地獄楽/付知


「新年あけましておめでとう」

淡白な新年の挨拶。特に心がこもっているわけでもなく業務を円滑に始めるためだけに口から出た言葉だろうが、付知にはかなりの衝撃だった。

「……年明けたの?」
「あぁ。お前が珍しい異人の死体を解剖している間にもうすっかり日が昇ってらぁ。御挨拶があと一刻したら始まるからそれまでに匂い落としておけよ。と伝えに来た」

おかげで初夢より先に仏さんを見る羽目になった。両方の掌で目元を押さえて天井を仰ぐもそこから立ち退こうとはしない。

「見たくないなら出ていけば」

いつもの決まり文句にはまたいつも通りの返事が来た。

「いや、この解剖の重要性は分かっている。頭ではわかっていても好きになれないだけだ。そこがお前との違いだな。刀を振っていた方が楽しいが、剣術よりこちらの方がよほど世のためなんだよなあ」

腰布につけていた手拭いを手に取ってまだ死体を眺める付知の頰を持ちあげ乱暴に拭う。
死体とはいえ内臓付近に刃を入れれば返り血も飛ぶ。乾きかけた血は布では落としきれずつい力が入り付知はぎゅっと顔を歪めた。

「おっと悪い。後片付けは俺がやるから、付知は湯浴み行ってこい。当代含め段位持ちは全員出席なんだぞ」
「それじゃあは来ないの?」
「嫌味か?俺みたいな末端まで御膳用意してたら山田家は火の車だ」
「寂しいなぁ…あ、そこは、」
「分かってる。ガスがたまるから慎重に、だろ」

としては聞き逃したくない付知の言葉だったが、そこはやはり大切な研究材料に負けてあっさりとした対応になってしまった。いつもの事とはいえ新年からそうなのだからこの一年が思いやられると苦笑いを浮かべるが、首のない死体しかここにいない今誰もの心情を推し量るものはいない。

「ああ臭ェ。この激臭すら気にならずあんな目を輝かせてられるだけで才能だな」

口からは文句と愚痴しかでないが、付知を落胆させたくはないとその手つきは慎重だ。昨年最後の、そして新年最初の死体から臓器を取り出し片付け終えた頃に遠くから衣の擦れる音が足早に近づいてくる。この歩き方は付知だろうという予想を外さず、いまだ頰を上気させ濡れた髪の付知がいつも以上に目を大きくさせて駆けていた。

!」
「止まれよォ。部屋に入ってきたらまた臭いがつくだろう」

何故か興奮気味の付知を宥めながら襖を開け隣の部屋へと促すと、カルガモの子のように後をついてきた付知が我慢できず口を開いた。

!!も式に出ていいって!」
「はあ!?」
「正式には式が行われる大部屋の横なんだけど、控えの人達にも同じ御膳が出るってさっき──」
「待て待て、初耳だし、そういう式への参加はもっと事前に言っておかないとだめだろう」
「でも衛善殿に話をしたら許してくれたよ」
「あぁそんな…俺がごねたみたいに思われたらどうしょう」
「大丈夫だよ。なんか、僕が言ってくるの分かってたみたいな感じだった」
「あんまり大丈夫ではなさそうだな、その感じ」

不安はあるがしかし嬉しいのも事実で、厨の下働きからこの日の献立を聞いていただけに浮足立つのを抑えられない。

「ごほん…とにかく、出席させていただくからには万全を期して望まないと。なんせ衛善殿から許された席だしな。うん、よし、付知も早く支度しないと!まずは髪を乾かせ!」
「ええぇ」

付知はいくらか不機嫌になっていた。が喜ぶと 思って急ぎ戻ってきたのに、余計な事をしたかのように困惑され、衛善に会えると喜びはすれど感謝もされない。こんなはずではと顏を膨らませた。

「付知」

そうは言っても名前を呼ばれ、おいでと促されては断るすべもなく、の前に座っていまだ太陽のにおいがする布で髪を拭かれていた。

「付知の髪はこんなに綺麗なんだからきちんと手入れしないと勿体ないぞ」
「別に、どうでもいい事だけど」

いい匂いである上にの大きな手は慣れた力加減でテンポよく動くので寝ていない体はついうとうとしてしまう。

「隣の部屋とはいえ、今年は例年より付知の近くで過ごせるのはやっぱ嬉しいな」

ふわふわとした頭で聞くの声はやはりふわふわして聞こえる。

「今年は年始めから好調な出だしだ。ありがとな」
「お礼言うのが遅すぎる」

そう文句でも言わないと口がにやついてしまいそうだ。わざと表情を硬くして見せてもには見抜かれてしまったらしい。
笑いながら撫でる手にはどんどん力がこもってきて、我慢の限界に達した付知が両腕を振り上げてからもしばらく笑い続けていた。
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