「上達したなぁ喜八郎。私が卒業すれば引っ掛からない生徒はいないんじゃないか?」
おやまぁ立花先輩、それは自惚れです。
一人だけいるんです。
一度も僕の落とし穴に落ちたことのない方が。
先輩は、一度も落ちたことがありません。
一年生の恒例行事とも言える「悪戯」の中で、僕の相手が
先輩だった。
「綾部君、こっちおいで」
声をかけられ素直についていくと、その途中突然体がふわりと浮いて、ふかふかで、しっとりとしたなにかの上に体を投げ出された。落ち葉だ。落ち葉が敷き詰められている。さっきまでいた先輩の姿は見当たらないしあたりは不気味に暗い。混乱した頭は落ち葉をガサガサ言わせながら懸命に状況を確かめようとした。ここはどこだ。
「綾部くん」
何故か頭の上から先輩の声がする。助かった思いで見上げると申し訳なさそうに笑って手を下ろしてくれた。
「忍者は、特にくのたまは陰湿な手を使うから、簡単に信じちゃだめだぜ」
指先にはまだ土のついたままの細い手。その手を掴むと一生懸命の力で引っ張り出してくれた。
僕は、落とし穴に落ちたらしい。
「
先輩、新しい落とし穴を掘ったので見てください」
「先に種明かしするなんて余程自信があるん───」
綺麗にならされた土は一瞬でポッかりと口をあけ、先輩も姿を消した。
「……大成功ぉ」
「すごいな喜八郎!予告されてなかったら落ちてたところだ!」
…ではない。大失敗。先輩の声は穴のなかどころか頭上から聞こえる。あの一瞬でどうやって屋根瓦を掴んだのかは謎だが先輩曰く「身軽さだけが唯一の取り柄」だと言っていたしそういうことだろう。何にせよ今回も失敗に終わってしまった。
「何でそんなに私を落とすことにこだわるんだ?」
「秘密でーす」
教えてあげません。僕が先輩を追い越すまで。先輩を落とし穴に落とすまで。
***
時間の流れはとても早い。この間まで大量の落ち葉が溢れていたのに今じゃ手もかじかむ寒さだ。寒いのは苦手。本当は部屋でおとなしくしていたいけど、そんな猶予は残されていない。穴を掘らなきゃ。先輩を落とすための。穴を。
「
先輩、校庭を歩いてきてください」
「うぅ寒い……また掘ったのか?」
「はい、まだ先輩を落としていないので」
「怖いんだよなぁ、喜八郎の落とし穴はいつも深いし」
「そうです。僕が手を貸さなきゃ先輩は出られませんね」
「……なるほど、なんとなく私を落としたい理由が分かったよ」
何枚も半纏を羽織って猫背なんかして、プロの忍になる人とは思えない姿。なのに今の一言は見逃してくれないんだから、さすがとしか言いようがない。結局この日も
先輩は落とし穴には落ちなかった。落ちたのは半纏一枚だけ。
「おやおや、大事な半纏を落としちゃった」
「拾いに行きますか?」
「いや、やめておこう。あれは君にあげるよ」
***
昨日まで雪が降ってなかったっけ?滝夜叉丸が氷った池でいろんなポーズ決めてなかったっけ?あぁでもそういえば手はもうかじかんでない。
春が来てしまった。別れの春だ。
「綾部君、こっちおいで」
「……はい」
懐かしいやり取り。僕は4年前と同様に先輩の背中を追った。
ひらひらと動き回る先輩を追いながらどこかにある仕掛けを探すのは骨が折れるがこれが最後なのだとしたらそんなこと言ってられない。
突然こちらを振り返る先輩を見て、僕はわざとらしく前へ踏み、土の中へ落ちた。あの頃と同じように、落とし穴へ。
「……浅すぎ。何ですかこの落とし穴、僕の腰ほどもないじゃないですか」
「そうだよ。この深さなら、手を貸さずに出られるだろう?」
「先輩は、意地悪ですね」
「忍者は陰湿なの」
それは僕が一年生の時に聞いた台詞。でも今回は、
先輩はにこりともしていない。
「手を貸してくれませんか」
「六年生の忍たまになるのに、この程度で手を借りるのは如何なものかと思うぜ」
嗚呼、本当に意地悪だな。最後まで掴むことは叶わない。
「ねぇ喜八郎。私はこれから戦忍としてあちこちの合戦場に行くんだ」
「……知ってます」
だからこそ、今伝えたかったのに。
「今までのように甘くないと思う」
「そうでしょうね」
「だからね喜八郎、もし私が敵の罠で動けなくなったら、真っ先に助けにきておくれよ。一番にこの手を掴んでほしいな」
「でも、僕の卒業まで一年もあります。長いですよ」
「それまではなんとしてでも生き延びよう」
「変な話ですねぇ」
にらめっこなんかしていないのに
先輩はへにゃりと笑った。一年生の時に見たあの笑顔で。
「では約束します。一年後必ず迎えに行くのでそれまで死なないでくださいね」
「おうともさ!ぜひ捕まえに来てくれよ」
僕が落ちた落とし穴
それはあまりにも深い。
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