終業式を迎えた生徒が浮足立つのは雄英も他の高校と変わらない。生徒達が普段よりいくらか軽い足取りで校門を出ていくのを見送っているのは、腕の骨折が完治するまでの間校内の掃除を命じられているからだ。帽子を深く被り聞こえるかどうかの声で挨拶をしてやり過ごしている。
意識しければ気にもしないが、一度意識してしまえばその存在はどうにも異質である。現に心操人使はクラスメイトに先帰るよう促し、気怠げにゴミを拾うの前に立った。
「見つけた」
「お前は、あぁ……体育祭の時の」
「ここで何してるんですか」
「わりかし俺のセリフでもあるよそれ。真っ直ぐ帰らず何してんの」
「いや、あんな絡み方されたらそりゃ残された方は気になりますよ」
「あんときは嬉しくなっちゃってたからなぁ」
箒の柄の先に乗せた両手の上に顎を乗せてわずかに笑う顔は体育祭のときに見たものと同じ顔だ。前回はこうやって逃げられたんだと気を引き締めなおし逃げられる前に口を開いた。
「あんた、ここの教師なんですか?」
「臨時の雇われだよ。この春から一時的にいるだけ」
「へぇ。ところで、体育祭のあの時、俺に"個性"を使いましたよね」
「あー…軽率だったなぁ」
「あんたの個性って俺の上位互換なんでしょ」
「上位とか下位とかって考え方はやめな。使い方次第だろ」
「でもあの時、ノーモーションで俺に"個性"かけてたし、使い勝手がよさそうだ」
「いんや。確かにアクションを仕掛けた。そしていい子な君はそれに引っ掛かったんだ」
は変わらずの笑みを浮かべているが、それが愛想笑い以下のただ貼り付けた笑みにしか見て取れなくて、明らかに線を引く態度につい踏み込んだ質問をした。
「俺に"個性"の使い方を教えてくれませんか?似た"個性"を持つ貴方なら学ぶものが多そうだ」
「んっふふ、それは愚行だなァ。お前の将来のためにもオススメしないぜ」
目元を緩めた笑みはどうやら先程までとは違う感情が伴った顔をしている。言葉に合わない巫山戯た笑みには少しだけ困惑の色が滲んでいた。
「冗談ですよ。試すような事を言って申し訳ないですが、もう別に師がいますので」
「お、そいつは何より。ちなみに誰に教わろうって?」
「相澤先生です。1年A組、の………」
そこで言葉が喉につかえたのは先程までどこか愉快げだったの顔から表情が抜け落ちたからだ。
「……っあ、の」
「相澤先生ね!そりゃ超いいチョイス!あの人なら合理的かつ的確で、そんで、そんできちんとした“正しい”を教えてくれるよ」
見間違えかもしれない。そう思うほどは先程と同じく笑っていた。むしろ上機嫌ともとれるくらいの声色で心操を鼓舞した。
「頑張れよ。君なら"個性"の不利を覆せるさ」
そう言うと箒の柄から離した手をひらひらと振りながら「気を付けて帰りなさい。」と言われ、心操の足はゆっくりと動き出す。"個性"を使われたのだと理解しながらも体は帰路へ着こうと向きを変える。確かに意識はあるのに。
「あんた、名前はっ」
「んー?『掃除のおじさん』だよ」
それ以上は聞き出せそうもなく、悔しい思いのまま帰路へつく。
「"個性"の不利って、どういう意味で言ってんだ…」
前回抱いた疑問を解消するどころかむしろ謎が増すばかりだ。
***
夏休みに入ると学校へ通う義務を免除されるのは学生だけで、教師たちは今後の学習マニュアルの組み換えや確認を行ったり、学校行事の下準備のため出勤や出張など仕事は無くならない。唯一の例外は臨時的に雇われているのみで、彼はむしろ部外者のためそういった踏み込んだ会議の場に参加することは許されていない。教員たちとの交流に乏しく所在の把握がされていない期間のある彼は内通者の可能性が最も高いからだ。
しかしこのときばかりはが学校にいた事が功を奏した。
〈もしもし、イレイザーヘッドだよな。今警察から連絡があって緑谷が───〉
留守電を聞くイレイザーヘッドの顔がどんどん険しくなるのを見て横に立つブラドキングもただことではないと察する。二人は今、合宿先の安全管理に向かっているためすぐに駆けつけることは難しいのだ。ブラドキングに事情を説明しながら学校に折返し電話をかけるが誰も出ない。公用携帯の電話帳には当然臨時教員であるの名前はなかった。
「───ふぅ……」
大きく息を吐いて、耳に当てたのは相澤の私用携帯だ。受話器の向こうの声は明らかに困惑していた。
〈……、あー……ですが〉
「俺だ。お前、今どこだ」
〈今運転中だから電話は止めてほしいなぁ。警察署に向かってる。警察への対応は俺達大人がすべきだろ。オールマイトにも連絡してるからこっちは問題ない。切るぞ〉
「……悪いが、頼んだ」
「……」
は何も言わずに電話を切った。学生時代に登録されて以降ずっと消さないでいた連絡先がまだ有効だった事は幸いだ。生徒たちの安否について不安が消えた訳ではないが、と話をして少し安堵している部分はあった。
「がオールマイトにも連絡をして、今は警察署に向かっているらしい。怪我人は出ていないから二人で大丈夫だと」
「が警察署に行くのは、あまり感心しないな」
「……あいつが自分で選んだんだ。問題は起こさないはず」
「あ〜〜〜忙しいなクソ!」
相澤達の抱く不安など知らないは手に取った煙草をそのまま鞄に戻した車内で声をもらす。ずっとしまってあったスーツは若干タンス臭がするが急なことなので仕方がない。ワックスで再度髪を整えて、額の右側に貼ったガーゼに触れる。普段は前髪とテープで隠している火傷の痕がうまく隠せているといい。
そんなことを考えている間に目的地につく。歩道には先程電話をしておいた緑谷の母親がいた。
「お待たせしてすみません。先程お電話したです。これ、職員証」
「はぁ…、あの、わざわざ迎えに来ていただいてありがとうございます……」
「いえ、お礼を言う事ではないですよ。どういう形であれご子息が警察署にいるなんて言われたら動揺するでしょう。むしろこんな目に合わせた学校側が謝るべきだ」
「……」
しばらく車内は無言のままで、のスマホから繋がれたサブスクリプションの音楽が気まずさを隠すように小さな音量で流れるだけだった。
「こんなこと言うのはなんですが」
運転席にいるがポツリと、しかし聞こえるような声量で話しかける。
「イズク君の行動は最適解だったと思っています。自分が一番危険な立場にありながら、逃げたり犯人を刺激することもなかった。あれだけ冷静な判断はプロでもできない奴がいます。すぐには難しいしかもしれませんが、どうか思い出した時に褒めてあげてください」
「……プロヒーローの方にそう言って頂けるなんて光栄です」
「えっ、いや、俺は──」
「一人の親として、あの報道にはかなり関心が高かったんです」
「────あぁ………さっきの職員証か。実名報道されましたもんねェ……」
男の顔にずっと浮かんでいた毅然さが剥がれた。ミラー越しにも動揺と困惑の色が伺えたが、緑谷引子は話すのを止めなかった。
「子供がいる親としては、貴方のしたことはひどいと思うけれど、でもあの時ああしなかったら、あのビルで働く私の友人とは二度と会えなかったかもしれない。だから、もしいつか機会があったら、お礼を言いたいと思っていました」
「………」
「何を今更って感じですよね」
「いいえ……いいえ、全然。きっと“彼”も救われました」
ウィンカーの音にすら負けそうな聞き取りづらい小さな声がしたタイミングで、車は警察署に到着する。駐車場に車を止めると署の入り口に立っていた警察官である玉川が走り寄ってきた。
「こちら緑谷出久君のご母堂です。よろしくお願いします」
「はい。こちらへ」
言われるがまま息子の元へかけていく母親の背中を見送るがどんな思いでいるのかは無人の駐車場では誰もわかるはずもなく、男は一人額に貼られたガーゼを剥がした。
「緑谷母、気付いたついでに俺のこと学校に言ってくんねーかなァ」
あんな男を学校に置くなんて信用できません!そう叫ぶ親の姿は簡単に想像がつく。親からのクレームが入ればさすがの雄英も傍に置いておくことはできないだろう。人目に付く前にと車に乗り込んで一人警察署をでた。もしそうなれば念願のおさらばだと、鼻歌を交じりに先程手に取るだけで戻した煙草を今度こそ口に咥えて。
「……出久」
「なに、お母さん」
「出久の取った行動は、すごく偉かったって言ってる人がいたよ。冷静な行動はなかなかできることじゃないって」
「そっ、そうかな……あの時は必死だったから」
「………学校に、嫌な先生はいない?」
「へ?うーん……僕は、いないかな」
何故そんな質問を?と意図を聞いても引子は静かに首を横に振るばかりで決して答えはしなかった。
「そうよね。みんな、ヒーローだもの」
遠い昔の実名報道
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