数多の血に濡れながら、その人は立っていた。
「……頭」
自分の声が震えていたことに気付いて咄嗟に喉に手を乗せるが、既に発した言葉がそんな行動で変わるわけもなく、炎が木や肉を焼く音でかき消えてくれれば良かったのだろうが、生憎その忍の耳に届いたらしく、返り血を浴びた男がゆっくりと、ぐるりと、首を向ける。
「やぁ、撒いたと思っていたがついてくるとは」
「他の忍ならまだしも」
「ふふふ、随分懐かれてしまったなァ」
「そうやって笑うのですね」
いつも布で隠れていた顔をこの時初めてみた。いつ如何なる時も隠しているものだからもっと醜いものだと思ったがなんてことない。ただの忍の顔だ。
「それで?」
「───というと」
「私に最後まで言わせたいのかい」
「どうせなら」
そう言うと男は炎の中に立っているとは思えない程穏やかに口角をあげて笑った。きっと今までもこうやって笑っていたのだ。布のせいで見えなかっただけできっとこうやって、今みたく親のように兄のように寛大な心で無礼を笑って許していたのだ。
(そうでないなら自惚れてしまう)
何時までも口を開かないことを急かすように、炎の中の男は血脂を振り落とすように刀を振るう。口元は相変わらず舟を描いているが、その目元に少しずつ影が落ちていることにも気付いていた。
「今なら、まだ」
勢いを増す炎や崩れる屋敷と割れる木の音が冷静でなくしているのだろう。よりにもよってこの言葉を選ぶとは、あの夜以降も暫く後悔に苛まれる言葉。相手に向けるのではない、自分を救ってくれと乞う言葉。
「今なら、まだ、間に合います」
その言葉には男も歯を見せて笑い、空いた手で顔を覆いながらくつくつと声を上げているのが火の弾ける音に混じって伝わってくる。
「『間に合う』と、私が。どこに。私は今しがた『間に合った』ばかりだよ」
「……」
「一体どうして貴方は」
「気付いてたくせに、何を今更」
落ち着いた言葉でも有無を言わせぬ何かがあって、炎の赤を映した目が見定めるように真っ直ぐこちらに向けられる。身震いを悟られぬよう、半歩前に出る。
「タソガレドキ城には感謝しているし忠誠も誓っている。しかしそれは私の願望を抑え込む程の圧倒的な力とはなり得なかった」
「とはいえ、この村の城に対する貢献は大きかった。それを潰した覚悟もあると」
「勿論。タソガレドキ忍軍を敵に回してもやり遂げる価値のある復讐だ。私は身内に甘いからね」
敵は炎の中にいる。光と音で隠しきれるだろうと打った手裏剣はなんなく躱された。ならば次は自分が覚悟を決める番だ。
「言ったろう。私は身内に甘いんだ。だからお前のことも見逃そう」
「それはこちらの台詞だ」
「ふふ、いい面構えだよ未来の組頭。それじゃあね」
刀を振るうと今まで倒れず耐えていた柱が悲鳴を上げながら緞帳の役割を全うした。追うだけ無駄だと冷静な頭が静かに息を吐く。
「……」
握らされた証拠を持って城へと戻る。
城の重鎮たちはここぞとばかりに元組頭の罵倒を続けるがどれもまともな言葉として耳に入ってはこなかった。
「……気付いてたくせに、何を今更」
「組頭!くーみーがーしーら!」
「そんなに大きな声出さなくても聞こえてるよ」
「ならその座り方をやめてください!忍たまたちに馬鹿にされますよ!」
「一番馬鹿にされているのは出席簿にやられるお前だろう」
「うぐ…!──それにしても、今日はなんの用でここに?」
「んー」
あの人の顔はもっと醜いものだと思っていたが、なんてことないただの忍の顔だった。
感情の一切を削ぎ落とした、何もない傀儡。
「特に理由はないよ」
【数多の血に濡れながら、その人は立っていた。
名なしのBは震えた声で絞り出す。
「今なら、まだ」
その人は、厳かに笑って言った。
「気付いてたくせに、何を今更」
──ああ、私はなんでここに居るんだろう。
#裏切ったあの人】
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