高難易度迷路
「好きださん。結婚を前提に付き合ってくれ」
「あらあら」
なにが『あらあら』だ。その場にいた全員が固まり、出水は手に持っていた炭酸飲料の入ったペットボトルを床に落としていた。開けた時悲惨な事になってしまうなどと考える余裕のある人物は今ここに誰もいない。
「二宮、お前がそんな冗談言う奴だとは思わなかったぞ」
「何も冗談じやないが」
「あらあら」
スーツを着た男から睨みつけるように見下ろされ、あまつさえプロポーズまがいの告白を受けているというのに、女は細い指を口元に添えて先ほどから変わらない穏やかな表情を浮かべて微笑んでいる。
「一つ教えてほしいのだけれど、二宮君は私の何を好きになったの?」
「……」
「言えないよね」
は穏やかな顔のままだが、二宮の方はむっと皺を寄せた。これは面白そうだと二宮の横で話を聞いていた太刀川は顔に疑問符を浮かべたまま口元だけにやりと笑っていて、それを見たは一言「結婚したいの」と言った。
「私ももう来月で30よ?そろそろ結婚を考えて頑張らないといけないでしょう」
「そうなのか?頑張らなくとも向こうから寄ってくるだろ。さんなら」
「あら、いつからそんなにおべっかが上手になったの?」
肩を揺らして笑う所作は太刀川から見ても美しいと思うし、顔や髪、声からも艶やかな雰囲気が伝わるくらいだから男が放っておくわけがないと思っていた。正直に伝えたところではありがとうと返すだけだから、きっと言われ慣れているのだろう。
「さん」
ここまで黙って話を聞いていた二宮がとうとう口を挟んだ。は長いまつげを一度瞬かせ瞳を二宮に向けて何を言うのか待った。
「俺への返事は」
「聞いたでしょう?『私のどこが好きなの』と。なんとも思ってない太刀川君だってあれだけ言葉を並べてくれたのよ」
「……」
「私の才能を手放したくないのはわかるけれどね」
「あぁ成程な」
目前の敵はシューターで、遠く離れればイーグレットで。狙われた相手の被弾率は93%を超える彼女の実力は忍田も認めるところだ。遠距離から積極的に相手を狙えるスナイパーは敵の襲撃時に頼もしい戦力となる。
彼女が『婚活』のためにボーダーを去ることを止めたいのは二宮だけではないだろう。ましてや、今は同じ戦法を取る雨取チカがいる。彼女の生存率を上げるためにもには残って指導をしてほしい。二宮が人目も憚らずを呼び止めた理由にその場で聞き耳を立てていた幾人かは納得し、ようやく立ち去ることができた。
「薄情に思われるだろうけどね、やっぱりボーダーの未来より自分の未来のが大事。だからここで区切りにしないと。次の若い子に席を譲るわ」
「だから『付き合おう』と言ったんだ。ただ止めたわけじゃない」
「二宮君、格好いいのにすごく残念ね」
ふふふ、と笑いながら横で呆れた顔を浮かべる太刀川と見つめ合っているに二宮は腕を組んだまま目をつむった。ダメ元ではあったとはいえ想像以上にの意思は固いらしい。どうしたものかと結論が出るより先に二宮に向けた通信が入る。
「任務が入ったから行く」
「うん。頑張ってね」
五指をそろえて小さく手を振る姿を来馬は美しいと言っていた。否定はしないが作られた所作だと二宮は好感を抱けないままでいる。だからその手をこちらに向けるのはどうも耐えられないと、すぐに背を向け足早に作戦室に向かった。
「二宮さんお疲れ様です——。なんか怒ってます?」
「何もない。氷見、すぐ転送しろ」
「絶対不機嫌じゃんね」
「余計な事言ってないで行きますよ」
辻も犬飼もスーツ姿のトリオン体に換装しオペレーターからの合図を待った。その実不機嫌な二宮が八つ当たりのように一掃するだろうという心構えでいたのだが案の定で、任務は早々に終わり、最後の報告書作成も一人でやるという二宮に押し切られ三人は早々に帰宅した。
一人きりになった作戦室で報告書を打ち続けてひと段落したところで背もたれに体重を預ける。やはり一人で行う分どうしても時間がかかってしまうらしい。一度深く息を吐いてから立ち上がり口ビーに設置された自販機に向かった。
時間帯に合わせ一部の照明が消されているロビーは自販機の光が目立ち、中にある飲料を目立たせた。
「その新作コーヒー、結構甘めだったけど」
突然の声に反応できず、「甘め」と忠告されたコーヒーの上に乗せたままだった指につい力が籠ってしまった。聞きなれた落下音がロビーに響き、仕方なくそれを取り上げている間にも背後の声はくすくすと控えめに笑っていた。
「親切のつもりが、かえって困らせてしまったみたい」
「……こんな時間に何をしてる」
「私はわりと夜型よ?人が減ったタイミングを見計らってトリガーの微調整とか実験とかを開発班とやることが多いんだ」
ソファーから起き上がり二宮の正面にある自販機の一番下の列から暖かいレモンティーを押して両手に包んだ。まだしばらくキャップを開けるつもりはないらしい。
「貴女みたいな人が夜に一人でいるのは感心しないな」
「ふふ。必死ね、二宮君。私を手放したくないからってそこまで媚びなくてもいいのに」
その言葉に引っかかりを感じて眉をひそめる。つい拳に力が籠ったが一度窓の外に目をや って吐息とともに力を抜いた。
「本当にそれだけだと?俺がアンタを引き留める理由はその実力だけだと本気で思っているのか」
「今のところは。他に思いつかないわ」
「昔からそうだ。人の気持ちに鈍いふりをする」
「そういう二宮君は思っていたより私に詳しいみたい」
声はずっと変わらないのに少しだけ眉は下がっている。困らせるつもりはなかったが、いつも変わらない表情を浮かベるその顔に他の感情を浮かび上がらせた事について二宮は少しだけ、優越感を感じていた。しかしそれすらに気付かれたのだろう。緩やかに息を吐いたはまた普段通りの笑みを浮かべて二宮に一歩近づきその眼を覗いた。つられるようにして二宮は一歩後ずさる。
「なら 私を惚れさせてみせて」
「はっ?」
「知っているでしょう。私、一度これと決めた相手は撃ち落とすまで追い続けるの」
「そうだな」
「だから、 私に落としたいと思わせて。面白そうだからもうしばらくはボーダーに通うことにするわ」
の大きな瞳の中にある光がゆるりと動いてまた二宮を捉える。目に宿る熱を見てつい二宮の口角があがった。
「『落としたい』と言うのなら、俺の方はとっくに『落ちてる』よ」
「一貫して そう言うのね」
は目を細めてくつくつと笑いながら細い指を口元に添えた。
高難易度迷路
その白い指に、光るリングはさぞ映えるだろう。
才能のある人間は好きだ。遠征に行く隊員の穴を埋めるためにも、戦力は少しでも確保しておきたい。優秀なスナイパーなら尚更。に指摘されたように手放したくないのは彼女の"腕"だったはずなのに。
その指に誰かから送られた指輪が填められたところは見たくないと、強く思ってしまった。
誰にでも等しく与えられる愛嬌を自分だけに向けてほしくなった。
「二宮君って、 意外と分かりやすいのね」
「なんだと?」
「私、落とすのは好きだけど落とされるのはちょっとね」
「矛盾している。相手を『落したい』と思うのはもう既に──」
「あぁなるほど。じゃあとても難しい挑戦だね。でも私、二宮君の困った顔は結構好きみたいっ」
自販機の光で顔の半分を照らされた彼女は楽しそうに笑った。
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