我が儘の言い分

弟子を取る立場にはないと何度上申しても無駄であるとわかっているが、自分自身が未熟の身であるのに人に剣を教えるとこには躊躇われた。それが建前だと指摘された後で出てくる本心は自分の鍛錬に時間を使いたいという決して人には告げられぬ理由だけだ。目上の者の指示であれば従うほかにない。
鉄心が門をでてまだー月、自己研鑽に励む時間を削らねばならない事を口惜しく思いながらの顔合わせは、きっと向こうにこちらの気持ちを気付かれてしまったのだろう。名を「」と名乗った男は一番初めにこう言った。

「貴方の邪魔は致しません。身の回りのお手伝いはなんでも行います。丁稚奉公にきたとでも思っていただければ構いません。なのでどうか、ここにおいてください」

両手をついて、床に額がつくくらい深々と頭を下げる姿に我に返る思いだった。

「……ああ。日々の鍛錬を励むように」

男は頭を上げることなく返事をした。

男は、鉄心とは対極のような人物だった。
早朝から屋敷のことを行い、隙間時間があれば道場の隅で素振りを行っていた。元々剣を嗜んでいたのか基礎的な構えに不備はなく、肉体も鍛えているのがわかるほどだ。

「何故ここの門下に下ったんだ?見たところ君は武士の出だろう。独学で学んだとは思えない」

士遠の指示であればなんでも従い首を横に振らない男が唯一拒んだ問い。

「ただ貴方の太刀筋に惚れ込んだだけです」

嘘ではないが、肝心な事は一切口にしていないのは分かっていた。

「そうか」

深入りして時間が削られる事を考えると気付かないふりをするほうが楽だったし、も安堵したように肩の力を抜いて道場を出て行ったのでこれでよかったのだ。
一人になった道場で己の研鑽に励む士遠は既にの事は頭から抜けていた。


   ***

「あいつの様子はどうだ」
「あいつ…とはの事ですか?」
「今お前についてるのは彼だけだろう」

衛善の嗜めるような声に士遠は肩をすくめた。

「真面目な奴ですよ。一度言った事は忘れず毎日行いますし、無駄な事は喋らない。見たものを自分の物にするのが得意なようです」
「そしてお前にとって都合のいいやつだ」
「と、言いますと?」
「……いや、いつか自分で気付くといいな」

衛善がそれ以上何も言わないのは朝稽古を行う門下生たちがちらほらと現れだしたからだ。その中にはもいて、士遠に気付き小さく頭を下げたのに対し士遠も頷いて返事をする。
は士遠に教えを乞うでもなく他の門下生に混ざり黙々と刀を振るっている。仮にも師としてついた以上あまり放っておくのも気が引けて声をかけるとは心底驚いた様子で刀を握る手にカが入った。

「精が出るな」
「いえ…まだまだです。素振り一つとっても貴方には遠く及ばない。早く許しを頂きたいのに」
「焦ることはないよ。実際、君が来た当初より太刀筋は鋭くなっている。腕の筋肉が適切に鍛えられている証拠だ」
「ありがとうございます。光栄です」

しかし声は沈んだままで、何か気の利いた冗談でも言えばいいのだろうかとも考えたが結局何も浮かばず精進しなさいと一言告げるに留まった。もいつもと同じように一礼をしてすぐに稽古へと戻るが、竹刀の扱いについて士遠ではなく別の兄弟子に教えを乞うていた。

「私に聞いてくれていいんだぞ」

兄弟子が他所へ行った時を見計らい一人素振りをするに本日二度目の声掛けをした。

「いえ……」

は先ほどと同じく静かな声で答えるが僅かに動揺もしているようだった。

「君は私の弟子なんだから遠慮しないでいい」
「ありがとうございます。でも貴方には迷惑でしょう」
「ん?」

次の動揺したのは士遠の方だ。勿論態度には出していないが。

「初めてご挨拶させて頂いた時に分かりました。貴方は己の剣技を磨きたい人だし、そうすべき人だ。それを知ったうえで貴方の剣を学びたいのです。弟子だなんて思わなくていい。ただ見ていたいのです。最初に言った通り、貴方の邪魔は致しませんので」

この時のはえらく饒舌だった。機嫌がよくて口が軽くなっているのではなく、士遠に余計な質問をする間を与えまいとするような口ぶりで、ただ邪魔はしないから傍においてくれと繰り返す。

「……わかった。でも、聞きたいことがあるなら私に直接聞きに来なさい。君が来てからというもの身の回りの世話がかなり楽になってね。時間は大いにあるんだ」
「ありがとうございます」

先生、と言いかけてやめたのだろう。中途半端に漏れた声にはまだ気づかないふりをしてしまった。


   ***

次に先生と呼ばれたのは、今まさに首が落ちようという元弟子からだった。

「……」

先生、ごめんなさい。
何度身を清めても何度剣を振るっても耳についた言葉が離れない。いかんともしがたい、形容しがたい思いで身が焼かれそうだ。

「藩が取潰しになってから父は人が代わったように乱暴な男になり、盗賊にまで身を落としました」

皆が気を揉んで近づかなかった道場に足を踏み入れ身の上を始めたのはずっと邪魔をしないと唱え続けただった。

「押しかけた宿屋の者だけでなく見廻り御用のお役人まで傷つけたので処刑は当然だと思っていました。唯一情があるとすれば、家族の為にやっていたと言い残した事でしょうか」
「そうか……君は、""か」

まさか一日に二度も自分が命を絶った相手について向き合うことになるとは。
無論人斬りの業として向き合う覚悟はできているが何も今でなくてもいいだろうと否定の言葉が喉に張り付く。

「私は母に隠れて父の最期を見に行きました。これからあの首に何度も刃があたり、父の情けない叫びと白装束が赤くなる様を見るのかと思うと憎んでいた父も哀れに思えてきましたが、結果そんな事はなかったのです」
「……」
「山田浅ェ門土遠殿、貴方の刀に救われた人は確かにいます。それも一人二人ではなく、たくさんいます」

の声は少しずつ上ずり声が掠れるのを必死にこらえていた。

「心の弱さが人に悪事を働かせるのなら彼の行いは貴方だけのせいじゃない、貴方は悪くない」
「今日はえらく饒舌じゃないか。君がそんなに喋る男だとは思わなかった」
「ええ、失いたくないものを前にするとつい必死になってしまって」
「失う?別に私はここを去るつもりはないよ」

目が見えない分研ぎ澄まされた耳を持つ士遠は自分の声色には常に注意を払っていた。下手に感情を読まれないよう気を付けているがこの時ばかはの自分語りに嫌気がさし声にも怒りの色が滲んでしまう。
察しの言い男だからきっと伝わっているだろうに。

「失った…すり減った心はそう簡単には戻せません」

私がそうだから。
は聞き逃してしまうほど小さな声でそう言った。

「他の顔を知っている分、知人の死に顔は呪いのように心を蝕みますよね」

苗字を聞いてすぐにわかった。ある城で起きた大規模な謀反が人知れず終息したのは城主側にいた一人の武士によるものだと。調書を取るべく向かった城は真っ赤であったと現場に行った役人らが震えながら語っていた。

「俺は貴方に裁かれたくてここに来ましたが、知人を殺めた咎を貴方が背負って生きるというなら、その姿を見て生きたい。私に道を示してください。先生」



「ならこれからはもっと会話をしよう。今日は君に驚かされてばかりだ」
「……ぜひ。もしお邪魔にならなければ」

は笑っていた。その泣きそうな表情につられ士遠も口元を緩ませた。

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