『猿の威を借る』その後

軍艦に走る緊張感は午前中の間ずっと収まる事はなく、午後には思い重圧に姿を変えていた。伝達事項を伝えた電伝虫はその場を満たす重い空気など我関せずというようにスヤスヤと眠っている。物音すら立てられそうにない緊張感に海兵は静かに唾をのんだ。そんな静かな部屋だからこそ、廊下から少しずつ近づいてくる騒々しい足音はよく聞こえた。

「や!久しぶりだなぁボルサリーノ!」

周囲が目配せをしたりさりげなく部屋から遠ざけようとするものの、その気遣いすら気付いていないのか、男はいつも通り海軍のコートをたなびかせてひと際厚い扉を開けた。この部屋で唯一口を開けて笑うは腕を三角巾で吊っている状。

「……おォ随分のんきそうだねェ」
「ははっ開口一番嫌味かよ!」

ボルサリーノの艦に乗る軍曹は海軍中将黄猿に対してノックもせず入室に、そのうえ敬礼もせず馴れ馴れしい態度で話すに顔をしかめたが、当の本人が怒っているのはそうではないらしい。戒めようとした口を閉じ、上官の言葉をただ待った。

「お前、その腕はどうしたんだァい?」
「見てのとおり折った」
「ふざけてんのかァ?」
「そりゃあこの仕事してれば怪我の一つくらいするだろ」

あっけらかんとした態度で答える姿にボルサリーノの部下は勿論、に同行してきた部下さえ生きた空もないと後ろで組んでいる手を強く握った。気を緩めればボルサリーノから放たれる覇気にも近い圧に気おされてしまいそうだ。

「それよりボルサリーノ見ろよこれ!でっかい魚!こんな腕だからできることも限られててさァ。片腕だけでも鍛錬しようと思って釣りを始めたんだが、これが面白くてな!ほら、今夜の晩酌でつまみにだそう!」
「莫迦だねェ勤務中に酒を許すわけねェでしょうが」
「休息は仕事の効率化に必要不可欠だぜ!」

の部下は慣れた様子でその魚を受け取り厨房へ運んでいく。その様子がまた黄猿の期限を損ねるのだが、それには誰も気付かなかった。

「いやぁ、お前が中将になってからと言うもの別の軍艦に乗せられちまったから寂しかったぜ」
「わっしは静かで良かったけどねェ」
「でた!つれないこと言うなって!」

俗な言い方をすると気に食わなかった。
大佐になり昇任異動の命が出たときは今まであんなにへばりついてきたくせにあっさりと辞令を受け取り笑顔で黄猿の船を降りたこと。どれほどのものか自分の目では確認していないが、サカズキに"狸"と言わせる男がよりにもよって補給艦に乗っていること。散々自分を頼ってたはずなのに、今ではちゃっかり部下を従えているのだから無能を偽っていたのだろう。

「つまらないねェ……」

差し出された湯呑からピキリと音がなった。知らないうちに力が入っていたらしいが、そのまま知らぬふりして飲み干していく。客人用らしい煎茶は不味くはなかった。



ボルサリーノに対して幾度目の大将席への誘いをかわしたその頃、はいまだ補給艦や駆逐艦といった補佐仕事をする船に乗っている。戦艦に戻る気はないのかと問うた時は見飽きた笑みを浮かべるだけで明確な答えは返ってこなかった。とても癪だったので海に投げ飛ばしたのはつい先程のことだ。まだ海に浮かんだままのが手足を投げ出して空を仰ぐ。なんとも腑抜けた顔に光の一つも打ってやりたいくらいだ。

「ボルサリーノ、空を見てみろよ。これは明日も快晴だ」
「あっそう」
「快晴の日は海賊からの襲撃率が30%も低くなるんだよ」
「わっしには関係ない話だねェ」
「そりゃあお前くらい強ければそうだろうな!」

その言葉に皮肉さは微塵もなく、むしろ誇らしげに聞こえるくらいだ。笑った拍子に口に入り込んだ海水をペッと吐いて、でも、と続ける。

「でも、普通の海兵はそうじゃないんだ。とりわけ新兵の中には海賊船を見ただけで冷静でいられない奴もいる」

黄猿は海に浮かぶ同僚を見下ろす事を止めた。話に興味がないのだ。その様子を見ても海に浮かぶ男は気にしていないのか話を続ける。

「今は、海兵を鍛えることに専念したいな。一人でも死なせずにすむようにさ」
「………」

ならそれは、自分と道を違えるということ。

「つまらないねェ」

自らの口をついたセリフを引き戻すかのように咳払いをし、今度こそ舷を離れる。その後男がどのように船へ戻ったかなど興味がなかった。


   ***

〈いつかはなると思ってたけど、いやぁ、めでたいね!〉

電伝虫がこれでもかと顔をくしゃくしゃにして笑う。安易に想い浮かぶの顔を脳内でかき消しまだ糊のきいたコートを肩にかけ直す。

「さすがにガープさんに言われちゃあ仕方ねぇだろォ〜」
「うんうん!とうとう時が来たって感じだな!」
「そういうお前さんはまた昇任試験を落ちたらしいねェ」
「あぁ、俺は中将の器じゃないのさ!ハハっ」
「馬鹿言ってねぇで、さっさと悪魔の実でも食っちまえば簡単だろォ?」
「いや、俺は口にしないよ」

電伝虫をはいつの間にか微笑むにとどまり、目の前にいないくせに真っ直ぐ目を向けられたような具合になりボルサリーノは黙って受話器を置いた。

机に並ぶ数々の祝辞は読まれることなく処分される事になったのだが、それにより一年後のボルサリーノが珍しい驚愕の表情を浮かべを大爆笑させる羽目になることを、当然今の不機嫌丸出しなボルサリーノに分かるはずもなく



「本日付で黄猿大将のお傍で勉強させて頂きます准将です!」
「………………ハァ?」
「あっはっは!その顔見るの超久しぶりっ!」



准将止まりなのはあまり上に行き過ぎると同じ船に乗れないから。悪魔の実を拒むのは溺れた黄猿を助けられないから。全部お前の為だよと笑われ光の速さで腹を蹴り上げた。
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