蛆虫の役割

青空に黒い点を残す蝿が嫌いだった。
死体があるぞと伝える羽音も汚い景色を見て染まったような赤く大きな目も嫌いだった。蝿が嫌いだ。
綺麗な彼の髪に止まり彼が楽しむ“パレット”に止まる蝿が大嫌いだ。

「付知、また髪に蝿がとまってる」
「そんなの気にしてたら作業が進まないから放っておいていいよ」
「俺が払ってるんだから作業も止まってねえだろ」

黙って払うとそれはそれで嫌がるから声をかけているだけなのでいちいち反応しなくていいのに。付知は新鮮な死体に目を輝かせながらもわざりざ俺の言葉に返事をよこす。

「僕も死体も黙ってるから全部君の独り言になると思って」
「いいさ別に。『こいつ独り言多いなあ』って思うやつもいないわけだし」
「『彼』が聞いてるよ」
「耳に音が入るだけでそこからの信号が働かないから『聞いて』はいないだろ。お前らしくねェな」
「ふふ、わかってきたね」
「おかげさまで」

雑談をしているのに付知の手は器用に臓器を取り出していく。

「はい」
「うん。これは──」
「わかってる。もうずいぶん前に氷を詰めておいたから冷えてるはずだ」
「さすが」
「前に駄目にしてクソ程怒られたろ。さすがに学んだ」
「素晴らしいけど、言葉遣いが汚いよ」
「はぁいセンセイ」

暗所に冷やしておいた小さな木箱に今しがた取り出された内臓を入れておく。箱に止まった蝿を親指で潰して袴で拭いた。
どれだけ空腹でも蝿は口にするなと言っていた姉貴は運よく人買いの目についてどこかの岡場所に拾われた。どんな環境であれ飯が食えるところにいけて幸せ者だと思っていたが、俺は姉を上回る幸せ者だ。付知に拾われ袴を履くような人間になっているんだから。

、なんかあった?」
「いや、今戻る」

惚れ惚れする程手際よく解体されていく死体はどんどんと臓器を引き抜かれて体が平たくなっていくのが面白い。土色の肌はまるで生きた人間とは異なると、今ならわかる。

(あの頃の俺達は死んだ奴との違いなんてほとんどなかったけどな)

、鋏とって」
「はい」
「ありがと…あれ、もしかして研いだ?」
「あー悪い。勝手にやった」
「いやいいんだ。ありがとう。後で一緒にやろ」

前に付知がやっていたのを見様見真似でやったからやはり粗があったらしい。だのに文句も言わずむしろ礼を言われてしまうんだから申し訳ない。

「あ、また蝿」

集ってる。何かに集って生きている。同族嫌悪。更に蝿が嫌いになった。

「ふふふ…っ!さて、ここからは細かい臓器を開いていくよ…っ」
「じゃあこっちの体の方は引き下げるぞ」
「まだだめ。あ、そうだ。せっかくだしにお願いしょうかな」
「俺にできる事があれば」
「髪と爪を取っておいて。毛は──」
「頭髪、髭に陰毛。部位ごとに分ける。付知、前にも教えたことを繰り返さなくても大丈夫だ」
「どんどん頼もしくなるね」
「俺なんかに付きっ切りで教えてくれる物好きがいるからな」
「元々素質があったんだよ君は。死体を躊躇なく弄れた」
「だから俺を拾った?」
「そうだよ。がっかりした?」
「逆だ。同情じゃなくて良かった」

付知は小さい声でそっかと言ってそれっきり静かになった。好奇心旺盛な人だからどんどんのめり込んでいるんだろう。
俺は少しでも邪魔しないよう静かに作業を終えて死体を抱え部屋をでた。本当は他の人を呼んで二人で腕と足を持ち抱えて運びたいが、今他の人が部屋に来て付知の集中力が切れても困るし、布で巻いて抱えていけば一人で運べる。鼻につく臭いにも幸い慣れているから問題ない。
首が無いというだけでこうも人間らしさを無くすのならやはり人の魂というのは頭部に宿るのだろう。ならば残った四肢をどう使おうと罰は当たらないはずだ。
死体漁りの俺ならまだしも、医学のため手を付ける付知は何も間違った行いはしていない。だのに何故あいつが役人から蔑られるのか、腹が立って仕方がない。


「君は確かだったか」
「朱現殿、このような姿で申し訳ございません」
「いや構わない。仕事中なのだろう。付知君はいるかな」
「ええ、中で作業をしています」
「そうか」

そう言って朱現殿は俺が端に避けた廊下の中央を歩いて付知のいる部屋へ向かった。あいつは俺の事を分かりやすく嫌っている。それもそうだろう。浅ェ門の門下にくだったわけでもない、罪人に片足突っ込んだような輩が優等生である付知の傍をうろついているだ。目障りもいいところだろう。

「ああ、蝿か」

ならばなるべく視界に入らないようにするのが俺にできる精一杯の気遣いだ。
この死体を片づけたら一旦裏の小屋に避難して、夕餉の前には朱現殿もいなくなるだろうから片付けはその時すればいい。日の位置を確認して屋敷の裏からいつもの川べりへ戻る。
付知が浅ェ門の屋敷にある離れに住めばいいと言った時は腹が立った。いくら助手にしたとはいえ無宿の盗人を屋敷に住まわせるなどただ嘲笑いたいのか冗談かと思ったが、どうやら彼にそういった悪意は一切ないらしい。純粋な男だと呆れてしまった。俺はともかくこいつの株が下がるのは御免なので断ったが最後まで納得していない様子だった。

「お、この匂いはお目当ての……」

「はっ?付知、何でここに」
「お前が勝手に帰るからでしょう。後で一緒に鋏を砥ごうって言ったのに」
「言ってたが忘れてるかと。朱現……殿はもういいのか?」
「うん。明日の調理当番を交代してくれないかって言いに来ただけだし。それより何持ってるの?」
「ハッカ。ようやく見つけたんだ。あぁおい、土で汚れるから触るな」
「何を今更。……へぇ、かなり匂いのある草なんだ」

人体以外には興味を示さなそうなくせに、俺が両手に掬ったハッ力が気になるのか腕を引いて手の中の草を観察している。

「なんでハッカ?この匂いが好きなの?」
「違う。虫よけになるんだ」

俺と蝿との違いはこの匂いに対する感じ方くらいだろうか。
虫はハッカの匂いを嫌がって寄ってこないと聞く。これを付知の作業部屋に植えてやればあの鬱陶しい蝿も姿を消してくれるだろうか。

はやけに蝿を嫌うよね」
「当然だろ。見た目も生き方も、存在も嫌なんだ。消えてしまいたい」
「……。消したい、の間違いでしょ」
「ああ……間違えたな」

茶化すように笑っても付知の黒く大きな目は訝しむように俺を見る。何を言っても効果がなさそうだから流れを遮って屋敷を目指すことにした。できるだけ足早に。

「蝿はすごいんだよ。傷を治す力があるかもしれないんだ」
「は?」
「正確には蝿が産む蛆の方なんだけど」

付知日く、本来治らないはずの皮膚に蛆が集まった事でわずかに修復された例があるとか。

「それ、作り話じゃねぇの?」
「実話だよ!蛆が傷を治したのか人体の修復力をあげたのか人体の皮膚に似た粘液をだしているのか…まだ詳しい事は分かってないしどうやら死体には効果がないらしいからまだ書に認める程の材料もないんだけど、とにかく蛆はこれから先、人体の治療において希望的効果があるはずなんだ!」
「へぇ」
「気付いてないだろうけど、本当に助けられてるんだよ。蝿にも、君にもね」
「俺は、偶然居合わせてアンタに拾われただけだ」
「偶然じゃないよ。あの時、君があぁ言ったから」
「ア?なんか言ったっけなァ」
「覚えてないの?」

『死体を屑のように捨てるのが正解なのか?頭を供養したら残されたモンが残った部分を有効に使う方が余程供養だろ』





「刃物の研ぎ方を教える前にこの葉の鉢植えを探さないとね」
「ンなの首桶でいいだろ。腐るほどあんだから」
「言葉遣い」

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