入学式を見届けた桜はその後惜しむ間もないくらのスピードで葉桜に変化した。
日本人を魅了するあの花弁もいいが、太陽の光を透かすような青々とした緑も同じくらい好きだった。
心穏やかな時間を過ごしている時に目撃したことだから、この時の出来事を彼はしっかりと記憶していたのだ。
「初めまして!!よろしくっス!!」
「うん。絶対に嫌^^」
誰にでも向けられる優しい笑みは当然わけ隔てなく夜嵐イナサにも向けられたが、そのロから発せられる言葉は誰一人想像だにしない否定の言葉で、クラス中の視線が彼に集まった。
「い、や?」
「うん。程よく距離を置いてやっていこう^^」
粛々と。学年合同活動の挨拶は粛々と進められ、結局授業終わりまで二人の距離が縮まることはなく、終了の挨拶を終えそれぞれのクラスに戻った後、心配したクラスメイ卜がやイナサの傍へ寄った。
はクラスメイトからの問いに変わらない笑顔で答えた。
「うーん、彼の近くにいると飛ばされちゃいそう」
の言葉がまるで判らないでもなかった。入学式では周囲より少し飛び出るくらい背丈のあるイナサと違い、はまだ中学生の影を色濃く残しているタイプの男だ。体格も声量も、個性の派手さもまるで違うから確かに夜嵐の個性をもってすれば、など簡単に飛ばされてしまうだろう。
「それにしてもひどいっス!!それはあくまで見た目の事であって、実際話してみたら意外と気が合うかもしれない!!」
「すでに声量が大きすぎる〜それに授業以外で無理に一緒にいる必要はないんじゃない?」
「えっ!全然無理はしてないっスよ!!」
「俺の事を言ってるんだよなあ」
にこにこ。顔は笑っているし声だって穏やかだが、それがイナサに向けられていないことは明らかだった。最初は面白がっていた周囲も次第にイナサが哀れになって、もうに構うなと言ってもイナサはを見つけては隣に並び一方的に話続けた。
「君!!」
「……今度は何?」
「そういえば君の個性ってなんだっけ!?隣のクラスだからまだ見てないっス!」
その言葉にずっと前だけを見て歩いていたの足が止まる。
イナサはそれが嬉しくての顔を覗き込むが、彼が浮かべていたのはイナサとは対照的な表情だった。
「君?」
「はあ……もういいよ」
「えっ何が?」
「ううん。何でもない。個性ならそのうち見せる機会があるでしょ。それじゃ」
「待って!!」
腕を掴んでしまえばそれまで。体格差のある相手に、それもイナサのような男に掴まれてしまえば当然逃げられない。ため息をついて後ろを振り向くとイナサはきゅっと眉をひそめて迷子のような顔でを見下ろしている。
「俺、わからないのが嫌っス。何かしたなら謝るし、改善する。なんでか、君に嫌われるのが嫌だから」
「……『なんで』かって、わからないのならそれが俺を不快にしてるんだよ」
「え……?」
「なんでもないっ。俺の八つ当たりだから気にしないで」
掴んでいた手はいつの間にかするりとかわされ、イナサは今度こそ一人残された。
「君…っ」
初めて会った日からそうだ。彼の"愛想笑い"はイナサをひどく、不安な気持ちにさせた。
***
「君!!久しぶり!!」
「そうだね。早く自分のクラスに戻ったら?」
「せっかくの課外授業なんだし、クラス関係なく楽しもう!!」
「誰か彼を連れ戻して〜」
の声もむなしく、どちらのクラスメイトもイナサを引きはがそうとはしなかった。
元々好奇心旺盛な彼がここまで興味を示しているのだ。これを止めるのは骨が折れる。
「今回の『宝探し』は個人戦でしょう?俺に上昇志向はないから、いい成績取りたいならここにいるよりさっさと前進んだ方がいいよ。君の個性なら簡単だろう」
「うん!!心配してくれてありがとう!!」
「そうじゃないんだけど……危ないよ」
「うおっ!?」
イナサの襟が下からの強い力に引っ張られ体制を崩した。地面との距離が一気に近くなり反射的に顔を上げようにも抑えられてはあげられない。それからすぐ殴りつけるような音がして、うっかり口に入れてしまった木くずを吐き出した。
「先生方の仕掛けたトラップだ。振り子とは古典的だけど、音を立てずに襲ってくるのは厄介だね」
そういって立ち上がったは自身に被った木くずを払った後ぽかんと口を開けたまま膝をつくイナサの木くずも払ってやる。
「ふっ…相変わらず不注意だなあ」
その呆れたような笑い方を見て、何故かイナサは嬉しくなって思わず頭一つ分下にあるに向かって両腕を伸ばした。
「イナサ!」
名前を呼んだのはクラスメイトだ。べりっとイナサを引き剥がし悲鳴のような謝罪をして走り去っていった。
「……」
イナサはまだ口はぽかんと開いたまま小さくなるの姿を見つめていた。初めて作り笑いではない笑顔を向けられた。否、初めてではない気がして、その正体は分からないけど、心の奥の方に爛っていた何かがじわりと熱の勢いを増したような気がして、個性を発動させた。
「うわ近いな」
「君!!俺たち、やっぱり前にも会ってる気がする!!」
今度はが口を開ける番だった。わずかに驚きの表情を見せた目はー度瞬きをした後、少しだけ笑ってまた掴まれた腕を離す。
「さあ、どうだろうね」
その笑顔に爽やかさは微塵もなかったが、しかし夜嵐イナサはそれに満足して、笑いながら先を走るクラスメイトに合流した。
***
『そこで何して……降りられなくなった?勝手に個性を使ったバチが当たったんだよ。……仕方ないなぁ。おいで』
懐かしい夢をみた。
仮免試験を終え、会場から学校へ戻る途中のバスで深く眠ってしまったらしい。
道路の振動で目を覚ました時にはもう学校の傍まで来ていて、校庭には仮免を取得した生徒たちが談笑したり安堵の表情を浮かべたりしているが、イナサはその輪に入れない。
「……」
あの時、私情に流され試験を疎かにしたのは自分の落ち度で未熟さが招いた結果だと頭ではわかっていてもやはり悔しい。帽子を深くかぶりなおして悔しさを悟られないようにしながら教室へと戻るから、途中にある木の幹に人が立っていることにも気付かなかった。
「昔みたいに泣いたらいいのに」
「昔って、いつの話っスか」
「……なんだ。てっきり分かったのかと」
「君が俺に冷たいのは、その昔の事が関係してたりしますか」
「広義の意味では、そうかもね。でも大したことじゃないから気にしないで。俺が勝手に期待しちゃっただけ」
「それは嫌っス!!期待?俺、君には嫌われたく、なくて…、何もうまくいかないけど…っ」
元々気分が落ち込んでいるのだから、こんな話をしたらただでさえ堪えていた涙がさらに膜を張ってしまう。真っ赤になった目がついに涙をこぼそうとしたとき、は木に手を伸ばす。
「えっ!?」
大木の枝はゴムのように柔らかく動き、イナサの顔が校庭からは見えないよう形を変えた。
「この、個性……やっぱりっえっ、俺、あの時、君のこと女の子だと思ってた…!!」
「はは。あー、なるほどね。今より髪長かったしね」
思い出した。小学校にあがってすぐの事。
隣の学区に住む小学生との友情はそれだけで秘密めいた愉快さを含んでいて、公園の藪をかき分けた先の小さな原っぱを“少女”の個性で秘密基地にして遊ぶ時間がイナサも、“少女”も好きであった。だからその子が引っ越すと聞いた時、イナサはひどく泣いて、相手を困らせるわがままを言い続けた。
『困ったなあ』
眉を下げて笑う顔は困っているというより意地悪な顔に見えるからコンプレックスなんだとよく言っていた。
「大丈夫。イナサのことは絶対忘れないからさ」
「本当に?」
「うんイナサも、大きな木を見るたびに思い出して。イナサが好きっていったこの個性のこと」
大事な木、傷つけないでね
「君、入学してすぐ個性を使った時に校庭の立派な木を傷つけたでしょう。そのうえはじめましてだなんて言うから、俺だけが覚えてたのかと思ってムッとしちゃった」
「そんなこと……今全部理解したっス!」
「あっそう。ご愁傷様」
「君」
「なに?」
「俺の初恋、これ、どうしたらいいと思う……?」
「知らない。桜の木にでも埋めちゃえば?」
「絶対いやっス!今から叶えよう!」
「困ったなぁ^^」
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