自室で部屋の整頓をしている時、スマートフォンから着信音が鳴る。一人だけ変更している音楽に緊張じみた思いがするのは癪だが、そういった諸々の感情を悟られないよう大きく息を吸って受信すべくスライドする。
『あ、でた』
「何か用かよ」
あんたから電話なんて珍しいな、そう付け足すと何が可笑しいのかカラリと笑い間投詞を吐いて言葉を続けた。
『明日は大学の卒業式だろ?取り敢えず、卒業おめでとう』
「あぁ、覚えてたのか?」
『いや、手帳見たら書いてあったから』
「なんだよ」
覚えてたわけじゃねぇのかよ。と口ではいうが、その手帳というのも俺が去年あまりの忘れっぽさに送ってやったものだから、それを使ってるのだと知ってそこまで怒りも沸かなかった。我ながら単純な男だと思う。
『院に進むんだろ?』
「それも書いてあったのか?」
『いや、覚えてた』
「……!」
『春秋と同じだなぁと思って』
あー、まただ。
最近では嫉妬すら抱かないが、さんはよく東さんの名前を出す。二人が長い付き合いで気の置けない友人だと言うことは分かっているが、これだけ頻繁に名前があがることに何も思わないわけじゃない。……が、だからってそれを止めてくれ、と言うのもおかしな気がして何も言えねェんだが。
『卒業式後はどっか行くのか?』
「……、……ん、あぁ。教授がゼミ全員に奢ってくれるらしくてな。一旦着替えてから飯に行く予定だ」
『ほぉ、いいな』
「だろ。しかもあの駅前にある海鮮料理屋だと」
店名を思い出して伝えたが、予想通り知らないらしく、有名なのか?とまで聞いてきた。少なくとも予約もせずに入るには難しい店だ。
『そうか。教授の金だ、楽しんでこいよ』
「……何か用でもあったか?」
努めて冷静を装った問いには『別に?』という簡素な答えが返ってくる。勝手に期待して落とされるやり取りも、そろそろ慣れてもいいはずだ。
『じゃあ切るぞ。寝坊すんなよ』
「さすが、上層部との打ち合わせで寝坊かました奴の発言は説得力があるなァ」
なんでそれを、という声が聞こえたが無視して通話を切ったのはちょっとした意趣返しだ。
***
卒業式は驚くほど呆気なく終わった。入学式の時にも思ったが、やはり高校までとは一学年の規模がが違うため式は淡々としている。学部のクラスごとに別れ証書を貰うが、実際クラスなどあってないようなものだからそのまま解散し、式場をでた。
「やべェな、もうこんな時間か」
本当はボーダーに寄ろうとも思ったが、一度着替えてから飲みに行くには時間が足りない。ゼミの仲間からの連絡に答え居酒屋へ向かう途中、ふとさんの顔が浮かんだのは何故だろうか。
***
卒業おめでとうという教授の音頭で始まったのが18時。今は時計を逆につけてなければ23時だ。言われるがまま二次会、三次会に参加しているのはやはり出資者である教授の誘いを断れないという無駄に真面目な性質のせいだろう。これだけ前後不覚に成る程酔うのはボーダーの同い年連中とカゲの店で呑んだとき以来だ。あの時はそのままカゲの家に泊まれたから良かったものの……
「気持ちわりぃ……」
「荒船くん飲み過ぎだよぉ!」
「なんだぁ、女子より弱かったのか?」
誰のせいだ、という文句はまだ飲み込んでおく。
二次会からは教授の生徒らしい大学院生も加わり、わんこそばよろしく注がれる酒に酔わずにいられるわけがない。───無論、断れなかった俺にも非はあるが───
というか何故俺の回りにいる年上はうわばみばかりなんだ。
『おい哲次、お前は酒に強くないんだから俺に合わせんな』
『さんはさぁ、酒が入ると、スゲーたばこ吸うよな』
『おーい、聞いてんのか?』
「……今日は止めてくれる人がいない」
「んどうしたぁ?」
同期の一人が迎えを呼んでる。あの甘ったれた声は彼氏に向けてるもの、だろうな。いいな、俺も呼んだら、来てくれんのかな。あー、でももうこんな時間だしな。悪ィかな。まぁ、どうせでないだろうし、まぁいいか。
白く霞む目をこすってスマートフォンに指を這わせる。ブルーライトがえらくしみて目が痛い。
『もしもし』
あ、出た。さんの声だ。驚きと感動のあまり返事をしないでいると、さっきより少し困惑したような声でもしもし、と繰り返される。
「……さん、いまどこ」
『ボーダー以外ないだろ。どうしたんだ?』
たった一言で俺が酔っぱらいだと見抜かれたらしい。えらくゆっくりとした声でどうしたなんて言われてしまう。貴重な声だ。もっと素面の時にきちんと聞きたかったな。
『哲次、どうした?』
「あー、今、忙しいか?」
勢いで電話してしまったから、改めて考えるとスゲェ迷惑だったんじゃねぇかって気がしてきた。こっちの都合で電話して迎えに来てくれ、なんて。立場を利用して甘えるだけだ。やっぱりタクシー呼ぼう。
『なんだよ、随分呑んだみてぇだな。迎えに行ってやろうか?』
「……!いや、」
断ろうとした時突然背中が重くなる。俺が一人会話から外れたのに気付いたらしい先輩が体を寄せてきたのだ。呂律の回らない舌で俺を逆持ち帰り、だとかなんとか言ってる。彼氏さんも笑ってないでどかしてくれ。
『…………』
「さん?」
『いや、お前が決めろ。迎えに来て欲しいか。そうじゃないか』
いつの間にか教授は会計を終えて帰っている。残った同期や先輩がこのあとどうするか、などと結論を急がないような駄弁りをしていて、あぁもう、グダグダだ。この場も、俺の頭のなかも。
「迎えに、来て、ほしい…です」
申し訳なさのせいだ。なんだか声が細くなる。周りもうるさいし、ちゃんと聞こえただろうか。
『すぐ行くから、その辺で待ってろ』
安心したからか、通話を切った後のことはあまり覚えてない。残った人たちはコンビニで酒を買い公園で飲むことにしたらしい。一人にしておけないからと俺も連れていかれ、ペットボトルの水を渡されたのはまぁ、今手元にあるからわかる。
眠いのか寒いのか気持ち悪ィのかも分からない不快感が腹に燻って、周囲の楽しげな声も遠い。まだ来ねぇのかと思ったタイミングで、ふと嗅ぎなれたあの煙草の匂いが鼻につく。
「行くぞ哲次 」
あそらく周囲に対して挨拶もしてなかったと思う。伸ばした手を力強く握られ早足で歩く。これだけしっかり握られていれば転びはしないだろうが、覚束ない足でこの速度は少しきつい。待ってくれという前に、促されるまま車の助手席に乗る……車?
「おめでとう。その席に座る酔っぱらい隊員はお前で四人目だ。風間、太刀川、忍田さん、そんでお前」
「東さんは?」
「あいつは素面ん時だけだな」
「じゃあ、今度、俺もまた乗せてくれ……」
「……ん?あぁ、はいはい。ホルダーに入ってる水、お前のだからな」
トリオン体なら運べるから寝ていい、と言われて寝るわけがない。と思っていたのに、車の揺れと心地いいラジオの音にやられ、目が覚めたら見慣れた部屋の、見慣れたベッドの上にいた。
「……」
シングルベッドには当たり前だか部屋の主の匂いが染み付いていて、嗅ぎなれた匂いにほっとするも、肝心の主がいない。
俺がベッドを使ってるんだから、おそらくさんは仮眠室に行ったんだろう。悪いことをした。シャワー浴びるついでに礼を言おう。
***
「さん」
「おぉ起きたの」
「荒船お前、昨日呑みすぎたんだって?」
「東さんそれ……」
「勿論こいつから聞いた」
まったく、人の醜態を喫煙の肴にしないで頂きたい。無意識のうちに顔に出ていたのだろうか、『誰にも言わないよ』と東さんは言ってくれたのでそれを信じたい。
「あーその、さん」
「なんだよ礼ならいらねぇぜ。俺も春秋も飲む時はわりととことん飲むしな?」
「まぁ……この間の件とかは反省してるよ」
「違う」
勿論あんな夜中に呼び出して、文句言わず来てくれたことには礼を言いたいが今は謝罪がしたかった。風下に立つ二人は互いに顔を見合せて俺の真意を掴み損ねているようだった。
「その、悪かった」
「何でそんな謝んだよ」
「いや……腕を引かれた時の力が強かったから、てっきり怒ってんのかと……」
「……」
眉を潜め険しい顔をするさんに対して、東さんは煙と共に笑みをこぼして灰皿に残りのタバコを押し付けた。
『じゃあ俺は行くから』と屋上を去る際さんの肩を軽く叩いていたが、怒るさんを宥めてくれたのかもしれない。
「さん、その……」
何から詫びればいいのか、もだもだと言葉を選びきれない俺に痺れを切らしたさんが短くなりつつある煙草を手に持ち口を開けた。
「別に怒ってなかったんだぜ」
「嘘つけ、周りの人達に挨拶もせずあんな力強く腕を引っ張って。俺のせいで不機嫌だったろ」
「違うって。だからさァ……」
少し語尾が強くなってしまって、昨日みたくまた怒らせてしまったかと思ったがどちらかといえば焦っているようだった。
「……受話器の近くから、女の声がしたろ。持ち帰るだなんだと」
「…………………………………嫉妬」
さんは何も言わない。横に背けた顔はいつも通り余裕を崩すことなく手に持っていた煙草を吸う。先端の火が少しだけ強く光った。
「いがい、……意外だな。あんたそういうの微塵も興味なさそうだったから」
「そりゃそうだ!4年前あんな事言った以上お前の逃げ道は残しておかなきゃ」
「お陰さまで、大学は卒業した」
「あぁ。マジでお前、選ぶ相手間違ってるよ、センスねぇの」
そうは言っても表情筋の死んだ顔が緩んでるんだから本当に天の邪鬼な男だよ。
ほら、煙草を離した口元なんか綻んでんのがよく見え───
「で、感想は?」
「……………………煙草くせぇ」
「ふはっ!雰囲気台無しだなぁ!」
だって、仕方ねェだろ、言葉が出てこなかったんだ。自分の心音がうるさくて情けねぇ。こんな、たかがキスで。キスくらいでこんなに動揺する自分が情けなさすぎる。
「くそッ」
なんでこんな奴を本気で好きになっちまったのか、結局4年かけてもそれらしい答えなんかでやしなかったのに!
4年経ってようやくの収穫
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