真実など踏み抜いて
廊下の突き当りのその先から聞こえてくる賑やかな声のその一つ。
その声が聞こえてくるだけで辻は緊張感とよく似た高揚感を覚え、心臓の下当たりがぎゅっと収縮するような、そんな状態。それでも引き返さず、むしろ突き当りにでるタイミングを見計らって歩みを緩めているのだから我ながら情けない。
廊下からの声が大きくなるたびに自分の心音も大きくなって、その姿を視界に入れた時にはもう、足が止まって、偶然を装えなくなってしまう。
「お?辻ちゃんおはよ」
友人達と話していたのに、辻の姿を見つけたらしいはニカッと口を開けて笑い辻に向けて手を振った。気付いて貰えたことがたまらなく嬉しいのに、と一緒に歩く男女4人の目まで辻に向けられて───特に直前までに話しかけていた女子生徒は睨むように鋭い目を向けている───辻は曖味な声を辛うじて発してたちを追い抜くように角を曲がり足早に立ち去った。
なんて情けない。こんな姿を犬飼にでも見られれば絕対に揶揄われる。折角が声をかけてくれたのに、今の辻にはうれしい気持ちより情けなさのがずっと大きい。前を歩くクラスメイトたちの声も無視して火照った顔のまま教室に急ぐ。不甲斐なさを打ち消すように、辻の名前を呼んだの声を思い返していた。
***
は辻より一学年上の生徒で、忙しくバイトをしているため成績は振るわず男女ともに友人が多い。さらにはボーダーに所属しているわけでもないとくれば辻との接点はなさそうなものだが、との出会いは辻の性質ゆえに起きたものだった。
『辻君って君?』
『……え?』
『先生に連れてこいって言われてんだ。行こ』
移動教室の帰りだった。片付けが遅れてクラスメイトたちは先に戻ってしまった。一人で
教室に戻る途中で知らない女子生徒数名に声をかけられて、人通りの少ない北棟の踊り場で背中を壁につけたまま振り切ることもできず、かといって彼女らの気の済むように話をすることもできずどう切り抜けようか困っていた時、偶然目が合ったのがだった。
『じゃ、俺が貰ってくねぇ』
ふわりと笑ってひらりと手を振って、女子生徒まで笑顔にして。強引なわけではないのに力強く連れ出してくれたに憧れるなという方が無理な話だ。
『さて、当然先生が呼んでるなんて嘘だから。てきとーに時間潰してから戻りな』
『なんで俺の名前を?』
『女子の声はよく通るから。あのマシンガン攻撃によくキレなかったね』
『いや……それどころじゃ、なくて』
『ふうん。優しいね、お疲れ』
投げられたものを反射的に受け取るとそれは紙パックのオレンジジュースで、ちゃんとお礼も言えないまま別れてしまったが、遠くで手を振る女子生徒が『』と名前を呼んだ。なるほど確かに、女子の声はよく通る。
***
人の顔を覚えるのが得意なのか、あの一件以降は辻を見つけては笑って手を振るので辻もなんとか反応を示したいが、の周りにはいつも人が、そのほとんどは女子がいるから辻がと会話をしたことはほぼない。犬飼や荒船に話せばきっかけは作ってもらえるだろうが、あまり人に話したい気持ちにはならなかった。
何故か誰にも知られず一人でこの問題を解決したいような気持ちでいっぱいで、だからこそ一向に好転しない現状にもどかしさはあったのだが。
「辻君お疲れ」
「おつか──ひっ、あ」
「怯えてるよぉ。あんた嫌われてんじゃないのー」
「そうかなぁ」
違うって、嫌いなわけじゃないって言えた らいいのに。の陰に隠れていた女子生徒の姿を見つけてしまったらもう緊張でそれどころではなくなってしまった。
「うーん。それじゃあまたね」
「はい……」
目すら合わせられずにそのままたちは行ってしまった。遠くなる背中に視線を送るが、そう都合よく振り向いてくれるわけもないので、辻は抱えた教科書に力を込めて公舎裏へ歩く。
***
「ふう……」
火照った頰を仰いで深呼吸をすると少しだけ気持ちが落ち着いた。
「やぁ」
「へっ!?」
「ごめん、そこまで驚くなんて」
「な、なんでここにっ」
情けない声を出してしまった恥ずかしさを誤魔化すように声を発したが、辻の悪あがきに意味はなく、はケタケタと笑っている。
「はーおかしい。ごめんね。やっと見つけたからつい嬉しくて」
「俺を探してたんですか?」
「うん。ゆっくり話をしてみたくて」
「……」
どうしょう、にやけてしまいそうだ。
教科書を握るカはさらに強くなっていたらしく、厚紙である表紙がみしりと音を立ててに「折り目ついちゃうよ」と言われ慌てて手を離す。
「一番最初に会った時は普通に話ができたのにそれ以降なかなか話す機会がなかったから、なんとなく気になって探しちゃった」
「なるほど……」
「迷惑だったら言ってな」
「そんなことないですむしろ俺の方もきちんとお礼を言う機会が欲しかったので先輩の方から来てくれたのはすごくうれしいですありがとうございますもしお時間があれば、もう少し……」
迷惑だなんて、誤解されたくない一心で頭に浮かんだことすべて口にしてしまった。恐る恐る視線をあげれば案の定は目を丸くして驚いている。
もしかしたら引いているのかもしれない。今度は辻の方が言葉に詰まって口をぱかぱか開けるしかなくなってしまった。
「ふっはは!そうか、ならよかった!俺は強引なところがあるから迷惑じゃないか心配だったんだ。横、座っていい?」
「はい、もちろん」
校舎裏にある石階段は知る人ぞ知る隠れスポットで、辻がゴミ当番の時に偶然見つけてからは一時避難の場所として何度か利用しているため、座ることに抵抗がないくらいには綺麗に保たれていた。
「やっぱり辻君って、女の子全般に緊張しちゃう感じだ」
「う、そうです……誰から聞いたんですか?」
「見てればわかるよ。最初はあの女子たちが苦手なのかと思ったけど、どうも俺が一緒にいる女子たちにも強張ってる気がして」
「その通りです」
自分の予想が当たったにもかかわらず、は嬉しそうな顔はせずに困った顔で「大変だね」と言った。
「辻君が女の子苦手でも、向こうは放っておかないでしょ。君かっこいいもん」
「……」
「照れてる」
「違います。ボーダーにいる先輩みたいな事を言うなと思って」
「ボーダー隊員なんだ。なおさらかっけ一じゃん」
「知らなかったんですか?俺はてっきりボーダ一に興味があって話しかけてくれたのかと……」
「知らないよ。辻君のことまだ何も知らないから、これからが楽しみだね」
目を三日月にして笑って、ロから見える白い歯の奥からからりと笑い声をあげた。
真実など踏み抜いて
本当は気付いていた。の腕につけられたスマートウォッチが矢継ぎ早にメッセージを知らてること。髪の隙間から見える耳に開いたたくさんの穴に服についた、複数の香水の臭い。誠実な思いを抱くには、この人物はあまりに不誠実だ。
(頭でわかっててどうにかできるならきっと苦労はしないんだろうけど)
知らないふりをしてもう少し、恋慕の思いを抱いていようか。
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