箱庭だったって
「だいちぃ」
「甘ったれた声を出しても宿題は見せないぞ」
「えぁ嘘ぉ〜」
「嘘じゃない。今日こそは自力で──」
「あ、あかねちゃん宿題見せてぇ」
「こらッ!」
首根っこを掴まれたが澤村の前の席に座らされノートを写す。いつもの光景だ。クラスメイトは誰一人視線すら寄越さない。
「すごいねぇ遅くまで部活もやって宿題まで終わらせてんの」
「そういうお前は何でやってねーの」
「わはは、家帰ったら寝ちゃうんだよね」
「死ね」
突き放すような言葉を並べてもその実こうして面倒を見ているのだから仕方がない。へらへらとした笑みを浮かべるに反省がないのは、もう分かりきったことである。
「なぁだいち聞いてよー。今度仙台で俺の好きなバンドがライブやるんだけどさぁ」
「あぁ」
「チケット外れてぇ、めっちゃ行きたいけど転売で買うのはもうムカつくじゃん」
「転売?」
「公式の売ってるチケットを買った一般人が倍以上のの値段をつけてまた売るの」
「そんなに高くして売れるもんなのか?」
「売れるよー。非合法と分かってても絶対行きたい!て馬鹿が買うの。ホント馬鹿。儲かるのはその一般人なわけよ。ムカつくよなぁ」
宿題を写している間もお喋りは止まらない。澤村は肘をついてぼんやりとを見ながら相槌を打っている。これもいつもの光景だ。そんな二人の会話をクラスメイトはラジオ感覚で聞いているのだが、それについて当人たちは知らない。
「それで、転売を買わないとライブに行けないのか」
「うん。当日券も期待できないしね。はぁあ、折角東北でやるのになぁ」
「残念だな」
「だから代わりにだいちが俺と遊んでよ。山登りとかしよ」
「部活だよ」
「そっかぁー」
ほんとに残念、と肩をすぼめたはいつの間にか写し終えたノートを澤村に返してペンケースにシャーペンをしまっていた。いつの間に人のペンを使っていたのか、もはや勝手に使われていたことには何も思わなかった。
「だいちのノートがあれば次のテストもばっちりだなぁ」
「自力で頑張れよそこは」
「いやぁ」
へらりと笑ったは授業の鐘を聞いて慌てて自分の席へと戻っていった。
澤村がシャーペンを取り出そうとしたとき、ペンケースの中に汚い文字で『サプラーイズ☆』と書かれたプロテインバーを見つけて吹き出したのは授業が始まってからのことだった。
***
普段通りの学校、普段通りの教室、普段通りの───
「………っ」
今普段通りでないのはきっとバレー部だけだ。
インターハイ3回戦敗退、烏野の全力をもってしても青葉城西には敵わなかった。明らかな実力差、これでは、春高にでても結果は変わらないのではないか。
(俺たちが引退すれば、今の1、2年は一気に実力を伸ばせるんじゃないか?)
考えたくはないが否定はできない。これからの烏野バレー部を思えばそうするべきだろうが、他の3年にその意思を伝えるとなるとやはり気が重い。
「だいちぃ」
「………なんだ」
「先週でた数学の宿題終わってる?極限の問題難しくてさぁ」
「はぁ……俺もまだ全部はやってない」
一昨日も昨日も、それどころではなかったのだ。インターハイのことだけを考えていた。バレーの為だけに生活していた。
「宿題やってないの!?だいちが!?」
「………」
「嘘ぉ珍しいこともあるもんだねぇ。バレーで?もうすぐテストも近いのに」
「……あぁ」
「部活もいいけどさ、ちゃんと勉強もしなきゃ。受験生だよ」
「っ!……担任みたいなこと言いやがって!大体お前がそんな事言える立場かよ、俺よりずっと、暇なくせに!」
「……」
「っ……いや、すまん、つい──」
「んや、それもそうだな。説得力がない。うん」
腕を組み首を緩やかに縦にふるは澤村の言葉に傷付いているようには見えなかった。謝るタイミングを逃したな、と言葉に詰まっている澤村を置いていくようにはポンと手を打ち「わかった!」と言った。
「俺も頑張るわ!次の試験までだいちに頼らず頑張るよ!」
「えっ」
「ノート写させて貰わないし、分かんなかったとこも聞かない!自力で頑張るわ!」
「、今のは俺が言い過ぎた」
「んや、大地の言うとおりだべ。まずは自分でやらねぇとな!俺も頑張るから、大地も勉強、疎かにすんなよ」
いつになく真剣な目になんて返せばいいのか分からなくなった。廊下から澤村を呼ぶ声がしてそちらに気を取られる。曖昧な返事をする澤村に廊下にいる教師は少し声を張り、とうとうに返事をすることなく呼び出しに応じた。
澤村を見送ったは参考書に目を落とし、先程から変わらない笑みを浮かべひとりごとを呟いた。
「バレーを恨んだりしたくないだろ」
その日以来、は本当に澤村に縋ることはなくなった。バレー部3年生が春高まで残ることを決めたあの時も、東京へ合宿に行けることが決まった時も、それからの練習と試験勉強に明け暮れている間も、が甘えた声で澤村の名を呼ぶことはなかった。
「大地、さっき菅ちゃんが探してたぞー」
「お、おぉ。サンキュ」
「いいえ〜」
にっこりと笑った顔でこちらに手を振る姿に違和感はなく、変わらずのままだからあの澤村の発言で気を悪くしているわけではないのだろう。ただ本当に、頼らなくなっただけだ。
「先生〜!最後にやった問題駆け足すぎて分かりませんでした!」
「一言多いー」
「あ、大地部活行くの?頑張ってなぁ」
「あぁ、いってくる」
「やべぇ宿題終わんねぇ〜!」
「仕方ない奴だな俺のを、」
「おっと!その手は食わんぞ!俺の頑張る宣言はそんなヤワじゃないぜ!」
少し話したかと思えば嵐のように去ってゆき、目の下にこさえた隈をこすりながら自分の席で宿題を始めた。
本当に、自分の失言に怒っているわけではないらしい。これはもう本人の言うとおり試験が終わるまで待つしかないのか。いまだ慣れない静かな休み時間は、部活のことを考えるのに当てた。
***
「試験も終わりましたが今のお気持ちは!」
「別に普段と変わらないよ」
「えぇ!?俺は今から打ち上げに行きたい気分だけどどう?」
「部活だ」
「そっかぁ」
じゃあ仕方ないとリュックを背負って教室を出ていくに申し訳ない気持ちが湧いたのも事実だし、廊下から聞こえる隣のクラスの友人と話している声になんとなく面白くない気持ちになったのも、認めたくないがある。しかし今は、バレーに全てを注ぎ込みたい。どうしてもその気持ちの方が強かった。
あの日を境にガクンと下がったとの会話数は試験が終わったあともそのままで、さっきの試験が何点だったとか今回は平均点が高かったとか、そういう話で盛り上がるクラスメイトの会話をぼんやり聞き流しながら一人外を眺めている間に担任が教室へ入ってきて日直が号令の声をかける。
「あー、今回の試験の総合成績表がでたから、出席番号順に取りに来い」
クラスのあちこちから歓声があがる。順位が下がっただの今回は良かっただの、小さな紙を手にクラス中が盛り上がるのは恒例行事だ。
「」
「はーい!」
「返事がいいなぁ」
呼び出されたは嬉々として前へ出て担任から紙を受け取り、小声で何かを伝えられていた。それに対し大きく頷いて席へと戻っていく途中、目が合った澤村にウインクをかますくらいだから悪い話ではなかったのだろう。
「じゃーん」
「……」
帰りのSHRが終わり、部活に行く支度をしている時だ。が先程の紙を目の前に差し出してきた。反射的に見てしまったが、予想外の順位に二度見する。まさか、とは本当に声に出てしまっただろう。上位15%にランクインしているとは。
その様子が可笑しかったらしいはケタケタと笑った。
「俺、今回超頑張ったからさぁ、結果が出て嬉しいよ。部活の楽しさもこんな感じ?」
「いや、どうだろう、似てるの、かな……?」
「これなら確かにのめり込むのも分かるなぁって大地の気持ち知れたのは大きな成果だったな。もうやりたくないけど」
「そうか」
「あぁでもあれだよ!基礎からやって、ちょっとずつ難易度を上げていくところなんかスポーツと似てない?そしたら大地も勉強楽しくなっちゃうよ」
「俺は元々嫌いではないよ」
「あそっか。忙しかったんだもんな」
「まぁ」
「今はどう?」
「あの時よりは、落ち着いた」
「良かった!大地がバレーを理由に進路を諦めたりしたらいやだなって思ってたから」
「………はぁ」
その言葉に嫌味の一つでも含まれていれば良かったのに、まるで澤村を甘やかしているような態度になんとも居心地が悪かった。八つ当たりのようにキレたあの時の自分がよっぽどガキに思える。
「あー…と…にかく今回は俺の完敗だよ」
「完敗?俺ら勝負してたっけ?」
「してたしてた。さ、望みをどうぞ勝者様」
ごまかすように話を逸してしまえば首を傾げていたもあっさり流され「何でもいいの?」と反応した。「俺にできる範囲でな」と返す澤村はいつもどおりの態度に戻り、肩肘を机についてが口を開くのを待った。
「じゃあダメ元で言っていい?」
「あぁ」
「一日だけだいちの時間を頂戴」
「……は……!?」
突然の事で頭に浮かんだのは。一日だけでいいのかとか時間だけでいいのかとか次の部活休みはいつだったかなとか。
色々と言いかけて堪えたのは、ここに来てクラスメイトに聞かれていると気付いたからだ。
箱庭だったって
もうすぐ部活が始まる時間だとはまだ、気付かない。
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