こっからが本懐
テンポよく数字が上がり続けたかと思いきや一気に落ちこんだり、矢印は赤と緑に忙しく変わる。もう後場のはずだよなと時計を見上げた時に時間と、人影を確認した。家主が何かするより早くにその男は掃き出し窓の縦框に手をかけて室内に入り込んできた。
「そこは玄関じゃないぞ」
「ア?不用心に鍵開けてる方が悪いだろ」
「サチコさんのために開けてんだ」
「そんでそのサチコは?」
「散歩中」
「へっ。タイミングいいな」
我が物顔で家に上がり込んできた青嶋庄吾は片手でカーテンごと窓を閉めてから、かけていたサングラスを頭の上にあげた。鋭い目つきでパソコンの前に座ったままの家主を見下ろすが、当の男はまたパソコンに向き合ってしまった。
「おい、わざわざ会いに来てやったんだぜ。茶ぐらい出せよ」
「うわ、すげぇ生意気。今手が離せないから飲み物くらい自分でやれ」
物の場所も把握してるくらいに通ってるんだから。そう付け足すと青嶋は舌打ちをしてキッチンへ向かい、しばらくしてプルタブのあがる音がした。買い溜めておいたビールが開けられてしまったらしい。
「おい」
「んっ……なんだよ。盛ってんな」
「そのために来たんだろうが」
「庄吾、待て。まだザラ場が開いてる」
「……」
泣く子も黙る恐ろしい形相だろうが、施設にいたころからの見知った仲ともなれば何とも思わない。ただ盛った男を宥めて目の前の数字に集中するのは難しくはあるが。その間も青嶋は不服そうな顔でビールをあおり続けていた。
「チッ、くそが。我慢ならねェな」
「……」
「お前に俺より優先するもんがあるってのかよ」
「ねェよ。お前が一番に決まってんだろ」
「ならさっさと相手をし──っん、ぅ!?」
「ハァ…うるっせェ」
噛みつくように唇を奪って、逃げようとする後頭部を抑え好き勝手に口内を貪った。青嶋の口元に残る傷跡から零れる涎すら逃がさないと嘗めとって、僅かに震える膝を抱き上げベッドへ押し倒す。
「テメェは散々放っておいて随分好き放題じゃんなァ?」
「ハハ。ようやくその気になったか」
「わりとずっとその気なんだよ。──泣かしてやる」
の言葉を受けて青嶋は目を細め笑った。
***
「サチコさん、邪魔しちゃだめだぞ。あいつは疲れてるから」
遠くの方での声が聞こえる。体はだるくて頭も割れる様に痛かったしまだ意識も覚醒していなかったからただ黙って聞いていた。は優しい声で”サチコ”に話しかけていた。
「今日の朝飯は豪華だぜ。客人仕様だ。ほら、サチコさんのもある──あぁこら、サチコさん」
「……お前にゃ狸寝入りも通じねぇか」
「なんだ、起きてたのか」
「体中痛ェ、クソッタレ」
「相変わらず口が悪いなァ。小町ちゃんに怒られるぞ」
”サチコ”を撫でる手が止まり、先ほどまで頭を差し出しいていた猫もその雰囲気を感じてかベッドを降りの膝にすり寄った。も同じことを察したのだろう。ただ黙って机に朝食を並べていく。
焼いたパンからただよう小麦や挽いたばかりの豆から立ち上るコーヒーの匂いが荒んだ心を落ち着けた。なんて平和な匂いだろう。自分には似つかわしくないと思うからここにはあまり立ち寄らないようにしているのに。
「庄吾」
「ん」
「お前の分のコーヒーも入れていいのか?つーか起きれる?」
「起きれるかよクソ。ア゙ー…容赦なくヤりやがって」
「言ったろ。『泣かす』って」
青嶋のかすれ声を聞いてかコップを片手にベッド横までやってきた。髪からつま先まで整えられた姿でいまだ起き上がれずにいる青嶋の髪を撫でる。なんとか叩き落とすが、動けないのだからできて目を逸らすくらいのことだが。
「クソ……調子乗りやがってクソが」
「あのさァ、その『クソ』って個人的にもやめてほしいんだよな」
「あ?」
「お前がイく時すっげぇ連呼するから嫌なパブロフの犬みたいになってんの」
「死ね」
「アダダダッ!力加減考えろボケ!」
「こっちの台詞だッ」
そのままが第二回戦を始めようとしたため掴んでいた頭を押し返す。ベッドの足元から転げ落ち派手な音がしたが知ったことか。キザ野郎の痛がる声を聴いて少しばかり愉快な気持ちになった。
「ッんとにお前は…サチコさんより猫みたいな奴だよ」
「ア゙ァ?」
「気まぐれに表れては自分の欲しい時だけ相手を求めて相手から伸ばされた手は拒むんだ」
ナイトテーブルに置かれた水を飲み干している間にベッド横に戻っていたに目を向ける。何でもないフリをしててもその目にあるのは青嶋への憂患と慈愛が滲み出てきて、とにかく、その目が嫌いだった。
「”職場”で何かあったのか」
「なんもねェよ」
「あっそう」
ブルーキーパー様相手に、庇護する側に回ろうとするんじゃねェ。
「お前が急に来るから昨日の株は60万の大損だ」
「ハッ、そんなはした金でいいなら俺が補償してやるよ」
「……。いや、別にいらねェよ金なんか」
先ほどまでにやにやと笑いながら青嶋の横でタバコを吸っていたのに、まだ半分も吸っていないタバコはいまだ湯気の立つコーヒーの中に落ちていった。
「お前といられる時間があんなら、金なんかどうでもいい」
「盛ってんのはどっちだ」
「今度は優しくするからさ。……恋人のように」
青嶋が反発するのを嫌がる様に口をふさぐ男は、子供のころはヒーローごっこや警察ごっこをして遊んだが、いまでは恋人ごっこにご執心だ。
(何度煽ってこようが『恋人』なんざ名乗らせるかよ)
大切なもん抱えるなんざ、今の立場を退いてからだ。前にそう話した時、はどんな顔をしていただろうか。思い出そうにも今目の前にいるのはどこまでも目をぎらつかせた悪友だけで到底思い出せそうにもなかった。
***
それでそのあと、どうだったか。
足元の猫は飼い主を心配するように鳴いて体を擦り寄せる。
作業音代わりにつけていたテレビをぼんやりと眺めながら霞がかった頭をなんとか動かして記憶を手繰り寄せた。邪魔をするかのようにニュースの音がうるさくて電源を消すと随分と老け込んだ顔の男が映りこんで、目も当てられない。
「そうだ…あの後夕飯を作らされて……」
買い溜めてたビールも全部空けて、くだらないテレビ見ながら文句言ってタバコを吸いながら別の酒を開けたくせに、青嶋庄吾はすぐ大欠伸をして持て余していた。酒を取り上げれば怒るくせに酔眼ではが顔に触れる事すら拒まなかった。
家に上がりこんで来た時よりも穏やかな顔にが安堵したのを青嶋は気付いていないだろう。不器用な男だから隠し通せたと思っていたに違いない。
でもお前がここに来るのは泣きたい時だけだろう。
「なら俺が泣きたい時はどうしたらいいんだよボケ」
こっからが本懐
「…………。……お前ひとりで来たのか」
「あ?そうだけど」
「あの猫は」
「サチコさんは元々半野良だ。俺がいなくとも他に食い扶持はいくらでもある」
「そうかよ」
「それに、あれも道連れにしたんじゃお前に半殺しにされんだろ」
「そりゃそうだ」
傷だらけで、もはや頭部を守る役割すら果たせないようなヘルメットには血や泥がべっとりとしみついてとてもあの輝かしいヒーローとは思えなかった。
ぶらりと降ろした両腕はそれを取ろうとしないらしい。がズカズカと距離を詰めても、その汚れたヘルメットでは目が合っているのかもわからないのに。
だから代わりにが手をかけた。両手に付くどろりと濁った血も気にならない。ブルーキーパーはそのマスクが奪われる事を拒まなかった。
「くは、なんだその情けねェ面」
「……テメェの馬鹿さ加減に呆れてんだよ」
ヘルメットを脱がせて、は笑い、青嶋は更に眉間の皺を深めた。両手に持っていたヘルメットを投げ捨て勢いよくキスをしたのは青嶋の矜持を守るためだ。
「ようやく重ッ苦しいお役目を捨てられたのになんで泣くんだよ」
「誰が泣くんだよカス、死ね」
「くはっ!もう死んでるっつーの」
これでようやく彼氏面できるんだ、俺は嬉しくてたまらないけどなァ。
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