先輩に幸運を

「数馬」

一つ年上の先輩は、どこにいても僕を見つけてくれた。


「数馬、また落ちたの」

蛸壺だか落とし穴だか、綾部先輩の掘った穴に落ちて動けずにいると、聞きなれた声が降ってきた。

先輩~っ」
「ほら、手出して」

泥だらけの手で先輩の真っ白な手を汚してしまうのに申し訳なく思いながら引き上げてもらうと、持っていた手拭いで顔の泥を払ってくれた。

「喜八郎め……人のいない所に掘れっていつも言ってるのに」
「いえ……僕の不運のせいでもありますから」
「なら伊作不運魔王先輩に文句言わなきゃだね」

先輩が不意に伊作先輩の名前を口にするから、僕は少し動揺してしまう。そうですねなんて適当なこと言って、二人で医務室へと向かった。


   ***

「失礼します」
「おや、数馬と。どうしたの?」
「僕が穴に落ちてしまいまして……」
「どれ、見せてごらん。、数馬を連れてきてくれてありがとう。戻って明日の支度をしといで」
「わかりました」
「明日の支度?」
「あぁ、四年生は明日から実習なんだ」
「そうなんだ……気を付けてくださいね」
「うん、ありがとう。いってきます」

いつもと同じ笑顔。
それが僕だけに向けられたものじゃなくて、更に伊作先輩に向けられたものだと分かっていても、先輩の眩しい笑顔に心底癒されるんだ。


   ***

ガシャンッ

「あちゃぁ……」

手から滑り落ちてしまった薬箱を拾い集めている間も、さっきからの胸の騒がしさは消えない。

先輩、遅いなぁ」

四年生の実習は終わった者から帰還するというもので、早い人たちはちらほら帰ってきているというのに……。ふと薬箱を片付け終えた時、襖に小さな影があるのに気付いた。

先輩!?」

確信はなかった。でもなんとなくそうである気がして襖を開けると弱々しい笑顔を張り付けた先輩が倒れるように入ってきた。

「あれ?伊作先輩は……?」

真っ先に口にした伊作先輩の名前。チクリと痛む心も今は知らんぷり。

「先輩、その怪我……」

気付かぬわけがない。左腕に刺さっている細い針には何かの液体が付着しており、その色、臭いは以前見たことがある毒そのものだった。

「急いで解毒しないと!」
「すごいね……これが何の毒かわかるんだぁ……」
「言ってる場合ですか!」

自分でも驚くほど行動は早かった。
飲めるだけの水を飲ませ薬研で薬を煎じそれも飲ませてから布団に転がるよう命じた。

「ととと、とにかく薬草園に行かれた新野先生を呼んできます!そこで大人しくしていてくださいね!」
「はぁい……」

さっきとは違う自然な笑みに少し安堵し、新野先生の元へ急いだ。
途中土井先生に廊下を走るなと注意されたが、今はそれどころじゃありません。


   ***

「先生こっちです!」

息を荒げる新野先生の手を引いて医務室の襖を開ける。新野先生が来たからにはもう大丈夫、先輩は助かる。そう思い部屋の隅で寝ているはずの先輩へ目を向ける。が

「……あれ、」

布団はもぬけの殻となり、彼女の姿はそこになかった。



   ***

走って、走って走って。
肺に入れる空気は冷たく身体中を刺す。肺も、足も、心臓も痛いが、それでも足を止めないのは、消えた彼女を見つけるため。

先輩…っ」

こんなに震えた弱い声じゃ、先輩の耳に届きやしないのに。彼女はいつも僕を見つけてくれた。影の薄い僕を、いつも……


裏山の中腹まで登って、大きな花畑に出た。

「先輩……?」

息が止まる。
地を隠すように覆われた花の中。そこに横たわる大きな影を見つけ、足元の花を潰してしまうのも構わず一目散に駆け寄る。何故か、先輩が息をしていないような気がして。

先輩!大丈夫ですかっ、先輩!」

声に反応し薄目を開けたのを見て、まだ生きていると安堵した。

「伊作、先輩……?」

ずきん、心が大きく騒いだ。薬の副作用で意識がもうろうとしているのは分かってる。
それでもここにいない伊作先輩の名前を聞いて、ふと孫兵との会話を思い出した。

『僕にはじゅんこしか見えてないように、人は本当に好きなものしか見えないんだろうね』

僕が先輩を好きであると自覚させた言葉は、今じゃ鋭い矢となり胸を突き刺した。

「……そうだよ」

やけくそだろうか、伊作先輩であることを肯定し先輩の冷えた手をとると、彼女は弱々しく微笑んだ。

「最期に伊作先輩に話したいことがあって……」
「最期だなんて、言わないでくれよ……っ」

時折混ざる渇いた咳がじわじわ僕の涙腺を刺激する。伊作先輩、早く、狼煙に気付いて、早く。

「数馬がね」
「え……?」

突然出てきた僕の名前に驚きを隠せず、何を言い出すんだろうとハラハラだ。

「数馬が……私が何の毒にやられたのか、すぐに当てて、薬、煎じてくれたんですよ」
「……」
「ほんと、すごいでしょ……」

何か言わなきゃ、そう思っても喉は震えて何の音も出せなくなっていた。

「先、輩……」

ようやく絞り出した言葉も、狼煙を見つけ駆けつけてくれた伊作先輩の声にかき消された。

「数馬、は!?」
「伊作先輩……!薬飲んで、少し目を離した隙に……っ」
「薬を飲ませてくれたんだね。留三郎、を頼む」
「分かった」

テキパキと応急処置を済ませ、先輩は食満先輩に背負われ、急いで医務室へと運ばれた。

「ふぅ……」

身体中の筋肉が一斉に休んでしまい、僕は花畑の真ん中に尻餅をついた。

「大丈夫かい?」

優しく肩をたたく伊作先輩にありがとうございますと返し、ゆっくり立ち上がる。

「先輩、先輩は大丈夫でしょうか……」
「大丈夫。数馬が正しい処置をしてくれたし、留三郎の足なら医務室まですぐ着くさ」

六年間保健委員をやっている伊作先輩の言葉は本当に安心させる。

「……僕、先輩に言わなきゃいけないことがあるんです」

だから先輩、どうか目を開けてください。僕、先輩に伝えたいことがあるんです。





「ん…」
、目ェ覚めたのか」
「食満先輩……?」
「お前、何でそんな体で裏山になんか登ったんだ」
「数馬に……みっともない姿見られたくなくて……」
「阿呆が」  



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