褒美と称するものでもない

その男を初めて見たのは命を受けて江戸から幾らか離れた刑場まで向かう道中だったと記憶している。



「お役人様、折角遠路遥々この町まで来て下すったのに申し訳ねぇ。今この町にゃ急ぎ働きをする盗賊が出ておりましてね。日が落ちる前には門を閉めちまうので外出はお控えくだせぇ」
「物騒なものだな」
「へぇ。何せ押し入れた店のもんが皆殺されていますからねぇ。なかなか捕まらんのです」
「そうだろうな。証拠がないのでは捕まえられない」

宿の主人は深々と頭を下げ襖を締め部屋を出た。この客室には私一人だったが、壁を伝って幾人もの男の声がしていた。それなりに客が入っているようだ。奉行所のお取り計らいで案内してしまった旅人宿はなかなかに華美な装飾で、応接間に飾られた水墨画も名の知れた画家によるものだ──あれが贋作でなければの話だが。絵の目利きは専門外だからなんとも言えない──

「用心するに越したことはないな」

夕餉が運び込まれた後は戸に支えをし部屋の角で刀に寄りかかる形で体を休める事にした。元々慣れない土地で眠るのは得策ではないが、ここは特にきな臭い。


浅い眠りの中、廊下の向こうから足袋が床を擦る音が聞こえ意識を覚醒させる。

「よォ、逃げ果せたと思ったか?」

予感というのは当たるもので
血濡れた男が襖を斬り伏せて部屋へ押し入ってきたのと同時に、足払いをし首を畳の方へ落とした所で刀を抜き振り下ろす。

「……あぶねぇな」
「!!」

元々寸止めをするつもりであったとはいえ、裏返した刀で受け身を取られるとは思ってもいなかった。一度大きく下がり間合いを取ったのは相手も同じで、刀から人の血を垂らす男は獲物を両手持ちに変えてこちらに向き合っている。

「今のは首が落ちたと思ったぞ。なかなかの剣の腕前なんだな」
「……」
「喋るのは嫌いかね。うん、まぁいいや。俺も早く仕事を片付けたい」
「お前が、指揮を取っているのか」
「あぁそうだ。つっても部下なんか大した数いないから───」
「なら、お前を封じ込めれば解決だな」
「……やれやれ、抵抗するならその場で殺してもいいと言われているんだが」

そうは言いつつ殺す気はないのか相手から伝わるのは殺気ではなく浮ついた空気だけで、如何せん悪事を働く人間を殺めることはあれど、こうして生きた状態で対峙することはそうないため勝手が分からない。そもそも思考に専念できるほど余裕のある相手ではなかった。刀の重み、我流なのかどの流派にも馴染まない読み辛い動きや、手物の道具を使った不意打ちや目くらましなどとにかく実戦の為の刀。

(あぁ、力強いな……)

こんなに力強い剣捌きは、今までの人生で見たことがない。

「勿体ねェなぁ!お前さん程美しい剣の腕を持ちながら何故盗賊に身を落としたんだい!?」
「───何?」

今の発言はどういう意味だ


の旦那ッ!」

部屋に駆け込んできた男は真っ赤になった手や袖を気にしている余裕はないらしく、大声で男の名と思われる言葉を叫んだ。

「盗賊は捕えたあいつらで全員です!」
「ア?」

男の手には十手、『旦那』、捕えた盗賊、突如刀を下ろした男。どうやら誤解をしていたらしい。

「……すごいなあれだけの勢いで振っていた刀をぴたりと止められるとは」
「お前こそ、敵を前に刀を下ろす胆力は見上げるものがあるな」
「馬鹿にしてるだろォ?まぁ、俺の勘違いで刀を向けちまったんだからそのまま切られる覚悟だったよ」

の、と呼ばれた男はもう先程の獣のような眼ではなくなっていた。岡引であろう部下に新たな指示を出し、男はまたこちらに向き合った。

「あー……なんと詫びたらいいかな」
「構わない。切ってしまった襖も盗賊団のせいにすればいい」
「ははっ!話のわかる奴でありがたい!いやぁ、何より、あんたの美しい剣がくそったれな事に使われていないのなら何よりだ」
「……」

美しいなどと、不釣り合いな言葉の意味が一瞬理解できず固まった。御様御用の仕事を後ろめたく思っているわけではないが美しさを追求した剣でない事は確かだ。むしろ私には───

「君の刀捌きの方がずっと見ていられるよ」
「なんの。それで、あー……俺は、と言う。アンタは何者だい?どこかの侍だろうか」

言われるがまま名を名乗って、感嘆の声をあげたのが『じゃあお前の仕事を増やしちまったわけだ!』と返り血まみれの顔で笑った顔を、今でも忘れずに覚えている。



「おうい。おい衛善よ」
「……」
「珍しいな、風邪でもひいたか?」
「何故」
「あまりに気の抜けた顔をしていたから」

言われて無意識に顔に触れる。ここ数日多忙ではあったが疲労が顔にでていたのだろうか。霞がかかる頭を叩いて目を覚ます。のはにやりと笑いこちらを見るばかりだ。

「……何が面白い」
「いやなに。いつも緊張感のある男だから珍しくてなァ」
「情けない話だがここ数日仕事が立て込んでいてな」

奇々怪々な事ばかり起きる黄泉の国に、それも悪名高い罪人と共に行かせねばならないという。そもそもその悪人を選ぶのも我らなのだとすれば必要なのは剣技だけでないだろう。若い衆を危険に晒したくはないが、幕府の命であればそうも言っていられない。

「大方仕事のことだろう?何やら上が騒がしい」
「……なんの事だ」
「箝口令が引かれたって人の口に戸は立てられぬ。俺たちの間でも静かに話題なのさぁ。詳しいことはわからんが、なんだかあちこちでちらほら罪人が移管されている」
「……」

既に幕府の者が下公儀御免状を手に外へ出ているらしいが、それを見たのだろうか。のの表情が明らかに冷ややかなものになった。

「だがまぁそのまま逃げようと暴れる極悪人はァ……うん。処刑場に連れて行く前に"うっかり"殺してしまっても仕方なかろう?いやぁ御上の期待に添えず申し訳ないがなぁ」
「お前のそういう所はうちの殊現によく似ているよ」
「シュゲンってお前の部下だっけか?へへ、偉いなぁお前は。自分のことだけじゃなく人の面倒まで見られるんだもん」

笑うはもう普段通りの顔だった。むしろこいつが人を褒めるときの顔はものすごく甘ったるいからつい目をそらしてしまうのだ。

「衛善はもっと褒美を貰うべきだろう。これで浪人扱いとは幕府様ももう少しお考えにならないと」
「おい、馬鹿を言うな」
「安心しろよ、ここには俺らしかおらん。そうだなァ…俺が何かをやってもいいが、何か思い浮かばんか?」
「特にないよ」
「そうだろうなァ。ははっ!残念っ」

褒美など、欲しい物などあるものか。これは上命だ。遂行して当然のものに褒美などあるものか。ただきっとそれではこいつは、のは納得しないだろう。

「五日後、私は屋敷の裏で鍛錬をするつもりだ」
「へぇ。ならその時までに考えておけ。俺も必ず行くからよ」
「お前は日付を数えるのが不得意だから宛にはしないがな」
「やれやれ。手厳しいなァ!この、約束さえしちまえばきちんと守る男よ!」







次に山で会った時にはお互いその話など忘れていたし、むしろの方が名前を呼べと何度目かの要求をしてくる始末だった。



「呼べるものか」

名前を呼べば、友だと知覚してしまえば弱味を晒すことになるだろう。

「しかし、あぁ……そうだな……一度くらいは呼んでやればよかったかな」

の名で届いたものはがらんの画眉丸の調書にある捕縛時の死亡者名簿だけ。

「………………」

いつか、いつか私がそちらに行った時は思う存分名を呼ぶよ。だからその時は共に酒でも飲んで労ってくれ。

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