付けまいと気を放っている。その中に集められた黒い忍装束を纏う教師陣は皆眉を潜め唸りをあげ、足掻きのとれない様子で床に広げられた地図を睨む。
「どうしたって応援が必要です」
「五六年生の合同で甲の地を任せるのは如何でしょう?」
「合同となれば彼らだけでも何とかなるだろうが犠牲を伴うのは明白」
「それに、学園の守りが手薄になってしまいます…」
会議は進展を見せないまま夜の帳は完全に下りてただ焦りと不安を募らせた。
これ以上は案も出ないだろうと見切りをつけた山田伝蔵は腹を括り学園長へと進言する。
「…六年生と、彼らの盾として、東のを頼りましょう」
学園長は片眉をあげ、一部の教師は不服さを飲み込むように顔を下げた。その理由の分からぬ教師の一人である土井は山田への説明を求める。
しかし望んだ返事はなく、会えば分かるといいたげに諸刃の剣だ、と言葉を濁した。
***
「あっはー!何で俺らがわざわざ出向いてやらなきゃいけないんだか!」
そうは言われても小松田にはなんて返せばいいのかさっぱりだ。とにかく入門表にサインをくださいと繰り返しその声は呆れ顔の土井半助を召喚した。
「どうしたんだい小松田くん───」
入門表を抱え口を尖らせる小松田の前にいる人物、二人は面識がある。風魔学校の山野金太先生と錫高野与四郎。ではその横で入門表に血判を押している男は?
ふと“諸刃の剣”という言葉を思い出した。
「その男が、ですか?」
突然の血判に驚く小松田のリアクションを楽しむだったが、土井の声に反応し紅く光る目をぐるりと向けた。
嗚呼成程、この男か───
ふいに、一筋の冷や汗が背筋を伝う。忍として論理的に物事を考えないといけないのは分かっているが、それでも本能がこいつから離れるべきだと警鐘を鳴らす。
「(確かは組の皆は山田先生の授業で裏山に行っていたはず…)山野先生、学園長の庵へご案内します」
平静を装ったその顔は社交的な笑みを浮かべ、責任者である山野に声をかける。勿論そんな土井の思考など、プロ忍である山野にはお見通しな訳だが、特に口することもないと、素直に返事を返した。
***
「さて……」
学園長からおもてなしとして出された不味いお茶をなんとか飲み干した錫高野と然り気無く茶を断った山野は、改めて集められた忍術学園の教師たちに向き直る。
「頂いた文には、紛争解決のためを貸してほしいとありましたが、相違ありませんな?」
「えぇ」
「今はうちで抱えている問題も大した事はありませんし、あの男も適度に発散させないと何をするかわかりませんから、ぜひお貸ししましょう」
喜びなのか緊張からか、教師陣にそっと息を吐くものも何人かいる。土井もその一人だった。
「ですが、一つ要件を追加したい」
「なんでしょう」
「この、錫高野も参加させていただく」
「与四郎君をですか?でもそしたら……」
風魔の守りは一気に手薄になってしまうのでは、そう案じての発言だったが、山野は強い視線で土井の言葉に重ねた。
「奴は風魔学校の付属校の生徒であり我々の管理下にあります。幸い、与四郎に対する敵意は見受けられない」
「申し出は大変ありがたいのですが、錫高野君はそれで───」
「あの男が暴走したとき、あれを止められる奴がいますか?」
諌めるような、強い口調。今まで黙って話を聞いていた錫高野のその言葉は、高圧的であり、説得力のある言葉だった。
「口を慎め。……失礼、しかしこれは“向こうの”学園長の指示なのです」
「“向こうの”指示なら、従うまでじゃ」
今まで瞼を閉じ沈黙を貫いていた学園長が今の言葉に反応を示す。“向こうの学園長”がどういう人物かは誰も知らないが、我が学園の長がそういうのなら従うのみ。
「分かりました。…ところで、そのは今何処に?」
「散歩に出しております。今は落ち着いてますので面倒は起こしませんでしょう」
豪快に笑う山野金田とは対照的に、土井はひきつる口元を抑えられないでいた。
この時間の裏山は昼間の明るさを逃れたように暗く、そして静かだ。以前屠ったあの山賊らの死体は土に食い尽くされただろうか。西に来ると常に感じる苛立ちもこの山の中だけは鳴りを潜めるのは、足柄山と雰囲気が似ているからだろうか。
「……最近、先生方が何やら慌てているのは分かっていた」
枯れ葉は地面を駆けてその場から離れていった。そんな様子を面白げに眺める男に仙蔵の殺気にも似た圧は届かない。
「何か大きな問題を抱えておられるのだろう。私達もお力になれるよう入念に準備を進めていた」
それなのに。
もはや声と言うよりも唸るような仙蔵の声を合図に、気配は一つから六つへと急増した。
「……あっは」
嘲笑うようなその声が、引き金になった。
縄縹が降る。体を反転させその矛先を深く地面に突き刺してすぐに背後へ飛ぶ。完全には避けきれなかったらしく、頬からは僅かに血が流れた。
「何故お前が呼ばれたんだ…ッ!」
綺麗に研かれた袋槍の先端には赤く美しい血がよく映える。そんな事ばかり考えているが問い掛けに答える筈もなく、更なる怒りを買うだけだ。
「ふんッ」
血に見とれるの背後を襲うのは一度敗北を味わった留三郎だ。
「危ねぇ~」
挟み込むように前方から苦無を握る小平太が飛びかかり、避けたその先を予測していたように足の甲を目掛けた縄縹が襲いかかる。
「…っ」
咄嗟に膝を曲げ横に転がる。一度体勢を立て直そうかと後退したその視界の先に、一瞬だけだが、縄を握る仙蔵と伊作が見えた。あぁしまったと笑いが込み上げる。
「はぁ~~~成程なぁ。“入念な準備”って俺のためだったわけ?」
この期に及んで嫌味を吐くその姿に嫌気が差す。見事罠にかかり宙釣りにされた姿のまま、男はケタケタと笑っている。
「でェ?俺にどうして欲しいの?」
どこまでも楽しんでいるようだった。足を縛る縄は忍封じになっていて縄脱けはできない筈だ。その上これほどの人数差。なのに何故こいつはこうも余裕の笑みを浮かべている?
「貴様、以前のあの薬はどうした?」
「んん?いいように使わせてもらってるぜ」
聞いた所で望んだ答えが返ってくるとは思っていなかったが、分かっていてもの反応は仙蔵を苛立たせるのに容易かった。
「え?何だよそんなしょうもないこと聞くために取っ捕まえたのか?」
「……」
「このまま袋叩きにして川に流そうとか、いっそ埋めてしまおうとか」
「目玉くりぬいて忍として使い物にならなくしてやろうとか人質や盾としていいように使おうとか、なにか考えがあってこうしたんじゃねぇの?」
皆の気迫が息苦しい。小平太の頭のなかには以前見つけてしまった羽の“刺さった”鳥が浮かんでいた。きっと目の前の男はあの鳥になることはない。いつだって刺す側にいるだろう。
「んな物騒な思惑はないが、そうだな……今回学園長からどのような命が下されるか分からんが、勝手なことはしないと約束してくれ」
なんとか口を開いたのは、留三郎だった。奴から目を離さず、奴も留三郎の瞳を覗きこんでいる。
留三郎の言葉に同調する周囲に対してふわりと口角をあげそのまま───
「嫌だ」
「……ッ!」
ブチブチと音を立てたのは縄だけではないだろう。
「ッ!」
「まさか、忍封じの結びだぞ!?」
案の定、奴の足元に目をやれば自由になった足から足袋を濡らし草を赤く染めている。
「あれだけガッチリ結んであったんだ。縄を切るのに肉も切れるのは当然だろ」
驚く意味が分からないと言いたげに、瞳孔を開いた文次郎の顔面に突きを入れる。
「文次郎!」
「くっそ……ッ」
視界が白くなり、山肌に足をつけるのがやっとである文次郎に、の追撃は容赦ない。
「あっは!」
数度殴り付け、いざ崖から突き落とそうとしたときようやく追い付いたのは留三郎だった。
「やめろ…ッ!」
「止めるなよ、まぁお仲間は大事だもんな?」
ニィと笑ったその顔は、楽しそうな口と、僅かばかりの恐怖をはらんだ目でできていた。
尻尾も見せない│>>
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