彼はただの
彼はただの同い年で、同じ学年で、同じ部屋なだけで、実力で言ったら月とスッポン。
今年の神覚者に選ばれたレインと違ってはなんとか必死に食らいついても学年での成績順位は中間止まり。同部屋の相手が成績の順位で変えられなくて良かったと、春にはいつも安堵の息を洩らす。平凡な彼は烏滸がましくも多忙を極めるレインの身を案じていて、だからこそ順位や立場だけでなく部屋まで離れてしまうというのは耐え難かったのだ。
「レイン。また寝てないのか」
しかし部屋が一緒とはいえ、レインがこの部屋を訪れる機会というのはそうないのだが。
「無視は感じ悪いぜ」
「また益体もない会話をするのか」
「お、冷たいな。傷ついたよ」
「……」
「冗談さ」
この会話で一度だけ目が合ったが、癖になった眉間の皺と目の下についた隈に目が行ってしまう。
「やっと顔を見られて嬉しいよ。顔色は少し、悪そうだけど」
「……」
くだらないと顔を背けたレインを追いかけるつもりはなくとも、かといってせっかく捕まえたところをこのまま見逃すのは躊躇われた。
「レイン」
「なんだ、しつこい」
「……本当に心配してるんだぞ」
「いらない心配はいい。俺は忙しいんだ。お前は自分の成績の心配でもしてろ」
せめて面と向かって言ってくれればいいのに。心の中でぼやいた。にしてみれば神覚者に言われたら反論の余地はないし、実際の立場では小言を言えども仕事を手伝う事も勉学で支えてやることもできない。だからせめて八つ当たりでもして溜め込んだストレスをぶつけてくれればいいのに。レインは抑えつけるような声で淡々とを突放すだけだった。
「でもせめて、心配だけはさせてくれよ」
「……」
返事はない。あぁまたも益体のない会話だったか。
「すまん、余計な口出しだったな」
今度はが背を向ける。自身に宛がわれた机に向かって、いつか話ができたらと思い、残しておいた旅土産――現地では『時間の止まった水』と呼ばれており、一見氷のようだが手に触れる感触は水そのもので、濡れはせず、しかし氷以上の強度を持つ不思議な勾玉状のもの――を気付かれないよう机の中にしまう。こういった不思議なものを見つけてはそれを囲み歓を尽くす時間は、二人の間にはもう無くなってしまったらしい。
「……」
「んー?」
「気分を害したか」
その言葉こその口を引きつらせ胸の内に棘を刺すのだが、しかし本人はきっと、いや確かにを煽るべく発したわけではないから、手に触れる冷たい水の感触を頼りになんとか胸に巣食う鋭利さを諌めていた。
「そんな事ないよ」
言葉を素直に受け取る男だからの発言の真偽など考えもしないだろう。だからそのままレインが無言で部屋を出ていく事はの想定内だった。
***
「お、フィン」
「さん、お久しぶりです!」
「久しぶり~。制服姿は初めて見たなぁ。よく似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます。なんだか照れくさいですね……」
「照れることないさ。本当の事だもん」
フィンは顔に熱が集まるのを感じながらもの様子を伺っていた。聞きたいことがあるからだ。勿論兄の事。しかしの方から言ってこないという事はあまり接する機会がないのだろう。そしてそのフィンの推測は本人の口から肯定されてしまった。
「ごめんな」
「え?」
「俺がもっと頼もしかったりレインにとって価値のある人間になれればちゃんと『休みなさい!』って言えるんだけどなぁ~力及ばずだ」
「えっ!?そんな事ありませんよ!さんのいう事なら兄は耳を貸します!」
「はは、力強い否定なんて珍しいな。……まあ今日は惨敗だったけど、めげずに言い続けるよ」
頭上から伸ばされる手は幼いころに遊んでもらっていたあの頃から変わらないでいた。安心感すら覚えるが、今のフィンは高校生で、それにここは学校だ。安心感と同じくらい羞恥心がこみ上げて来て、とうとう「あの」と声を掛けた。
「友達と待ち合わせしているのでそろそろ失礼します!」
「あぁごめん。つい懐かしくなっちゃって」
「いえ、それは僕も同じです。では」
小柄な少年が頭を下げると、黒髪に混じる黄色い髪がきらりと光る。レインと同じ色をした髪はそれだけで兄弟のつながりを感じさせて、それがには羨ましかった。家族であれば事ともせず意見をぶつけられるのだろうに。ただの同級生でしかないにその権限はない。
「いいなぁ。羨ましい」
乾いた廊下を少しだけ湿らせるような深いため息をついた。フィンの姿が見えなくなるまで見送り、手近の鏡に魔法陣を描く。手に持つ外泊届には既に承認のサインが書かれているため校則としては問題ないが、今回の外泊を同室であるレインに告げ忘れたことがの起こした失態だと、後にクラスメイト達から非難の声を浴びた。
***
一週間経って外泊から戻ったが部屋に戻るべく寮の廊下を歩いている時だ。
クラスメイト達から安堵や戸惑い、怒りの目を向けられながら事情を聞いて首をかしげる。
たかだが一週間部屋を空けただけだ。担任からも許可を得ているし、部屋の戸締りや管理手続きを問題なく行ってから出掛けているため同級生から咎められる言われなはいだろうと思いながら、自室に入る為ドアノブを掴んだ瞬間だった。
一瞬で背中に汗を感じ、手に力がこもる。中から放たれる緊張感に急かされドアを開けると、部屋の中には案の定レインの姿があった。
「……」
「レイン?どうしたんだ」
「どうしただと?それは俺の台詞じゃないのか」
「は?」
何故レインからも非難を受けなければならないのか理解ができず、むしろ二人で向かい合う状況下で先週の押し問答を思い出してしまう。人の話を聞き入れようとしない男に何を責めることがあるのかと怒りすら湧いてつい言葉尻が荒くなった。
「俺はお前のハウスキーパーじゃない。俺がお前に黙って部屋を出ようともお前には何の不利益もないだろ」
お前には分かるまい。部屋にいない相手にいつ戻るか問えない無力さを。朝目覚めても姿どころか一報すら目にする事の出来ない不安を。どうか心配させるなと怒る事も縋る事も許されない、同い年で、同じ学年で、同じ部屋なだけの男の気持ちなどお前には分かるまい。
決して口にはできない臍を噛む思いを、どうにか握りしめた拳で打ち消そうと下を向いて耐えている間に目の前にいる男が本当にかすれた声でぽつりと声を落とした。
「………戻ってくるならいいんだ」
「え?」
が顔をあげるとその視線から逃げるようにレインが顔を背けた。一瞬だけ見えたやつれた顔に不安を覚えつい肩を掴む。
「あ、レ、イン……!?」
確かに振り向かせようと肩に置いた手には力がこもっていた。しかし、まさかたたらを踏んで倒れこんでくるなど欠片も思っていなかったので、踏ん張りが効かずに結果二人ともが下敷きになる形で倒れこんでしまった。
咄嗟にレインの頭の下に手を入れたため、の左手はジンと痺れたがレインが地面に頭をぶつける事はなかった。ほっと安堵の息を吐きながら友人の様子を伺う。
「大丈夫か?」
「……」
「また余計なお世話だと言われるが、目の下の隈が更にひどくなってるぜ」
「誰のせいだと思ってる」
「なに?」
「俺の心配をすると言うなら黙って離れるような事はやめろ。おかげで、俺は……ここ数日どうにも、落ち着かない……」
「……」
異様だった。普段の乙に澄ました様子はなく、自信なさげな様子は弟のフィンを彷彿させる。普段とは違うその姿がついを動揺させた。
「なぁ、レインの言う『落ち着かない』ってのは部屋にいない相手にいつ戻るのか問えない無力さとか、朝起きても姿どころか連絡すらない不安とか、心配させるなって言いたくなったりするやつか?」
「……あぁ、そうだな。言語化するなら、きっとそうだ」
何故分かったのか不思議そうな険しい顔が珍しくて、は声をあげ笑った──その実嬉しかったわけだが本人にその自覚はないらしい──その顔を見てレインは漸く安心を覚え、そのままの腕を枕に眠ってしまったため、その後は大切な人の寝顔を見ながら腕の痺れに苦しむことになるのだった。
彼はただの特別な
「兄さんの隣にはいつもさんがいて、唯一僕に紹介してくれた人だからこれ以上ない親友だと思ってたんだけど…。さんの口ぶりだと違うのかなぁ」
ただの同い年で、同じ学年で、同じ部屋なだけの無力な男と神覚者が同じ思いでいたなんて、そんなのフィン以外に気付けるはずもないわけで。
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