消えない、
消えない、消えない。
「こっちは何も悪くないんだから謝ることないじゃん?でもその態度がまた生意気だって怒鳴られて」
「いますよね、そういう厄介な人」
罵声が消えない。指差された姿が消えない。
「だからさ、マシンガンぶっ放って蜂の巣にしてやったの。頭のなかで」
「それは物騒ですね」
吐き捨てられた暴言が耳から、頭から、消えない。
「でもさ、非常識な人間のご機嫌とりなんてしたくないし、ムキになっておれも頭は下げなかったよ」
「それ、大丈夫なんですか?」
吐きそうで吐き出せないモヤモヤが消えない。
「ボーダーとして大丈夫かどうかって事なんて、別にいいよ」
「そうかな」
形も色もない、体を重くする鉛が留まって、もうずっと、消えない。
「おれたちが我慢して堪え忍ぶことなんてないんだよ。時枝」
「……」
消えない、消えないんだ。
「頑張りすぎちゃだめなんだよ」
先ほどからついているテレビの内容は耳に掠りもしない。嵐山隊作戦室に先輩とおれの二人きり。他の人達はB級ランク戦を見に行ったけど、そんな気になれなかったため、こうして作戦室のソファーに座り、さんと並んでココアを飲んでいる。この人の作るココアには、少しだけシナモンが入ってる。
拳一つ分離れて座る先輩は、換装を解いているから家でくつろぐ普通の高校生に見える。そう伝えるとにっこりと笑顔を見せた。
「時枝も換装解けばいいのに」
「別にどっちでもそう変わらないですし」
「そうかな、基地の中とはいえトリオン器官は使うし、第一、気を張っちゃうでしょ」
からん、マグカップの中でマドラーは心地よい音を立てた。
「気を張ってる、かもしれません」
トリガーを握って、換装を解く。格納されていた実体が戻ると同時に感じる周囲の温度とか、物の感触をおれは静かに感じている。心なしか先ほどよりもココアが美味しい。
「先輩」
「ん?」
「俺も、少し」
「うん」
消えない。
新人じゃあるまいし。初めてじゃあるまいし。
「少し、こたえました」
手の中のココアは冷たい手によって少しずつ冷めていく。それでもシナモンの匂いは鼻をくすぐって、そのせいだろうか。口にしなくてもいいことがポロポロと。見せなくていいものが、ポロポロと。
「『気にしなくてもいい』なんて、簡単には割りきれないよな」
先輩はテレビを眺めてる。どうせ内容なんて入ってこないくせにそれでもテレビを眺めているのはおれの気持ちを察してくれてるからだ。
「充はすごいよ、いつも一人で立ってるもん」
「……」
「強くたって疲れちゃうもんね」
「今は、少しだけ」
足りない言葉数を補うように、目からはポロポロと。今隊員たちが戻ってきたら、少し嫌だな、なんて。
手のひら一つ分離れて座る先輩の肩は、もう昔みたいに遠くない。そのうち、気付いたらおれの方が高くなってたりしないかな。それでも変わらずにこうやって、自分でも気付かず溜め込んだものを払い落としてくれるのはこれから先もこの人だと思う。
「先輩」
「うん」
「少しだけ、疲れました」
「そうだね、おれも」
いつの間にかテレビは消えていた。
ソファーの下にタオルケットを仕込んでるなんて知らなかったから、きっと先輩が持ち込んだんだろう。おれと先輩、二人で半分ずつかけて、どちらかともなく肩を寄せた。
「疲れたので、もう少しお話を続けてください」
「いいの?かえって疲れない?」
「いえ、先輩の話、落ち着きます」
「変わってるねぇ。でも、充と話したいことは数えきれないほどあるから」
落ち着いた声が肩の上から心地よく聞こえる。二人とも寝てしまうまで、もうしばらく。
消えない、
消えない。
見ず知らずの人に浴びせられた暴言も、先輩の前で泣いてしまった事実も消えないけれど、先輩もおれの横から消えないでくれるなら、消えないのも、悪くない。
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