「ハハッ、いやに大人しいな」
「いや……」

屋上へのドアを開けると一気に風が吹き抜けた。いつも通り柵のそばに座り取り出したタバコに火をつけるさん。俺は彼の風上に向かい合う形で座った。

「さて……何から話そうかな」

煙は途切れることなく棚引いている。しばらくそれを見つめているとさんが口を開いた。

「お察しの通り、あのスクリーンに映ってたのは三門市だ」
「……」
「ボーダーに入る前から自分の異常な記憶力には自覚があったから、第一次侵攻が起きた瞬間から俺はあちこちを走り回った」
「何故ですか」
「お前の家族は、息災か?」

質問で返されて一瞬返事が遅れたが慌てて頷くと「それは何よりだ」とまた煙草を咥え大きく息を吸った。

「ならあまり分からないと思うが、ある日ポツンと家族が消えて、この間の侵攻で死にましたと言われても不思議なことに全く信じられねぇんだよな」

ジリジリと火が煙草を焼いていく。白い紙は煙となって姿を変え、風に吹かれあっという間に消えてしまった。

「近界民に連れていかれた者、建物の下敷きになったもの、二次災害の火災で焼かれたり、連絡がとれず生き別れたり。例を挙げればキリがないが死体無き人は数多い」
「その人たちとさんのサイドエフェクト、どう繋がるんですか」
「みんな、確実な事が知りたいのさ」
「……たとえそれが死んだという事実でも?」
「何もないまま風化するより絶望でもあった方がいい。少なくとも俺や、俺に依頼してくる遺族はそう思ってる」

俺と。その言葉は自分も当事者という意味なんだろうな。

「お前が見た部屋のパネルは鬼怒田さんと共同開発したもので、頭の中の記憶を映像化するための補助の役割を果たす。俺がやってんのはその記憶との照らし合わせだ。あのパネルに自分の頭の中の映像を細部まで描き込んで、遺族の持ってきたパーツと合わせる」
「パーツ……」

さっき見た景色がぶり返し、また胃の奥がぐっとせりあがるような気がしてたまらず下を向いた。
背中に当てられるさんの手が暖かくて安心する。この人といるときの俺はいつも情けないのに、笑われたり呆れられたりしない。甘えだとしても取り繕わなくていい相手というのはやはり居心地がい。

さんが見ていたのは、本物の人の腕なのか…?」
「普段は写真とか、服の切れ端とかビデオだよ」
「誤魔化すなよ」
「……。そうだ。瓦礫の中から出てきた人体の一部の写真。あぁいうのは遺族からというより自治体からだな。なるべく身元不明の死体を減らしたいんだと」

乱暴に灰皿へ押し付けられた煙草には目もくれず、二本目を取り出そうと箱に手にとったが落としてしまう。
足元に落ちた箱を手にとって渡してやる時に、ようやく気付いた。この人だって動揺してんだ。人より記憶力が良かろうと太刀川さんとやり合う位強かろうと、この人も、ただの人間だ。


さん、大丈夫か」

煙草の箱を手渡して、そのまま勢いで手を握ってしまったが、今更放すもんか。睨み付けるような勢いでさんを見上げると、この人の色素の薄い瞳が一瞬だけ揺れて、あとはただ困った様子で笑った。


「……お前ら若いのにはさ、勿論太刀川や二宮たちもそうだが、過去の反省や後悔じゃなく、これからの未来だけを見てほしいんだよ。だからあんな、未だ引きずる闇の部分を見せちまったの、悪かったな。って」
「あれは俺が勝手に見たんだ。あんたに非はないだろ」
「お前はしっかりしてるな。俺の弟にそっくりだ」
「弟…?」
「あぁ……もういねぇけどさ」

あまりに静かだった。煙草を吸う度に草の焼ける音が聞こえるほど。ふうと吐いた息は長く、煙を乗せたため息があまりに切なかった。

さんの、弟さんは、第一侵攻で?」

「あぁ。弟と、両親もだなぁ。みんな学校やら職場やらに行ったきりそのままだ。残されたのは空っぽの家だけ」
「……」
「しばらくは家で待ってみた。もしかしたらひょっこり帰ってくるかもしれんし、弟の奴は俺よりしっかりしてるから死ぬとは思えなくて」

口角をあげたままのさんは珍しく自分の話を聞かせてくれた。

「三門市中を探し回った。バイクがガス欠になった後も走り回って、靴の底が剥がれ事実を受け入れた頃に俺の家は警戒区域として侵入禁止地区に指定された」
「……」

指差した先のくすんだ赤い屋根の家。あそこにさん家族の日常が置き去りにされている。

「まぁそのあとすぐここに来たから衣食住には困らなかったのはありがたいよな!」
さ──」
「あぁそうだ。お前も名前で呼んでくれよ」
「えっ?」
「誰に言ったか言ってないか忘れるから親しい人にしか言わねぇんだが、名字は集合体を表す記号だろ?」

だから個である彼は名前で呼んでほしいと言った。
一つ、この人との間の垣根を越えられたような気がして嬉しかったが、今はそれよりも悔しさが勝っている。
こんな時まで本心を隠して強がる姿に苛立ちすら感じる。

「……少し喋りすぎたな。お前ももう平気だろ。そろそろ帰れ」


「平気なフリをするなよ」

確かにそれは本心だった。
だけど、まさかそこまで驚かれるとは思いもしなかった。ヘラヘラと取り繕っていた笑顔は剥がれ、泣くのを堪えるように眉間をひそめるさんはそんな表情を隠すように目元を傷だらけの右手で覆った。


「…お前までそれを言うなんてなぁ……」

いつになく弱い声の彼はいきなり俺の肩に額を置いて呟いた。

「なぁ、───。」
「……」

俺の名前ではない。しかしそれが間違えて呼ばれたものではないのは確かだ。
ほんの数秒前なのになんて名前だったかはっきりしないが、きっとそれは、俺に似ているというさんの大切な弟の名。

、さん……」


初めて呼んだこの人の名前は励ましの意味を持てなかった。
憐れな力の発覚



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