「…………、」

目が覚めた時の吐き気はいまだに慣れない。二日間寝たくらいで治るとは思っていないが、昨日見た夢のせいで更に体調が悪くなった気がする。

(あそこにいた自分が夢で良かった)

ズキズキと痛む頭を抑えてなんとか支度を始める。昨日一日休みを取らされ、今日からしばらくは生徒のいる教室へ行くことは禁止されているため、とても、それはもうとても気が進まないが職員室に行かねばならない。骨折のせいで右腕は融通がきかないから支度にも時間がかかる。ここ数日で一番憂鬱な朝を迎えていた。

「………行くか」

二本目を吸い終えたのをきっかけにようやく重い腰をあげる。私物化した倉庫の中からワイシャツを取り出すときに、何かが引っ掛かりそのままカタリと軽い音を立てて床に落ちる。

「……」

一瞥を投げた先の仮面は全体的に煤けていて、熱に耐えきれなかったのか端のほうが歪んでしまっている。もう使えるものでもないそれを捨てられずに持っているのは、にとって自戒で、誓いで、弔いだ。堕ちた経緯を忘れるな、と。

「ほんとに、憂鬱な朝だなァ」

なんだか笑えてきた。



   ***

「おはようございまーす」
「グッモーニン、早いな!」
「当直お疲れひざし。あ、プレゼントマイク」
「職員室ないなら生徒の目もないしムリに変えなくてもいいんだぜ!」
「そっか。そういう意味ではいい部屋だな」

まだ人の少ない職員室にも関わらず二人はどこか小声だ。二人とも声が大きいとよく注意されていた名残から、これから来るであろう教師から隠れるようにコソコソと話し盛り上がる姿は学生時代となんら変わらない。は何も変わっていない。山田はが入れた珈琲を冷ますのと同時にふっと息を吐いた。

「相変わらずお前の淹れるコーヒーはうまいなァ」
「どうも。そういえば、今度の期末テストは今までとやり方代えるんだって?」
「よく知ってたなぁ」
「そりゃあんだけ騒いでりゃ嫌でも耳につく」

共用スペースに置かれたシュガーポットを持ち出して机に置いても今は人がいないため注意されることもない。注いだ珈琲に一つずつ、ゆっくりと落としていく。

「昨今の情勢を鑑みてもっと実践的な試験にすると」
「実践的な試験ね。それで対人訓練かァ。今の若いのは大変だね」

ヒーローは人気職。目立ってなんぼ。やはり派手でないと認知度はあがらない。目立つにはより強いヴィランを倒すのが一番だ。災害救助でもない、自然災害の防止でもない。法を犯した悪を制裁してこそのヒーローだと、誰が言うでもないが世間がそうだと表している。ヒーローはヴィランがいないと成立しない職だったか。

「ヘイ、
「………おう」
「目死んでるぜ」
「おーう」

気付いたら珈琲に砂糖を何杯もいれていたらしい。溶け切らなかった砂糖の舌触りを感じながら珈琲を流し込む。次第に教員も集まりつつあり朝の挨拶が交わされる中、の居心地の悪さも徐々に高まっていた。

「おはよう」
「おっすイレイザー!」
「……」

ジャリ、ジャリ。口の中の砂糖を噛み砕く。過剰なまでに主張する甘味が感情を鈍くさせているのか、不思議と何も感じない。それでも、一昨日晒した醜態は誰にも言わずそのまま忘れてくれと願うばかりだ。

「……」

相澤も何も言わない。机の上の書類やファイルを取りまとめ席に付き、謹慎中のため朝会には参加できないからと一時離席しないといけないは入れ違いで職員室を出た。


『お前の態度と、あとイレイザーヘッドもそうだ。ガキみてぇなあけすけなやっすい態度で隠してるつもりかよ』


言い得て妙だと、思っていた。執着心と言われた事だって心当たりがないわけではない。お互いの態度が周囲にも気付かれているのならそれは子供じみていると言われてもなんの反論もできなかった。一日以上寝たおかげでいくらか脳内の"毒素"が抜けたらしい。あの時は微塵もわかなかった思考が今は働いた。

(確かに大人げねぇよなァ)

最初の数日間くらいはうまくやれていたはずだ。しかし、やはり、立場は変われどこの学舎で顔を合わせていれば、"個性"を使っていればどうしても取り繕えない部分が出てしまう。

「仮面をつけるのは得意だろう。昔から」

誰もいない廊下では、の自虐を含んだ独り言を聞かれることはなかった。


   ***

「これ、解は合ってるけど途中式の段階では絶対間違えるはずなんだけど、採点はどうしたらい?」
「……」
「え、何?ブラドキングは判断する立場にないの?」
「いや、てっきりザル採点を行っているのだろうと思っていたから驚いた」
「うっわ。ひどいな俺のイメージ」
「……」
「黙んのやめろよガチなやつじゃん」

ひひっと笑うを見て今度こそブラドキングは絶句した。こんなに素直な笑顔を浮かべるやつだったか?パチパチと瞬きを繰り返す間もは自分の問に答えるよう急かしていた。

「あぁ……この問なら最終的に答えが合ってるから一応丸だが、2点減点だな」
「おぁ〜字の汚さに救われたなコイツ」

赤ペンが紙を走る音が心地よい。実技試験に向けて準備する教師に代わり採点を行うよう指示したときは露骨に嫌な顔を浮かべたが、それでも任された仕事はきちんと行う様子にブラドキングの方がバツが悪くなった。


『冷静になれよ、
『……ブラドキング』


あの時のの目を思い出すと今、目の前にいるのは別人のようにすら見える。きっと今の姿が本来の"デディーカー"なのだろう。

「失礼します……あ、良かった先生いらしたんですね」
「おぉ拳藤、何か用か」
「実技試験に対する同意書、クラス分集まったので提出しに来ました」
「悪いな。そこの机に置いておいてくれ」
「はい。ここだって八百万……八百万?」

一緒に来たらしい八百万は壁際に張り付き職員室に顔を見せようとしない。おおかたの声を聞いて顔を合わせづらいのだろう。ブラドキングに指摘されるまでもなくその事実に気付いているがゆっくりと椅子から立ち上がり廊下で右往左往する八百万へと声をかけた。

「プリント、ありがとね」
「いえ……これも学級委員の仕事ですので……」
「うん。でも決裁取って上に上げたりするから早い提出は相澤先生も助かると思うよ」
「……」
「なァに?」
「あっ、いえっ」

顔を覗き込む目線も語りかける声も、この間のものとはまるで違う。初めて会った時に見せていた余裕が戻ってきたようだと、つい八百万の持つ警戒も薄れていた。

「なんだかご様子が穏やかに感じられて、その、」
「あぁ、そうなんだ。ここ最近個性の使い過ぎで疲れが溜まっててさ。心配させちゃってごめんね?」
「そうなのですね。とにかくお元気そうで良かったです。相澤先生も心配していらしたので」
「ハハッ!………そうだね」

思わず笑ってしまった。
あぁ確かに心配していたよ。これ以上俺が生徒に危害を加えないように。
もちろんの心情など知る由もない八百万は嬉しそうに笑う。

「ではまたさんも授業に参加されるのですね」
「どうだろう。他の先生がオッケーしたらだな」
「今のさんなら問題ないように思われますが……」
「うん。でもやっぱり教育は難しいな。俺には教える技術がないからまだ勉強してからじゃないと」
「そうですか」

ブラドキングは感嘆の息を漏らす。一緒に聞いていた拳藤も会話に加わりつつを肘で小突いたから八百万はたいそう驚いた。

「気軽に相手してくれる先生なんて珍しいしな。物間だって勝ち逃げだとかうるさいから早く復帰してもらわないと」
「B組は本当に俺のこと先輩くらいにしか思ってないよなぁ」

やれやれと肩を竦めながら笑う

「では、また。次の授業を楽しみにしていますわ」
「うん。俺も、楽しみにしてるよ」
そんなわけないでしょう
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