侵攻が始まった瞬間とも言える程早く、は動いた。
ノーヘルのままバイクを走らせどこに行くとも告げず走り去る背中をただ見送った。見送るしかなかった。その時の俺には知り得ないあいつのサイドエフェクト。
あの時あいつは真っ先に家族のもとへ向かったのか、街を周ったのか。聞くこともできない問いを一人で考えても仕方がない。
だから俺はあちこち汚れ、やつれた顔のあいつを黙ってアパートに泊めてやった。行く宛もなく彷徨する屍のように成り果てたを見れば家族の安否など聞く必要はない。

「春秋、お前の家族は無事か」
「あぁ…両親共に」
「そいつはよかった……」

風呂上がりの長く垂れた前髪はあいつの表情を隠し、わずかに微笑んだ口元だけを見せていた。
何故いつも他人の心配ばかりしているんだろうか。
弱りきったあいつにお門違いの怒りをぶつけてしまう前に今度は俺が脱衣場へ向かった。

「………」

シャワーを浴びてる時、遠くの方で聞こえるそれが、俺が聞いた最初で最後のあいつの泣き声だった。




「春秋起きろー」
「……ん、」
「飲ませ過ぎたなぁ。起きろーお前をおぶって帰るのは勘弁だぜー」
「……起きてるよ」
「おぉ、良かった」

気分が悪すぎて走馬灯かと思った。そういえば太刀川とが個人ランク戦した後、そのまま飲みに来たんだ。意識が浮上するのと反比例して頭が重い。水を飲もうと近くにあったコップに口をつけたが噎せてしまった。これ、水じゃないな。

「おいおい春秋大丈夫かよぉ、それは俺の日本酒だぞ?」
「はっはっ、なんか、珍しいすね。東さんがこんなに酔うなんて」

遠くの方でと太刀川の声がする。弟子たちがいないとはいえ醜態を晒すのはごめんだ。起き上がろうとしてふらついたところをの腕が掴んだ。

「おいおい…っ本当、大丈夫かよ」
さん、東さんばっか構ってないで俺の相手もしてくれよ~!!」
「のわっ!気持ち悪ィな甘い声だすな!」

相変わらず騒がしいな。まぁでもしょうがないか。太刀川のやつ、お前とまたこうして話をするの、楽しみにしてたんだぞ。
荒船といい太刀川といい、そういや緑川や影浦もか。お前はいつの間にか人を惹き付ける質だから───。


   ***

「本当にすまん」
「いいってそんな」

いつの間にか眠っていて、目が覚めたのは自分のベッドの上だった。慌てて体を起こすと床には客人用の座布団を並べてが寝ている。二十歳なりたての大学生みたいなミスをおかしたあげく、律儀に上着は脱がされハンガーに吊るされ布団をかけられる甘やかされ具合だ。頭が痛い。

「色々世話かけた……」
「大したことねぇし、むしろお前んち来られなかったら俺は野宿だったんだから嫌がられたってここに来たぜ」

お前を嫌がることはまずないだろうが。そう苦笑すると誤魔化すようにがあくびをする。

「お前が女だったらぜひ付き合いたかったよ」
「お前が女だったらこうはいかねぇな。俺賢い女は嫌いなんだ」

こんなことで笑う俺もこいつも居酒屋くさい。風呂の用意をしている間に服を用意するため久々に一番下のタンスを開ける。

「そういえばお前がうちに来るのは久し振りだったな」
「そうだなぁ。荷物持ち帰った方がいいか?」
「まぁ使ってないから構わないよ」
「そっか。彼女さんができたら言えよ。すぐ退くからさ」

そう言いながら煙草に手を伸ばしたをベランダへ追いやる。室内で煙草を吸うなといつも言っているのに、忘れてるのか気にしないのか。

「ここから見える景色もだいぶ変わったなぁ」
「あぁ。ゆくゆくはここを住宅街にして市外から人を呼び込もうという魂胆らしい」
「あぁ~このままじゃ住民税が足りないとかなんとか言ってたなぁ」
「完成したらお前も住めばいい。機関内での生活は何かと不便だろ」
「春秋ん家の近くってのは色々と魅力的だが、家の場所を覚えられねぇだろうなぁ」

風向きが変わっての吐いた煙が室内に流れこむ。もうすっかり嗅ぎなれてしまった匂いとはいえ嫌みたらしく咳き込んでみれば「すまん」と口先の謝罪と共に火を消した。

「それに、俺があそこを離れるのは、三門市が俺らを必要としなくなった時って決めてんだ」
「それはまた大層な」

ベランダ用のサンダルは脱いだまま整えもせず、外から見えるというのにTシャツをめくって背中を掻く姿はもう完全に、アラサーという言葉が板についたようなのに。

「春秋、お前が『あり得ない』なんて思ったら駄目だろ」

責めるような目付きではまるでないのに、心を見透かしたような顔でそう言うんだから、思わず背筋が延びる。

「俺たちが若いやつらのためにしてやれんのは教育だけじゃねぇぜ」
「あぁそうだな」
「俺は全部を取り戻すよ。……あいつらのためにも。そしたらようやく俺達はお役御免だ」

ボーダーがいらない世界か。

「お前が言うと、なんだか本当に成し得そうな気がするよ」

目があったそいつの顔は、自信ありげに笑っていた。
東の持つ記憶



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