意地悪な人
屋敷の戸は軽やかに開く。手紙を出す遣いに出ていたが帰ってきたのだ。本日裁く筈であった罪人の急死により急遽非番になった士遠は、休みを持て余し一人縁側に座っていたため誰よりも早く彼の帰宅に気付いた。おかえり、と声をかけられたはといえばまさかの出迎えに一度体を揺らしたが士遠の姿を確認してすぐに穏やかに返事をする。
「おや、随分楽しそうだな」
「すごいなぁそんな事まで分かるのですか?」
「いいや。ただ私には耳があるのでね。君の鼻歌はしっかりと聞こえたさ」
「意地悪な人」
「ははは」
もわざとらしく声色を変えて息を吐いた。自分でも気づかぬうちに鼻歌を歌っていたのだと指摘されてわずかに恥じらいを見せるが、士遠が一つ鼻を鳴らしたのを見て即座にその手に抱えたものを掲げて見せた。
「花です。花を頂いてきました」
「ほう。いい香りだがあまり馴染みがないね」
花の方に顔を向ける士遠に合わせるようにも士遠の横に座る。昼間という事もあり道場から離れた位置にあるこの縁側には二人以外誰もいない。二人はどちらかともなく肩を寄せて話すのが常であるので、この時も間に花を挟んでいるがいつも通り秘密話をするように相手の方へ肩を傾けて座る。
「この間、ありがたいことにお小遣いを頂きましてね。お遣いを終えたら帰りに岡場所にでも寄って来いと兄弟子達に言われまして」
「なんだと?誰がそんな事を言ったんだ」
「告げ口をするつもりはありませんし、無論彼らも冗談で言っていたのはわかっていますから」
「それで、言われた通り行ったのか」
「行きませんよ。でもね、折角この晴天でしょう?人の賑わう声を聞いていたら真っ直ぐ帰るのがどうも惜しい気がしたので市に寄ってきました」
はまるで悪戯を成功させた子供のような無邪気さを口に浮かべるが、しかしの方こそ本日は週休日なのだから市に行くことも、ましてや岡場所に行くことだって咎められる理由はないのだ。
「そうか、じゃあその市で花を?」
しかしそれを指摘する理由もないため、士遠はずっと大切そうに抱えられている花について話を振った。士遠の声を受けて、より一層花を抱える腕に力が入ったように見える。
「えぇ…。えぇそうです。賑やかな市でもひと際張りのある声で、どこか興奮した様子の娘だったのでつい足を止めてしまいました」
壊れ物を扱うかのように優しく抱える花束を顔に寄せた。士遠はもう一度匂いに集中したがやはり馴染みのないものだった。
「ふむ…残念ながらこの花に関しては君と共有できないな。どんな見た目なのか教えてくれないか?」
「えぇ。両手をだしていただけますか?二輪とはいえそれなりに大きいので」
言われるまま両腕を差し出す士遠の手の中にゆっくりと花を乗せ、片手をとって花包みから上の方にある生花へと触れさせる。士遠の指が優しく花弁に触れる姿には静かに笑みを浮かべた。
「花弁の色は、白です。他にも艶やかな赤や桜の色を濃くしたものもありましたが、私には、これしかありませんでした」
「ん?そうなのか」
の言葉に違和感を覚えたが、それを言語化して問うまでの間もなくはまた説明を続けた。
「一本の茎に花弁が縦に並んでおり、一つ一つの花が梅よりもずっと大きいです。娘曰く、最近になって南蛮から来たのだとか」
「へぇ、ならそう安くはなかったろう」
「えっ!?あーそう…ですね。このくらい、かな」
値段の話がでるとは思ってもいなかったは目を丸くして気まずそうに視線を逸らした。言いづらいが嘘はつけないので誤魔化すように支払った金額分だけ指を立てて自身の顔の横に手を置く。
「おやおや。それじゃあ頂いた小遣いの殆どじゃないか」
「……士遠殿、本当に見えていないのですよね?」
「見えるどころか目もないよ。なんなら触れて確かめてみるか?」
「いえいえ、そんな恐れ多い事」
は自身の発言を撤回し謝罪した。親しき仲にも礼儀ありだというのに失礼な事を言ってしまったと反省を口にするが当の本人は気にしておらず、いまだ明かされない花の名について再度伺う始末だ。
「んー…花の名前は分かりません」
「本当に?」
「聞いたけど、忘れてしまいました」
「まったく君というやつは」
「へへ」
「それにしても、それだけ高価な花を買うなんて、君はまさか──」
「違いますよ。すぐ色恋に結びつけるのは士遠殿の意地悪な所です」
本当に意地悪な人。
繰り返した言葉は士遠には届かなかったかもしれない。花が吸い込んでしまったから。
「さてと。そろそろ行かないと。お遣いを済ませた報告、まだしていませんでした」
「そうだったな。呼び止めて悪かったね」
「とんでもない!……ここでお会いできずとも、私は士遠殿を探しておりましたから」
「そうなのか」
「えぇ。この花は、貴方に差し上げたくて」
「私に?」
士遠の手の中にある花をもう一度見る。の表情は笑顔だが、士遠はその気配に影を感じていた。指摘するのを憚られるのはが先を急いでいたからか。士遠もと同じく笑顔を作りお礼だけ述べた。
「ありがとう。部屋に飾らせてもらうよ」
「お気遣いなく。勝手に押し付けただけなので、私に構わず棄ててくださいね」
そしては深々と頭を下げて廊下を歩いていく。一人縁側に残された士遠はもう一度花弁を撫でた。
「結局この花は何と言うのだろう」
士遠の問いに答えを与えたのはそれからしばらく経った時分、偶然会った衛善からだった。名前と、その意味を聞かされた士遠は花を衛善に預けを探すため走り回った。
意地悪な人
「……衛善殿、その花は」
「これか、『すとっく』と言う花だそうだ」
「その花はもしや、士遠殿から渡されたのでは?」
「そうだ。花の名前を聞かれてな。うちに通っている花屋の娘から聞きかじった情報だが、それを伝えたらこれを渡してどこかへ走って行ったぞ」
「失礼ながら衛善殿が花の名前どころか花言葉まで知っているとは……」
「、失礼ながら、は免罪符ではないぞ」
「あぁ失礼しました……それにしてもあの娘、どこかで見たと思ったらそうだ、よく花を生けに来ていましたね」
は眉を下げた顔でほほ笑んだ。
酷い人。棄ててくれればまだ救われたのに、人に寄越してしまうなんて。
声には出さなかったが、何かを察したらしい衛善は申し訳なさげな顔での名を呼ぶ。
「、これは──」
「いえ、呼び止めてしまい申し訳ありませんでした。罪人の引き受けで外へ出ますので、これで失礼させていたします」
足早に立ち去る姿に声を掛けなかったのは本人の意思を汲んでの事だ。
だから再び戻ってきた士遠に咎められる云われはないはずなのに、なんとも冷静ではなさそうな様子の男にはがしばらく屋敷を空けるということだけを伝えて先の無礼は流すことにした。
「意地が悪いのはどちらだ…!」
思わず漏れたであろう男のひとりごとについぞ衛善は笑いを堪えきれなかった。
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