どうかここから

師匠にどういう意図があったのか弟子として傍で学んでいてもその全てを理解することは難しかった。
何故自分一人を使いに出したのか。道行く人々からの視線は冷ややかであり不審がり、奇異の目が俯いて歩くツェッドに向けられる。幸い師匠に頼まれていた魔道具ショップはあと2ブロック先を曲がれば着く。
気にすることはないと頭では分かっていても、つい足早になるせいで路地の向こうからくる男との距離を見誤った。

「痛ェ!」

横に立つ男の突然の大声に周囲からの視線が集まった。一番驚いたのはツェッドだ。今のはぶつかったというより多少肩が触れたかどうかという具合だったので痛みが生じることはまずあり得ないのに。

「こいつ俺から財布盗ろうとしやがったッ!」
「なっ!?僕は何も…!」
「やめろ!来るな化け物!」
「……ッ」

その一言はツェッドの足を止めるのに容易く、これ以上何を言おうと自分の無実を晴らしてくれるものはいないだろうと言う事もここに来るまで浴びてきた視線を思えば明らかで、呼吸ができなくなるのを必死に抑えようとすればするほど地面がゆがむ感覚に陥った。
膝に両手をつくだけで小さな悲鳴が上がる始末だ。水槽の中で師匠が言っていた言葉を思い出す。自分にとってなんと苦しい───

「双方、落ち着いてください」

間に入った男は両者との間に距離を取ろうと手で制するが、興奮した男は両手を振り回しながら突如割り込んできた男に対し警察を呼べと声高に叫んだ。

「うっせ…この距離でそんな大声出さなくても聞こえますよ」
「見てなかったのか!?こいつがぶつかってきて俺からスろうとしてたんだ!」

既に野次馬は集まり渦中にいる三人を遠巻きに見ている。ギャラリーという味方を得た事で男の被害を訴える声はでかくなるばかりだ。

「皆も見てたはずだッ」
「俺は見てませんね」
「ハァ!?」

予想しなかった返事にツェッド同様男がすぐさま反応し、胸倉をつかんだ。

「今のは見てないが、お前が前に強盗傷害事件を起こして逃げる姿は見ているよ」
「な…!?」
「それに、ヘルサレムズロッドで横領を働いて逃げてるんだっけ?」
「お前、なんでそれを…!」
「なァ、おあいこにしようぜ」
「何がおあいこだ!今回の件に関しては、俺は被害者だぜ!警察を呼べ!」
「少しは察しろよ」

胸倉を掴んでいた腕を握り返して、興奮し暴れださんとする男を地面に叩きつけた。

「俺が警察だ。このままワッパかけてH・Lに送る事だってできるが、どうする?」
「いや…、それは…っ」
「折角『おあいこ』にしようと言ったのに。あー勿体ねぇ。あそこにゃ警察より怖い奴らがわんさかいるよなァ」

いつの間にか到着していたパトカーに乗せられる男は先ほどの勢いが嘘のようにしおらしくなり、警察と自称する男に対して「さっきの交渉を……」と繰り返していた。

「今更遅い」

パトカーが進みだしたのと同時に集まっていた見物客も見世物は終わったと散り散りになる。人が減るのと同時に冷静さを取り戻したツェッドがふらふらと男の元へ近づくと、それに気付いた男が駆け寄り、ツェッドの手をとった。

「犯人逮捕に協力してくれてありがとう!さ、こっちで話を聞かせてください!」

有無を言わさぬ要領の良さに流され気付いたら男の車の後部座席に座らされていた。先ほど咄嗟に手を取ったり、今も自分の背後に座らせたりと一切警戒されている様子がない。
震える喉で何故か理由を問えば、男は運転席から顔をこちらに向けて話し出した。

「あ、首痛いからこっち側に座ってくれないか」
「は、はぁ」
「なんなら助手席に来てもいいんだが」

スモークフィルムの貼られた後部座席ならまだしも助手席は外から丸見えだ。すぐさま遠慮して男が話し出すのを助手席の真後ろの席から待つ。

「俺は。この都市で警官をしてる。そこそこ名前が知られてると思うから、何か困ったことがあれば俺の名前を出すといい」

と名乗った男は署に帰る途中だったらしい。それを聞いてツェッドが首を傾げたのは脳内に浮かべた地図に警察署が無かったからだ。それを告げると声を上げて笑われた。感情表現の豊かな男である。

「ああ〜似た名前の通りがあるんだ。アンタが行きたい道具店はここより少し東にある通りだろ」
「そんな……」
「送るよ。先ほどの詫びだ」
「詫びもなにも、助けられたのはこちらの方です」
「いやぁ、不快な思いをさせただろう?」

その言葉に否定はできなかった。あのままが現れなかったらどうなっていたか想像もつかないし、考えるとゾッとする。
むしろその状況を打破してくれたのだからやはりお礼を言うのはツェッドの方だと思うのだが。

「人間は知らない物に恐怖を抱きがちだ。知ってしまえばなんてことないものにも恐怖し遠ざけようとする。さっきはそういう人間の集まりだったろ」
「貴方も僕とは初対面ではないですか。何故こうも面倒を見てくれるのですか」
「気を悪くしないでほしいんだが、アンタは目立つだろ?進行方向も一緒だったし、目についてな」

大きな体を小さくさせて道の端を歩くのを後ろから見ていたという。僅かに周囲を意識していたとはいえ、人に指摘されるとなんとも惨めな思いになる。

「さっきだって、俺が手を握ろうとしたとき傷つけまいと手を変に硬直させたろ」
「……」
「会社のボランティアに積極的ないつもニコニコサラリーマンが女を犯し、家の周りを監視カメラで囲い俺たちに睨みを利かすヤクザ共がクリスマスには児童施設にプレゼントを贈る世の中だ」

ガワなんて関係ないよ。
ヒューマンだらけの街を公用車で走らせながら街の治安を守る警察官はそんな事を言っていた。

「貴方のような人が……」
「ん?何か言ったか」
「いえ、何でもありません」
「そうか。ほれ、この角の店が目的地だ」
「……普通の飲食店に見えますが」
「ああ。ここのカレーが旨い」
「……」
「そんな目で見るなよ!本当にここさ。俺も詳しい事は知らねぇが、なんか店主に伝えるよう聞いてねーの?」
「──ああ。そうだ」
「思い出して何より。それじゃあな」
「あの…っ、本当にお世話になりました。この御恩は必ず──」
「いいよいいよ。街の人助けるのがお巡りさんの仕事。また今度会ったら親しみをこめて手を振ってくれればそれでいいよ」

ごく普通の市民応接。その対応にツェッドが何を思ったかはきっとこのガラの悪い警察官は知らないだろう。

「ありがとうございます」

車のエンジン音に負けてしまったお礼の言葉はきっと本人に届いていないだろうから、もしまた会えたら手を振ろうと次があることを期待しながら店のドアを開けると確かに、カレーのいい香りが店の中を漂っていた。



「ちょうどH・Lに戻る途中に拾ったんだ。普通の街の警官なら他の奴でも務まるが、この街でやって行くにゃあこいつくらい肝の座った奴でないとな!」
「いやあ、ここに来る道中何度死にかけたことか。面白そうだからとついては来たが、流石に後悔しましたね」

レオナルドやザップ達と外で昼を食べて戻ると、どうやら客人がいるらしく部屋から談笑する声がする。クラウスやスティーブンの他に"豪運のエイブラムス"の声が聞こえ入室をためらう二人と異なり、ツェッドはどこか駆け足で中へと入って行った。

「あなたは…!」
「やあ!アンタはあの時の!人が悪いなぁ、ライブラの人なら言ってくれりゃ良かったのに」
「いえ、僕もあれから色々あって……」
「そっか。そういえば君の名前を聞いてなかったな」
「ツェッドです。ツェッド・オブライエンと申します。警察官」

遠慮気味に右手を出して小さく手を振ると、それを見たは心底嬉しそうに笑って敬礼した。

Back