「……っ」
留三郎が苛立ちを見せるのは何も自分が軟禁されているからではない。
向こうは怪しい鴨が葱を背負ってやって来たと思い、逃がしはしないが信用もしないと言った具合で牢の一室に入れられている。見張りの数は入り口の前に二人、巡回に一人。ここまで目隠しをされ歩いてきたので部屋の見取りは分からないが、ここに来るまでの歩数は数えていたのでその気になれば逃げられるだろうと至って冷静だった。そこまでは。
「何であいつが捕まるんだ…ッ」
部屋の前を通った小隊のその真ん中。
顔に痛ましい痣を作った男が気味の悪い爽やかな笑顔を浮かべ、ピースサインをしたまま通りすぎて行ったのだ。
部屋を見張る男はあいつを拷問部屋に連れていくと言っていた。いくらあの男でも無事では済まないのではないか。もし情報を吐かれては他の仲間を危険にさらすことになる。色々な危惧が頭を過り少しずつ留三郎の冷静さを蝕んでいく。仙蔵が現れたのは丁度その時だった。
「退くぞ、我々の潜入がバレていた」
「おい馬鹿っ!」
慌てて言葉を遮るも間に合わず、仙蔵の言葉に見張りが反応し武器を構える。
「はぁ?“我々”だと?」
「なんだ留三郎、私はてっきりバレて捕まっているのかと思ったぞ。まさかお前に単独犯だと欺く技量があったとは」
笑いを含んだ声は静かに苦無を打ち次々と見張りを沈めていく。そのうちの一人が持っていた鍵で牢を開けたが留三郎は礼より先に慌てた声でが捕まった事を告げた。
「かなり怪我が多かったが……」
敵の攻撃を避けながら状況を説明するうちに、仙蔵の余裕綽々な顔は消え苦い表情を見せた。
「あぁ、敵の誘いに乗ってみれば案の定待ち伏せされていてな。立て直すべくあいつが一人残ったんだ」
苦虫を噛み潰したような顔をした仙蔵に促されるまま留三郎は一人男を探しに出た。ふくらはぎから出血する仙蔵は部屋に残り騒ぎを聞きつけた敵を片付ける任を負った。
***
血塗れになった木刀を握る者はいなくなった。
先程までは下品な笑い声と木刀や鞭が肉を打つ音が響いていたのに、今見えるものと言えば苦無に体中を貫かれた男や首が胴と離れてしまったものといった死体の山ばかり。
その山の中央、全身に血を纏った男が最後の一人の襟を掴み感情の失せた目を向けていた。
「『許してください』って死ぬほど嫌いな言葉なんだよなァ。許しを乞う前に許されるよう努力しろってんだよ」
「じゃ、じゃあどうすれば…!」
「そうだなぁ……まずはその目で俺を見るな」
がどこに連れていかれたのかは、不規則に床へ零れ落ちた血を見ればすぐに分かった。地下へと続く階段をかけ降り慎重に閂を外した先に広がる部屋には、充満した血と、その他目を背けたくなるあれこれが床や壁にべったりとへばりついていた。
「……遅かったなァ」
頭上から降る声───声と表現するよりも獣のうめきといった方が幾分か伝わるだろうか───聞いた途端脊髄が痺れ手足に熱がこもるのを感じた。恐怖を悟られぬよう顔をあげると頬に生ぬるいものが垂れ落ちる。見なくともわかる。この臭いは血液以外の何物でもない。
「……自力で抜け出したのか」
わずかばかり声が震えていただろうか。男は空気を吐くように笑いずしゃりと落ちてきた。
「当たり前だろ。他に何がある」
声はやすりにかけられたように掠れていて、顔はいつも以上に血の気がなく青白い。痛みを感じずとも相当疲労しているのが見てとれた。部屋の出口へ向かう足取りは重く、いつもの軽口はない。足跡を残すようにひたひたと滴る血の量を見ても到底動けるはずがないのに。
「なぁ、おい、大丈夫か?」
「あっは……それどういう意味だ。俺は別に普段通りさ」
どこも痛くない、強いていうなら目が回る。
いうと同時に地面は重力の向きを変えた。足は前に出たきり地面にはつかず宙に向かう。
危ないと漏らす留三郎の声が何重にも反響し、ついに目は閉じていないのに視界は黒で覆われた。
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