筋強直性ジストロフィーという病気らしい。
意味なんてほとんど分からないが、その道に詳しい者が言うのだからそうなのだろう。善法寺伊作や、ましてや新野先生を凌ぐその道のプロ、それが天女だった。最初の方こそ不気味なまでの知識を持つ天女を皆が警戒し、嫌厭していた。
ならばと彼女に話しかけたのは俺の妹と同い年だと聞いたからだ。見ず知らずの土地に放り出されて独りぼっちなんて可哀そうすぎる。それに彼女がどこかの間者だというなら俺以外の誰かが気付いて屠ってくれるだろう。
だがそんな警戒は杞憂で、俺が打ち解けたのをきっかけに天女への警戒心も薄れ、皆が穏やかな日常を送っていた中、それは突然すぎる告白だった。
「あのね、これから何をしてあげられるわけでもないし、言おうか悩んだんだ。でも、知ってて告げないなんてことは、できなくてね」
なかなか本題に入らない彼女の様子からそれが朗報でないということは火を見るより明らかだった。明らかではあったが、これほどに耳を塞ぎたいものだとは思わなかった。
***
[筋強直性ジストロフィー]
彼女の不馴れな筆遣いでそう書かれた紙は燃やした今でも鮮明に脳裏に写っている。その後彼女は役目を果たしたとでも言いたげに姿を消した。例えではなく本当に。おそらく“元の世界”に帰ったのだろう。おおよそ半年前の話だ。
それからその病気は少しずつ進行していて、今も止まりはしない。
「おっと」
わざとらしく音を立てた巻物は床へ転がる。それを追うのすら苦しいほどに病は体を蝕んでいるのだ。
「あぁあ」
なかなか歩き出さない足を恨めしく思いながら必死に転がった巻物を拾おうとかがみ、いつもの失敗を繰り広げる。頭は未だに健全なあの頃を描いていても、今の体はそう易々とは動いてくれないとさ。イメージばかりが先行し、派手に転んでしまう。この失敗も何度目だ。
悔しい。起き上がろうにも腕は呑気な速度で少しずつにしか動き出さない。全ての動き始めが遅いのだ。それだけ。なんてことない病気だと思う?忍者にとっては致命傷だ。一般人の倍の速さで動かなければならない忍者が、一般人の倍の時間がかかるのだから。
「何へばってんだ」
俺の両肩をがっしり掴み起こし上げたのは文次郎と頭に泥をつけたままの伊作。
「以外な組み合わせだなぁ」
「他に言うことがあるだろう」
「僕たち留三郎を探してるんだ。見てない?」
ああそれなら───言葉だしにつかえて口は変に開いたまま言葉が出てこない。その間も二人は俺の言葉を待っている。嫌気がさして先ほど留三郎が向かった方へ指をさし知らせると、ありがとうと言って歩き出した。伊作だけ。
「言われなきゃわかんねぇ」
文次郎はそう言って動かない。
「……そ、れ、なら、三年生の長屋へ向かった」
「そうか」
それだけ言ってやつはようやく歩いていった。
「……余計なお世話だ」
***
「お!
じゃないか!」
偶然を装っているがぼこぼことこちらに向かって塹壕を掘り進めていたことバレてるからな。という俺の目線なんてこの男はもちろん気付いていない。
「……こんにちは小平太」
「ん?本をかかえて何してるんだ?」
「長次に返そうと思ってな。図書室に向かうとこ」
なるほどなぁと口をとがらせ一点を見つめるのは小平太の悪い癖。何か面倒なことを企んでいるに違いない。そっと場を離れようとした時既に手の中の本は奪われていた。
「ちょっと…!」
「なはは!返してほしければ追って来~いッ!」
「……」
「追わなくていいのか?」
背後から遠慮ぎみに声をかける留三郎に不細工な笑みを向けてやる。伊作たちが呼んでたぞ。話を変えてみても生返事を返され話題を戻された。
「……追っても、どうせ追い付けないからなァ」
なるべく悲観的にならないように。同情を誘うわけではない。ただの事実だ。哀れみの目を向けられるのが何よりも嫌で、てんでおかしな方向を見て話していると突然からだが浮いた。
「なら手伝おう!」
「おっ、降ろせ留三郎!」
今の俺にしっかりと肩を抱く男の手を振り払えるわけもない。必死に暴れる俺をものともしない留三郎はあっという間に小平太のもとまで追い付いてみせた。風が土を押し上げる。鼻をくすぐる風はもうすぐ春だと告げている。観念して書物を返す小平太の後ろには仙蔵と長次が立っていて、私の後ろから留三郎を呼ぶ伊作と文次郎の声がする。
「何だ六年生が集結して」
「ふん、
を見かけたからついからかってやろうと思ってな」
「私も
と遊ぼうと!」
「僕たちは
なら留三郎といるだろうと思って」
「つまり皆こいつに会いに来たってことだな」
葉のついていない木の下で皆が口々に言いたいことを話すものだから俺は不細工な笑みを浮かべて聞くことしかない。好きだった。少しずつ花立つ桜の下で君たちと隣り合って笑いあえた日々が。 次の桜が咲いたとき、俺たちはなにものからも守ってもらえなくなる。巣立ちの時だ。俺は巣立てないが、どうかこの六羽の雛鳥たちが真っ直ぐ飛んでゆく様だけはこの目で見届けたい。もう少しだけ、もう少しだけ持ってくれよ。
「
」
「長次?」
「その本の話は、面白かったか?」
「うん。ここを離れる前に、読めてよかった」
「
は、さ」
「うん?」
「春になったらどうするの?」
「俺は──」
そこまで言いかけて皆の視線に気づく。言おうとした言葉を飲み込んだため言葉がつかえたが、きっと病気にせいだと思ってくれるだろう。俺は改めて息を吸って、事実ではなく希望を告げる。
「ここの事務員になりたいなって」
俺はもう飛んでいくことはできないから、せめて、せめてみんなの止まり木になりたかったよ。
繋いでおきたくて
「まともに動けないお前を雇うかバカタレ」
「バカタレは文次郎だろ」
小松田さんよりは動けるよと笑ってみせた。つられて皆も微笑を浮かべた。
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