決意布告
コツコツコツ。子供の頃はヒールの踵から奏でる靴音が大人らしさを象徴しているようでとても憧れた。体育時に少しでも早く走れるようにと履いていたスニーカーや姉のお下がりのローファーでは到底鳴らすことのできない音だったから。
しかし、自分がヒールを履けるようになった22歳───つまり就活。黒のリクルートスーツは入学式の時に作ったからパンツの太ももの辺りが僅かにキツくなってる事に悲しみを覚えつつも、それ以上に今、この狭いヒールに無理やり収められた足が痛くてたまらない。自分の性格上一度座ってしまえば動けなくなるのはわかっているため痛い足を引きずってコンビニに寄る。交通費が馬鹿にならないからお昼代を節約しよう。ストレスフルな毎日を送ってるんだから最も節約すべき煙草代については目をつぶってほしい。
「フー……」
大学の裏にあるベンチは顔も知らない先輩方が卒業制作で作ったらしく、陽の当たらない木陰にあり人目にもつかない私のお気に入りのスポットだ。やはり狭い喫煙所より空の下吸う煙草はずっと美味しい。
「ゲェ、飯食いながら煙草って気持ち悪くないんスか?」
「……」
「ア?」
「ア?はこっちのセリフだよ諏訪君。なんでここにいるの」
「ここ、俺のお気に入りでして」
「教えなきゃよかった」
「そんなツレないこと言わないでくださいよ」
まだいいとは言ってないのに諏訪君は勝手に隣に座ってきた。今は疲れてるから一人でのんびりしたかったばかりに私の機嫌はずっと下降したまま。それに気付いていないのか、諏訪君は買ってきたらしいコンビニの袋からガサガサと昼食を漁ってる。
もういい、前にゼミの飲み会でこの場所を教えてしまった私が悪い。飲みの場で楽しくなっちゃって、数少ない紙煙草仲間である諏訪君にはつい口が軽くなってしまうのだ。
「最近顔見れなかったんで嬉しいッス」
「就活生は忙しいんだよ」
午前中の愛想笑いに一日の感情を奪われた気分。話すのすら億劫でいつもより長く煙草を咥えて深く息を吐く。正直サンドイッチの味なんてほぼわかんないんだけど、別に食を楽しむ気分ではないし構わなかった。
それよりも今は、煙草を介して深く深く呼吸がしたい。フィルター越しに吸った毒と一緒にため息をつく。
「なんか疲れてますね」
「就活ってそんなもん」
「それ旨いっすか?」
「よくわかんない」
「次のゼミは出席?」
「どうだろうね」
一問一答。面接かよ。諏訪君には大変申し訳ありませんが、今は何しても気の利いた返事も楽しい会話もできそうにないので空気を読んで立ち去ってください。
「疲れてますね」
「就活生だから…これさっきもしたな」
「あんまり気を張り過ぎないでくださいね。はいこれ」
「ココア」
「カフェイン飲むと胃が痛くなるって言ってたでしょ。これなら味も濃いしパンとも合いますよ」
「──ありがとう」
前にコーヒーが飲めないという話はしたけどよく覚えてるなあ。
諏訪君は甘やかし上手で、人の言ったことを覚えてるしとても気が利く。物事の善悪を見極める視野が鋭いのもボーダーで培われたものだろうな。
手に握るココアがあったかくてささくれ立っていた気持ちが少し穏やかになったみたい。
短くなった煙草を携帯灰皿に入れて、残っていたサンドイッチを口に含み重なったレタスを嚙む時の食感と音を堪能する。さて、午後は合同説明会に行ってみよう。希望する職種じゃないけど何かしら得るものがあるかもしれない。
「就活しない方法もありますよ」
「ん?」
「俺はボーダーから給料もでるから現状ほかの大学生よりは収入があるし、さんとはそこそこ付き合い長いじゃないですか」
「ほう」
「絶対苦労させませんし、取り合えず俺も候補にいれてくださいよ」
軽い口調だけど、緊張してるらしい諏訪君は煙草に火をつけて大きくー吸いする間ずっと正面を向いている。冗談ではないんだろうな。
今まで意識したことはなかったけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。言われた言葉を反芻して、それ、で。
「決めた」
「お」
「二度とそんな事言わせない」
「……はい?」
「諏訪君の気持ちはありがたいけど、そんな哀れみにかこつけて言われたんじゃなんか勿体ないなって」
もらったココアのプルタブを開けた瞬間ふわりとのぼる湯気と一緒に久しく嗅いでいないココアの甘い匂いがした。その匂いのとおり甘すぎないカカオとミルクの味がして、うん、ちゃんと味がわかる。
「ありがと諏訪君。私頑張るわ」
「ああ、はい」
「そんでいいとこ就職して稼いで、『お願いです俺と付き合ってください』って言わせるから」
「は…!?そういうこと…!?」
「期待して待ってて。あと、灰が落ちそうだよ」
ぽかんとした顔の諏訪君を残して立ち上がる。さっきまで世界の全てを呪っていたい気分だったのに今は嘘みたいに前向きだ。
決意布告
もう一度お礼を言って立ち上がった。
よし、午後の合同説明会は行くのやめよ。
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