いっそ嫌いと言ってくれ
ボーダー基地への入口は災害時に備えて複数設けられている。大学での講義を終え、駅から一番近い入り口に通行証をかざす。頻繁に使われていない扉は数秒考えこんでからゆっくりと戸を開けた。
まだ昼過ぎであるため基地内に学生がいない分、廊下は人とすれ違うこともなく静かだ。ボーダー基地内の作戦室に向かう途中の廊下で、つい足を止めた。
「……」
気が削がれたとまた歩を進めたが、一度浮かんだ考えは足を進めるくらいで消えはしなかった。むしろ先ほどより強くなる匂いに二宮は引き返したい気持ちすら湧き上がる。
「……チッ」
何故自分が行動を改めなければならないのか。情緒が安定しないと振り回される現状を俯瞰してこの廊下に流れる香水の主が誰のものかと判明していないうちからこうなのだから、まったく嫌気がさす。
深いため息をついて、また歩を進めた。息など吸わなきゃよかった。嫌いな香りが肺に吸い込まれ、なおの事苛立ちが増してしまう。
***
「あれ、太刀川いねぇじゃん」
聞きなれない耳障りな声は先ほど二宮が思い浮かべた男のものに相違ない。今日が防衛任務でなければ今すぐにでもこの場を離れているところだ。それ程までに二宮はこの男が───
思考を一気に晴らした通知を告げる電子音に、慌てて自分のスマートフォンを確認したが音の出所は自分からではなかった。
「もしもーし遅刻の太刀川君、俺はアイスコーヒーでいいよ。金色の微糖のやつね。手ぶらで来たら許さねぇから」
力ウンター席に座り片足だけ足掛けに置いて、手持無沙汰の手は目の前の観葉植物をいじる。昔から変わらない姿を見て二宮の中にあった摩擦をうみながら絡まった糸くずがより一層盛り上がる感覚があった。
もう視界に入れないようにしよう。望ましくはないが音を遮断すべくイヤホンで耳を塞く。手元の資料に目を落としてこれから来るであろう後輩たちを待った。
「……」
太刀川と待ち合わせしていると電話で話していた。が本部に来るのは太刀川慶や迅悠一、風間蒼也に用がある時くらいのものだ。だから二宮がいようがいまいが向こうは関係ないのに、二宮の方はというと、こんなにも男の存在を意識してしまう。
それが昔からたまらなく嫌なのに、対策の仕様などあるわけもなくこうして身をひそめるのだ。昔男を傷つけるべく吐いた言葉に傷つけられているのは自分の方だった。
『用がないなら俺に構わないでくれ』
東隊が解散されてようやく落ち着きを取り戻したころに、二宮は男の手を振り払ってそう言った。その時は、その時ばかりはが真っ直ぐに二宮を見ていたのを今でもずっと覚えている。
「おや、久しい顔だなあ」
「おー東さん。半年ぶりです」
「もうそんなに経つのか」
「ねー。県外への採用派遣職ってこことは違う忙しさがあって全然実践できないんスよ」
「なるほどね。俺が相手できればよかったんだけど」
「スナイパーとアタッカーのー対ーなんてただの隠れ鬼ですからねえ。大丈夫です。もうすぐ太刀川が来るんで」
「太刀川か?あいつならさっき忍田さんに捕まってたからもうしばらく来ないだろうな」
「何やってんだあいつ」
太刀川の成績を思えば忍田がキレるのも理解ができるが、よりによって今日でないといけないのか。東は苦笑いを浮かべてその場を去り、一人残されたは時計を見て諦めたように手荷物をまとめていく。
「さん」
なにも自分でなくともいいのに
「……二宮?こっちは更に久しいやつがまた」
自分でなくともこの人の相手はいくらでもいる。いるのだろうが、今はこのロビーに二宮しかいなかった───勿論他にも人はいるが、東のようなスナイパーやと面識のない者ばかりだ──から時間を持て余しているの相手を名乗り出たのだ。
「俺でよければお相手しますよ」
「シューターねぇ」
「ここで座ってるよりはマシなんじゃないか」
「まあ、そうだな」
お前の機嫌もよさそうだし、と言われたのが心外だった。機嫌ならここに来た時からずっと下降している。さも上機嫌な自分が気まぐれで声をかけたと思われているのが許せないのに、それを訂正するための言葉を並べる気力はなく口はー文字に結ばれたままだ。
「怒んなよ。じゃあ行こうぜ」
立ち上がったは相変わらず背が高く、シックな服装を着こなすためのような体系をしている。この容姿であればボーダーブランドがなくともモテるだろうな、と外で働く姿を想像してまた胸の内をざらりとした黒いものが撫でつける。
「仕事、忙しいんですか」
「あー今は落ち着いたかな。採用担当だから就活時期が山場なんだよ」
手を振った時に見えた腕時計が前見た時と変わっている。がボーダー本部に就職したという話も人伝に聞いたくらい、二宮がと顔を台わせるのは久しいのだからきっと記憶の中と異なるのは腕時計一つだけではないのだろう。
胸に巣くう靄はトリオン体に換装しても消えはしなかった。
「……」
「ごめんなー付き合わせて」
「いえ。元々太刀川が約束守らないのが悪い」
「ほんとだよ、あいつな一」
笑いながら飛んでくる旋空弧月はシールドで防いだが、その狭まった視界のせいで生じた死角を突かれ迅速な一突きが飛んでくる。
「…ッ」
「おお、よく避けたな」
返す刀で腕を切られるが、足元に設置したアステロイドを突き上げる形でぶつけると向こうは一気に距離を取った。
「ううん。やっぱ鬱陶しい」
今の言葉がシューターに向けたものなのか、あるいは。
「考え事してるならその隙に終わらせるぞー」
淡々とした、しかし無駄のない太刀筋。シールドで防いだのは弧月だけで、男の膝から放たれたスコーピオンは二宮の腹部を貫いた。
「んう…っ」
「………痛みなんか、感じないだろ」
独り言のように咳いた言葉。の顔を見る前にベイルアウトとなった。
「お、 やっと太刀川から連絡が連絡きた」
その後も何回か手合わせして、次が最後だというときに無線からの浮いた声がした。
「それじゃあ、次が最後ですね」
「ああ。長い事付き合わせて申し訳ない」
「いえ」
こちらに気を遣うなんて他人行儀な姿が気持ち悪い。そうさせたのは過去の自分なのだけれど。作業的で無機質な早い太刀筋に今度はシールドすら間に合わず、まんまと足払いをかけられ地面に背中を付ける。
「……ふッ」
反射的に目を細めたが逃すまいと目を開けた先、二宮の首を切り落とすように腕を肩口までまわすと目があった。
「……」
淡々と、無機質に。
いっそ嫌いと言ってくれ
『用がないなら俺に構わないでくれ』
一番に来てくれないのなら。自分の順位が目について嫌だった。でもあの時の方がマシだったなんて、そんなのあんまりだ。
この時だけは自分を見る男の顔を睨みながら、そう思った。
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