食満留三郎

金木犀が薫る。
もうどれだけここで待ち惚けているんだろう。近付く足音に胸を高鳴らせては望んだ人でないと肩を落とす。
これが最後。最後になるだろうに。せめて一目でもと限界まで待っていたが、とうとう夕日が眩しい時間。あと半刻もすれば日は落ちてしまうだろう。あいつはもうこない。
なんて薄情な奴だ。最後に会ったのが何時だったかも思い出せないほどおぼろげになってしまった。
……いや、過去の思い出を引きずって未練がましくも会いたいと思う俺もなかなかだ。
良くも悪くも、いつからか俺は大人になってしまった。あの頃のように、お前が悪いと泣きながら相手を責める事ができず、胸の内で暴れる悲しさや寂しさは見えない布で覆い隠そうと躍起になる。


「うぅ…ひっぐ…うぅ…」

声の出どころは、当然俺ではない。
恐怖よりも探求心が勝り辺りを見渡せば、少し遠くから小さな男の子が小袖を濡らしながらこちらへ歩いてくる。
いくら開けた道とはいえ、こんな森のなかを男の子が一人で歩いているなんて何かあったとしか思えない。たまらず膝をついて声をかければ涙で目を真っ赤にした少年は大きく肩を揺らした。

「おい君、一人でどうした?」
「ひっ…!」

こちらを見上げる驚いた顔が幼い頃のあいつにそっくりで、空気も読まず笑ってしまった俺に男の子は迷子になったんだと教えてくれた。

「どこに行きたいの?」
「にん……っ…」

それ以上は何も言わず口をつぐんでしまった。にん、で始まる言えない場所なんてあそこしかないもんな。一応秘密の場所だから。文化祭とかはやるわりに。

「んー、とりあえず森を抜けるには複雑だから、一緒に行こうか」

察してはいるが本人に免じて気付かぬふり。作り笑いを浮かべる俺、その伸ばした手を掴む泣き虫。本当にあの頃の二人を彷彿させる光景に心がチクリと泣いた。

少しでも和ませようと他愛もない話をする間に男の子は心を開いてくれたようで、なぜ一人で森にきたのかを話してくれた。

「僕の先輩が、お怪我をして、僕、お見舞いを探しに行ったんです……」
「お見舞い?」
「はいぃ……先輩がお部屋で大人しくできるように、何かお花でもと思って……」
「お見舞いの品を気遣うなんていい後輩だなぁ」
「いやぁ、でも結局、いいのは見つかりませんでした……」

そう言うと男の子はまた落ち込んでしまった。なんて励まそうか悩む俺を気遣ったのか、今度は男の子の方から質問を投げ掛けられる。

「お兄さんは、一人で何してたんですかぁ?」
「俺?…うん、人を、待ってたんだ。弟みたいな友達を」
「……来なかったんですか?」
「うーん、忙しかったのかな。来なかった」

俺はただただ前を向く。不安げに見上げるこの子の瞳を見つめ返す強さは今は留守にしているらしい。ふいに、握られる手が強くなった。

「でもおかげで、僕はお兄さんに会えました」

泣きはらした目で不細工に笑いながら見上げる顔なんて本当に昔のあいつにそっくりだ。あぁなんか、同じ学校の同じ顔した後輩君に会えたんならそれはそれで、幸運なことだよな。
それじゃあな、留三郎。





金木犀が薫る。
もうどれだけここで眠り続けたのだろう。懐かしい香りに意識を少しずつ取り戻していく。この匂いは───

「食満先輩」
「平太……?」

そうか、俺はこの間の実習で怪我をして──ふと向けた視界の先に、水差しに入った一枝の金木犀。

「……、学園に金木犀は咲いていたか?」
「いえ、頂いたんです。森で出会ったお兄さんに」
「森で?」
「はい、人を待っていたそうです。その人に渡そうと手折って来たけど来なかったから、お見舞いの品にどうぞって」

ぞっとして睨んだ月は忌々しくも綺麗な半月で俺は、取り返しのつかない失態を犯したと思い知らされた。

「……その人は、どんな様子だった」
「え?うぅんと、腰に刀を差していました。でもまだ慣れてないのか、歩き方がぎこちなかったような……」

そうか、植物が好きで、土いじりをしては顔を泥だらけにしていた"兄"は、やはり家のため血にまみれる道をたどるのか。

「食満先輩…」
「いや、なんでもない……」

なんでもない。今日仮に俺が行けたとしてもその手を掴んでやることも出来なかったんだ。

嗚呼それでも、

「やっぱり一目、会いたかったなぁ……」

平太は何も言わず部屋を出た。
気を遣わせた。情けないが、今だけは甘えさせてくれ。今だけは、この涙も我慢できそうにない。
 

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