赤旗あげた
みんなが東さん東さん言うから、終いに俺は東さんの名前を呼べなくなった。
<4−2、リード>
無機質な音が俺の優位を告げ、それから幾分かも立たずに俺の勝利となりB級同士の個人ランク戦は終了する。対戦相手であった小荒井が無線越しに悔しがるのを聞きながら手際よく片付けを進め、逃げるようにその場を後にした。
背後では東隊の三人が集まって試合での振る舞いについて反省会のようなものをしているのを横目に、気付かれぬよう会釈をして急ぎ駐車場へ向かった。
***
「今日はありがとう、」
「は……東さん、お疲れさまです。お礼を言われることはしてませんが」
途中自販機に寄ったのは失敗だった。車に乗り込もうとしたとき後ろから追ってきたらしい東さんに声をかけられる。
「お前、最近は専ら銃手だろう。今日あのブースに行ったのは小荒井達に苦手な動きを分からせるためだと思ってな」
「買い被りすぎですよ。久々に弧月もいいかなと思っただけです」
生意気な返事。自分が嫌になるのに、東さんは口を開けて笑っていた。
「そうだ。その小荒井と奥寺がお前と飯に行きたいと言っていたぞ」
「あの二人も物好きですね。では近々予定を開けておくと伝えておいてください 」
「そういって口約束に逃げるだろうからなんとか説得してくれとも言われてな」
「なるほど……東さんはその駒ですね」
そうでもないと話す事なんてありませんからね、なんて、本当に余計な一言だった。彼が眉を下げて笑うのは怒った時か困った時かのどちらかだ。今はどっちだろうか。下ばかり見てる今の俺には昔のように人の気持ちが手に取るように、なんて事は難しくなっていた。
「じゃあ、失礼します」
「よし、やっぱり今日にしようか 」
「え?」
あまりに思いがけない言葉にドアノブを掴んでいた手が固まる。それほどに今の発言は東さんにしてはあまりに珍しく、同時にこの場をやり過ごそうと考えていた俺は逃げ場を失った。
「……今更ですが、東隊との食事の中に俺がいたら気まずくないんですか」
「みんなお前のことを慕ってるぞ。何度も東隊に勧誘するくらいにな」
これこそ今更だけど。そう言う東さんは少し笑っていた。眉は下がっていない。
「車があった方が、帰りに便利ですもんね。ごちそうになります」
「そういうんじゃないけど、まぁが来てくれるならそれでいいか」
まだ作戦室にいるらしい隊員に電話をかける東さんの背中は昔から変わらない。沢山の信頼を背負った大きな背中を見つめながら、東さんに呼ばれた名前を忘れないよう頭のなかで繰り返す。
(、だって)
今俺、気持ち悪い顔してないだろうか。もう子供じゃないのに、東さんの前ではどうしても格好いい大人にはなれない。
「悪い、急な呼び出しだから片付けまであと10分ほどかかるらしい」
「構いませんよ。どうせなら車、正門のところまで回して起きましょうか」
乗ってくださいと助手席のドアを開けると、少し目を開いて驚かれ、その上「あー……」と唸りながら口を押さえている。今の行動はどこか間違っていただろうか。
「大丈夫ですか?吐きそうですか?」
「今のが吐きそうに見えた?俺としては照れてたんだけど」
「そうですか」
照れる。車の中に何か見てはいけないものでもあっただろうか。いや車はいつでも清潔を保っているからそんなはずはないし俺のズボンのファスナーはちゃんと上がっている。よく分からないが気まずくなるのを避けるためもう一度助手席に座るよう促した。
***
「さんっ!今日はありがとうございます!」
「さっきの対戦もありがとうございました!」
「さん、予定とか大丈夫でした?」
「ありがとう、大丈夫だよ。こちらこそ東隊水入らずの時に邪魔しちゃってごめんな」
そういうとあちこちからそんなことないですという声が飛んで来て心が暖かくなる。出迎えられるってこういうことか。
しばらく賑やかな車を走らせて向かったのはなんてことのないファミリーレストラン。唐揚げもラーメンもデザートもなんでもあるし経済的にも優しい。
そして駐車場が使いづらいせいか綺麗な店内はいつも程よく空いている。俺のお気に入り勉強スポットだ。
今日も愛想のいい店員さんに待ち時間ゼロで案内してもらえた。
「こんな所があるなんて知らなかったです。騒がしくないしいいですね」
「摩子ちゃんならそう言ってくれると思った。ここ、昼間はドリンクバーが安くなるから勉強にはもってこいだよ」
それぞれの前にお手拭きを運びながら辺りを見渡すと、やはり昼間よりは家族連れが多く賑やかだ。もちろん静かな時に勉強するのも好きだがこうした暖かい騒がしさもまたいいもので、心を浸す俺は摩子ちゃんたちの目線に気付かずにいた。
「え、どうした?俺変な顔してたかな」
「変じゃないですよ!全然っ」
「えぇ。ただ嬉しそうな顔はしてましたけど」
「何かいいことあったんですか?」
三人に言い寄られて逃げられない。東さんもこちらを見てにこにこしてるし、そんな注目されるほどのことは考えていないのだけれど、思うことがあるとしたら一つ。
「なんだか、幸せだなぁって。ゲートが開くようになってもこうやって変わらない日常に自分がいられるんだって思うとさ」
日常、という抽象的な言葉に首を傾げながら小寺君はこちらに質問を投げ掛けてきた。
「確かに、ぼくたち家族みたいですね……?」
「か、家族?」
思いがけない言葉につい言葉につまってしまう。だって、つまりそれは──
「確かにそうね。東さんがお父さんでさんがお母さん。貴方たちが末っ子」
「摩子さんはお姉さんですね!」
「おいおい二人とも……」
奥寺と摩子ちゃんが楽しそうに話す横で小荒井はあまり納得していない様子で口を尖らせている。俺だって納得していない。これ以上話が続かないよう反らそうとした時、黙って話を聞いていた小荒井が口を開いた。
「どちらかというとさんがお父さんかな」
「げほッ」
爆弾も爆弾。彼の頭の中でなんでそうなったのかは分からないが今まで黙って話を聞いていた東さんが水でむせる程驚いていたのは少し面白かった。
「えぇ、なんでだよ」
「だってさ、車運転するのはさんだろ。さっきも店のドア開けててくれたのはさんだし」
「あぁ、確かにな。俺も助手席のドアを開けてくれた時は思わず照れたよ」
「は、春さんまで乗らないでくださいっ」
三人の動きが止まった。急いで口を塞いでも声に出た言葉は帰ってこない。誤魔化しようがないほどしっかりと、呼んでしまった。
「春さんって、東さんのことですか?」
控えめに聞いてくる摩子ちゃんの質問に答えたのは東さんの方だった。
「昔は春さんって呼んでくれてたのに、今では基地でも大学でも東さんになっちゃってね」
「何年前の話をしてるんすか……」
頭の遠くの方でどうして変えたんですかと聞く声がする。
「呼べるわけないでしょ」
皆に慕われる東さんに、一人だけ違った呼び方なんて。
「春さんでもいいのになぁ」
『でいい』って、断定してくれればいいのに。
いつだって歩み寄るのは俺の方だった。もうそれも疲れて追うのを止めたときから春さんは東さんになっていた。
「どうしたらまた春さんって呼んでくれますかっ?」
どうして君たちはそんなに楽しそうなんだ。物珍しさに楽しそうな三人の前でもう呼ばないなんて言いづらい。
「俺が、東さんに勝てたらまた、呼ぼうかな」
赤旗あげた
叶いもしない約束。
楽しそうな三人の奥、笑う東さんがどこか困ったような、悲しい笑顔に見えるのは俺の希望的観測だろうか。
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