それは恋心

「ぬかった……」

いくら無茶な行動をしたとはいえ、昨日の実戦はさほど難しいものではなかったはずだ。
現に仙蔵などは無傷であるし、あろうことか不運に襲われてばかりの伊作でさえピンピンしているというのに。
さらに情けないのは、あの場で留三郎が俺に声をかけねば、おそらくこんな傷では済まなかったということだ。今回ばかりは馬鹿文次だなんだと言われてもぐうの音もでない。

「お前が実習で大怪我を負うのは久々だな。昼間から床に伏せられては部屋が狭くてかなわん」
「悪かったな」
「腹いせに、お前があのとき考えていた事を当ててろう」

またケンカでもしたのか、相談くらい乗ってやるぞと。どこまで分かっているのかは知らないが、ただ楽しんでいるだけの同室の声を遮るように布団をかぶり眠ってしまえと意識を手放した。


───そうだね……文次郎には、ちゃんと言うよ

相手の声は聞こえない。ただあいつは、詰まったような声で苦しげにそう言っていた。



「ッ…!」

関節の節々が痛んだ。無意識に視線を動かすとここはいつもの部屋。いまだ働かない頭を小突けば鈍痛が襲った。
体は疲れを溜めていたらしく、日頃鍛練で奪われていた分を取り返すように深く眠りこけていたらしい。窓の外に昇る太陽は真上を通過し傾きはじめている。

先までの記憶は既に曖昧でも、あいつの、澄んだ水のような声が、重くくぐもった声が鮮明に思い出され、残念ながらあれは夢でなかったと思い知らされる。あいつは、何を言おうとしているのだろう。
俺が起きた気配を察知した仙蔵が意地の悪い笑みを浮かべ衝立越しに見下してくるがこの際無視だ。

「そうだ、今日お前が怪我で委員会に行けないことは、に伝えておいたぞ」
「!?」

思いがけない言葉に、起き上がった体は激痛を抱き右足などいっそ千切ってしまいたいくらいに痛んだ。

「そんなに驚くところだったか?」
「イツツ…バカタレ、わざわざ理由まで言う必要ないだろう!」
「言わなくてもどうせ聞いてくるだろう。そもそも、お前が委員会に行かないというだけで相当驚くだろうしな」
「それはそうだろうが……」

全くその通りだ。何も言い返せず顔をしかめると、仙蔵はどこからか取り出した薬をよこした。

「鍛錬だなんだとぬかしどこかに逃げぬよう見張っておけと伊作に言われていてな」

目が本気だ。どうせこの怪我じゃすぐに捕まるのは目に見えている。委員会に残してきた大量の帳簿を片付けるためにも、今は動けるようになるほかない。伊作の調合した薬はあまりに強く、今まで寝ていたというのにも関わらず意識はまた遠退いていった。


   ***

私があの話を聞いたのは何日前だったか。それすら曖昧なくせに言われた言葉ははっきりと覚えている。励ましとプレッシャーがない交ぜになった親友の言葉から逃げるように食堂へ来たのはいいけど、ここでもやはり思い出すのはあの時の事。



「文次郎が?」

同室の子が町へ出かけた時の事らしい。
険しい顔をしながら簪屋の前に見知った顔の男が立っていた。文次郎だ。
への贈り物を選んでいるのか、はたまた女装の時に使う道具を選んでいるのか。どちらにしてもあのような形相で品を選んでいるようでは、店員にもほかの客にも迷惑であろう。
面白半分で近寄ったところ、彼の横にちらりと見えた女物の着物。
どう見てもとは外見が一致しないからとしばらく様子を見ていると、彼は横の女性にほほ笑んだようにも見えた。


「こういうのって、他人の私がに言うことじゃないかも知れないけど……」

でも世話焼きの友人が、悩んだ末に教えてくれた事だ。慌てて笑顔でありがとうと返した。

、もしかしたら私の見間違えかもしれない。それに!あの女と恋仲だって確証はない!」

その場はありがとうと返したけど、本当はそんな励ましをもらう理由はないのだ。
私たちが恋仲にあるわけではない。思いを告げたわけではないのに、私が親しい友人である立場に安心感を抱いているだけ。今の友としての関係を続けていければそれでいい。そう思ってる私に友の声は強く響いた。

「言わないで思ってるだけなら、ずっとこのままだよ」

友人は、本気で心配し応援してくれる。今だって我が事のように語り掛ける彼女に、私は感化されたんだ。

「そうだね……文次郎には、ちゃんと言うよ」



お茶がおいしい。『ちゃんと言う』とは宣言したものの、何処かに機会が転がっていない限り言い出せそうにもないのだからこの事はしばらく保留にしよう。
食堂でおばちゃんから頂いたわらび餅を食べていると、向かいの席に仙蔵が座った。

「今日、文次郎は委員会に参加しない」
「そうなの?」

私がだらしなくきな粉をこぼしたのを見逃がさず、ため息をつきながら布巾をよこし言葉をつづけた。

「この間の実習で足を怪我したのだ」
「また留三郎と無茶したんじゃないだろうね……」
「まぁそれも、あるがな」

にやりと笑った仙蔵は「それも」の意味について教えてはくれなかった。
それにしても、委員会に来られないほどの足の怪我って、大丈夫かな……

「では、確かに伝えたからな」

仙蔵は女子もうらやむサラサラヘアーを左右に揺らし戻って行った。
ここで考えていても仕方ない。残りのわらび餅を食し、放課後の会計委員会へ足を進めた。


   ***

実に暇だ。
本当なら小平太達と裏裏山まで鍛錬に行くはずだったし、そうでなくとも一日中部屋に寝ているなんて性に合わねぇ。
だがもうじき仙蔵も作法委員会の方に行くだろう…そしたら意地でも外に出てやる。第一忍者が怪我をして、のんきに療養出来るわけが───

「潮江先輩!大丈夫ですか!?」


スパァンと襖が開かれ、あまりの不意打ちに俺も仙蔵も目を注いだ。

「団蔵!…って、会計委員総出じゃねぇか!」

方向音痴の左門まで腰に巻かれた紐を頼りにここまで来たらしい。
もう一方の紐は誰に結ばれているのかと見ていれば、息をあらげたが手綱を握っていた。

まで!」
「先輩!お見舞いに来ました!」
「お怪我は大丈夫ですか?」
「文次郎が怪我したって言った途端、皆がお見舞いに行くって聞かなくて」
「お前ら落ち着け、を困らせるんじゃねぇ!」

さっきまで静かだった部屋は一気に賑わい、更に伊作によって大袈裟に巻かれた包帯をみた後輩たちが混乱状態に陥る始末。阿鼻叫喚。

「先輩!このままだと次の決算までに書類が間に合いません!」
「大丈夫だって、左門君。私しばらく授業無いから付きっきりで作業できるよ」

俺が委員会に出られないせいで折角のの休みを会計委員に費やさせるわけにはいかない。傷は塞がってる。伊作からの外出許可が降りていないが、帳簿を向こうの部屋から運んでくるくらいなら問題ないだろう。



私の発言のせいか、なんとか起き上がろうとしている文次郎を見つけ叱り飛ばす。

「文次郎!その怪我で起きてこないで!」
「おっ、おぉ……」
「まったく、文次郎を制することができるとは流石、と言ったところか」

懐から焙烙火矢を取り出そうとする仙蔵が言うことじゃないよと言い返すと、ふとこちらに向けられた視線に気づく。

「潮江先輩を……」
「え?」
「潮江先輩を止められるなんて、お二人は『いい仲』でいらっしゃるのですか!?」

会計委員である団蔵君からの思いもよらぬ質問。
ものっすごく目を輝かせている団蔵君の横で、「それいわでもの事だぞ!」と左吉君が小声で怒ってるけど左吉君、団蔵君には難しいと思うよその言葉。
それとなく横にいる文次郎に目を向けると文次郎が、険しい顔をした。



「別に付き合ってないよ」

答えたのは俺じゃない。だ。

「文次郎が、忍者の三禁破るわけないでしょう」

下級生と目が合うように俯きぎみのその顔は、笑っていた。
「ね」と話を振られ俺は、頭が回らないままに情けなく「あぁ」と返事をする。

「じゃあ、今日の委員会は私が代理をするから」

ゆっくり休んで、と笑いかける姿にも「あぁ」とだけ繰り返し布団に目を落とす。

「お前は忍の鑑だな」

そういって委員会へ向かった仙蔵の言葉が、皮肉だと分からないほど俺だって鈍くはない。

「なんと返せばよかったんだ……」

一人になった部屋で、誰に向けられたものでもないその言葉は、静かに空気に溶けた。


   ***

文次郎が委員会に復帰したのはそれから5日後のこと。
松葉づえをつきながら部屋に入ってきた時の皆の盛り上がりようと言ったらない。
仕事の山場は超えたし、私はお役御免と言わんばかりに退室を試みた。

「なぁ

突然の呼び掛けに思わず肩が揺れる。

「あ、なに文次郎?」
「いや、俺が不在の間委員会の事を任せて悪かったな」
「いいよ別に。暇だったし。ただし、次無茶して怪我したら本当に怒るから」
「あ、あぁ……すまん」

同室の子から聞いた女の人の事とかこの間の事とかで目を合わせられないけど、良かった。以前のように話せている。それだけでもう十分だった。
もうこのまま仲のいい友達で終わるのもいいなぁと、今度こそ部屋を出ようとしたとき

「……なぁ、俺に何か言わなきゃいけない事があるだろ」
「あ?…ううん。……え、うん!?」

見事な動揺っぷりに左門君が「今のすごいな」と左吉君に耳打ちしている。うるさいよばか。

「えっ、何でそれを?どこ情報!?」
「は…、いや、忍者たるもの、そのくらい……」
「なら忍者たるものそう簡単に動揺しないでしょ」

向けられたみんなの視線にようやく気付き、あわてて落ち着きを取り戻す。

「大丈夫。もう済んだ話だから」
「は?」

そうだ。もう済んだ話。文次郎には女の人がいる。それに、この間の団蔵君の質問にも、彼は険しい顔をしていた。きっと私の手前「違う」と言いづらかったんだよね。文次郎は、優しい人だから。
だから、彼を困らせるようなことは言わないでいようと決めた。

「別に大したことじゃなかったから、大丈夫。」

またねと上げた片手。
部屋を出ようと襖に向かった時、その手が掴まれそうになったので不自然にならないよう急いで手を引いて、あとはもう、大急ぎで廊下を歩く。後ろから足音を消して追ってきてる気配がするから私もなおのこと急いで足を動かした。

「待て、っ」
「うわっ、後輩たち置いてどうしたのさっ」
「ひとつ、言わせてくれ」
「え、なに?」

大きく無骨な手に掴まれる腕が、どんどん熱くなっていく。
早く手を放してほしいと思いながら、きっと離されれば泣きたくなる。恋とは面倒なものだ。



改めて名前を呼ばれ、反射的に彼の目を見る。
ずっとうつむいていたせいで気付かなかったけれど、文次郎の顔はなぜか赤く、目を泳がせていた。

「お前に、渡す物がある」

そういって懐から取り出したのは、あまりに意外なもので。

「かんざし……」
「実習先で見つけたんだ。本当はもっと早く渡すはずが、色々あって遅くなった」
「これって、女の子と買いに行った時の……」

ぽつりと口にしてから、しまったと思ってももう遅い。文次郎に対して言うことじゃないのに。
恐る恐る顔を上げると、何故知ってるんだ?と少し眉をひそめる文次郎と目が合い、慌てた私は聞かれてもないのにぺらぺらと話し出す。

「いや、同室の子がたまたま見たって話を聞いて、いや、その子が勝手に話し始めたというか別にどうでもいいんだけどなんとなく、あ、これこそどうでも「おい、待て」

私の手に簪を乗せた文次郎の声の近さに驚き、もう何も考えられなくなって逆に気持ちが落ち着いた。

「ごめん」
「いや……何か勘違いしているようだが、俺が、」


俺が一緒に簪を見立ててもらっていた相手は仙蔵だぞ。

そう聞いたときの私の顔が、よっぽど間抜けたものだったのだろう。
滅多に笑わない文次郎がふっと目を細めた。

「まぁ、実習後の姿といえば、あいつが女装していたから勘違いするのもわかるが」

そうか、同室の子が見たのは女装した仙蔵だったんだ。
手に乗せられた赤く輝く文次郎からの贈り物に思わず頬が緩む。

「あー……それで、一つ言いたいことがあるんだ」
「あっ何?」

すっかり自分の世界に入ってしまっていた。目の前に立つ文次郎は少しほっとしたような顔を見せてから、またすぐに緊張めいた様子で言葉を紡ぐ。

「団蔵からの質問に、俺はまだ、答えてないだろ?」

『団蔵からの質問』。なんのことか聞かなくてもわかる。でも今はこの簪をもらった喜びに浸らせてくれてもいいのに。なんて言われるのか、また心の中は落ち着かない

「俺達は恋仲ではない。……が、簪を渡す理由は、つまりまぁ、そういうことだ」

息をするのも忘れて、文次郎の顔を覗くと今まで見たことないくらい真っ赤になった文次郎が真っ直ぐにこちらを見ていた。

「お前は、どうだ、
「私、は…」

ねぇ団蔵君、もう一回同じ質問をして。

今度は、「はい」と、答えるから。





『なぁ仙蔵、俺はこの簪が似合うと思うんだが、どうだ?』
『いちいち私に伺いを立てるな文次郎』
『しかし…』
『…あいつは、お前が選んだものに文句を言うか?』
『…───いや、きっと笑って喜んでくれるな』

その時のお前の顔を、見せてやりたいな。随分間抜けた顔で笑っておったぞ。

「どうやら互いに誤解をしていたようだな」

まったく。世話に焼ける同室だ。  



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