「なぁ啓悟」
「ん?」
「別れよっか」

早すぎる男から言われる前にと口にした言葉に、早すぎる拳が飛んできた。うわ痛ェ、口の中めっちゃ血の味する。

「びっくりした……」
「いや、それこっちのセリフ……いてぇし……」

血の匂いがひどくて気持ち悪い。とりあえず口をゆすいでこようと立ち上がるのを腕を引っ張られ阻止される。

「どこ行くんだよ」
「洗面所」

口を指差すとさすがにばつが悪そうに視線を反らして躊躇うように手を離した。……なんでそんな顔すんだこいつ。


「ハァァ……」

鏡に映る冴えない男は、まぁ俺の事なんだけど。その冴えない男は目の下に隈をこさえて手入れのできてない髪だってボサついている。背丈ばかりが高いだけの貧弱モブキャラだ。個性だって役立つ場を探す方が難しい。この自己評価は謙遜でも卑下でもない。ザ・事実。だからこそ怖い。あいつの横にいるのが、誰かに見られでもしたらと思うと怖くて仕方がない。波に乗ったウイングヒーローホークスが俺のせいでその評価を失ってほしくない。それにさ……

「疲れんだよなァ……」

何故あいつが俺を選んだのか知らないが、俺にはあまりにも勿体ない男だ。あいつと並ぼうと努力して気を揉むのに疲れた。忙しいからとこちらからの誘いは断るあいつの急な呼び出しに答えられるようスケジュール帳を睨み続けるのも、疲れた。
あいつが酒の席で言った告白のようなものを受けたとき、こうなることを分かってた上でイエスと言ったはずなのに。結局俺はその程度の意気地無しなのだ。
もう口の中は血の味もしない。両頬を思い切り叩いてリビングへと戻る。啓悟の背中がいつもより小さく見えるのは俺が感傷に浸っている故だろうな。

「お待たせ」
「…………」
「あー……さっきの話なんだけど」
「飽きちゃった感じ?」
「は?」

向かい合って座ったつもりが、啓悟が半身を捩って座り直したせいで髪に隠れた横顔しか見えない。

「やっぱりあれかな、男の体じゃ抱き心地悪い?俺筋肉質だしなぁ。柔らかさを求められたらさすがに答えられないな」
「おい」
「あ、それにヒーロー活動で忙しくて全然会えないからって言うのも答えられないんで。お前のためにそこまでわがまま聞いてやれない」
「……」
「あとは何だろ。ファンサがいいから妬いちゃった?まぁヒーローなんて印象重視だからそれは仕方ないよ」

「いい加減にしてくれ」

ペラペラと喋り続けた啓悟が黙ると部屋は一気に静まり返った。さっきまで惰性で付けていたテレビもいつの間にか消されていたらしい。

「……今日はもう帰ってくれ」
「こんな時間に帰るには距離あるんだけど」
「知らないよ。俺、お前の家知らないんだから」

ほんと、今思えば笑っちゃうよな。
恋人の家に行ったことないどころか知らないなんて。

「……とりあえず、保留ということでいいな?」
「なんでもいいから。さっさと」
「はいはいわかりましたよ」

元々ショルダーバッグ一つで来たんだ。泊まる気なんてなかったのだろう。適当なビジネスホテルでも予約してるに決まってる。───早すぎる男ならそのまま帰ってることも大いにあり得るけど───気付いたら玄関のドアががちゃりと閉まる音がして、部屋はいつも通り、俺一人になった。


   ***

〈ここだけの話、ホークスさんって恋人はいらっしゃるんですか?〉
〈うん?今は突然ばっさり髪を切ったアナウンサーさんに夢中で何も入ってきません〉
〈もぉまた~っ〉
〈あはは〉

テレビの中のホークスは今日も躱わし続けている。その対応は昔から変わらない。まぁ本人も言ってた通りヒーローは印象重視だから“そういうキャラ”でもない限りいたとしても公言しないだろう。ましてや相手が男だなんて炎上不可避だ。つまり俺と付き合う事はリスクでしかない。

「寒ィなぁ」

部屋の冷房効きすぎてんのかな。

先生、午後の診察お願いします」
「おぉー」

看護師に言われテレビを消す。連れてこられたインコはここが病院と分かっているのか、どこか縮こまっているようだった。



「お疲れ様でした。この辺も最近は物騒だから、駅まで揃って帰ってください」

まだ片付けがあるという看護師達を言いくるめてまとめて帰路につかせる。できるだけ一人でいたかった。静かに一人で病院の片付けをしながら啓悟が保留を申し出た訳を考える。希望的観測などするだけ虚しいが、快諾されるだろうと思っていただけに力が抜けた。しかし、それでも、次会った時にこの話が立ち消える事は絶対にない。
別れを切り出される前に言いたいが、望んでもない別れを二度言えるほどの度胸もない。

(しみじみ、俺に啓悟の横は相応しくないと思うよ)

情けなさにため息をこぼして最後の一室の明かりを消し業務を締めくくろうとしたとき、誰も来るはずもない表玄関から激しくノックする音が響いた。

「助けてください」
「はぁ?」

スマートフォンに110の数字を入力しながらそっと玄関を開けると、前に見たことのある青年が頭を下げて助けを乞うている。

「貴方は獣医でしょう。この市で唯一猛禽類も取り扱えるとか」
「そうですが」
「口は堅いほうですか」
「喋るなと言われれば」

早口で行われる一問一答に答えさせられた後、「大型の猛禽類が火傷のような傷を負っています」と言われ手を引かれたが、なんとか踏ん張りその場に留まる。

「分かってると思うが俺は獣医です」
「………」
「貴方はあれですよね。ホークスのサイドカー……ではなくサイドエフェクトでもなく、あー、なんて言うんだっけ」
「サイドキック、です。……その、つまり怪我をしたのはそのホークスで、彼の羽です。病院には行かないと言って聞かなくて、でも飛べる状況でもないようなので……その、お願いします」

大の大人が背中を深々と曲げた姿なんて久々に見た。なんて事の緊迫さから逃れるような的外れの思考を振り切って出した声は、少し震えていたのかもしれない。

「……案内、してください」

ホークスよりずっと遅い男に掴まって商業ビルの屋上へと飛んでいく。少しでも早く治療に移れるよう容態を聞いておくと

「普段はこんな真似しないんです。人命最優先、数多ある背中の羽を器用に使って本人は周囲を俯瞰できる場所にいるはずなのに」
「なのに?」
「あるマンションにヴィランの攻撃が当たりそうになった途端、飛んでいって自身の羽で受けたんです」
「……」


ぜぇぜぇ言う青年に優しさの気付かないふりをしている内にようやくマンションへと到着した。「なんだか、飛び慣れてますね」と言われたが無視だ無視。

「ヒーローホークス」
「……!」
「安心してください。私は貴方のファンでも週刊紙の記者でもなく獣医なので」
「そうですか。すみませんそいつが大袈裟で。大した事ないでしょう?」
「さぁ。診ないことには分かりませんが。後は私が見るので君はもう帰って」

少し驚いた顔をしたサイドキックも、ホークスに同じ指示を出されては断れるわけもなくお辞儀をして飛んでいった。その姿が夜に紛れたのを確認しホークスへ駆け寄る。

「右側の火傷がひどい。痛むだろうが声出すなよ」

首を横に振って拒む啓悟に無理矢理布を咥えさせ持ってきた痛み止めを打ち、効き始めるのを待つ間もなく薬を塗りつけていく。案の定肩を僅かに震わせフー、フー、と堪えるような息づかいが聞こえるのはこちらも心が痛い。

「こら、我慢しろってすぐ塗らないといけないんだから」
「……ッ、ヴ、ンッ」
「ここ掴んでろ」

空いた手がバタバタと落ち着かない。暴れて羽を傷つけたらどうしようもないので俺の首に腕を回させる。殺す気かよってくらいの力で絞められるが暴れられるよりはマシ……かもしれない。

「終わっ、た!終わったから啓悟、離れよっか」
「…………」
「啓悟、もう離れ」
「別れようとか離れようとか言ってさァ」
「は?」
「そんなに俺のこと嫌いかよ」
「いや、嫌いなわけがない」
「……でも『疲れる』んだろ」
「ん!?そんなこと言った覚え───」

あった。俺んち、俺が洗面台で血まみれの口をゆすいだとき。俺が、こいつに並ぶのは力不足だからと感じて口に出た発言だ。

「誤解だよ」
「残念ながら、はっきり聞いたよ」
「『残念』?」

聞き返したのが気にくわなかったのか、しがみついていた腕を離し俺の肩を押す。下を向いているから相変わらず顔は見れないが、機嫌を損ねたくないからと逃げるわけにはいかない。今は、啓悟の口から言葉を聞きたい。

「なぁ、別れ話を保留にしたり今の『残念』という言葉とか、俺の都合よく解釈していいものなのだろうか」
「……都合よくって何?そんなに別れたいなら自分の言葉で言ってみろよ」
「俺と別れたいのは、本当は啓悟の方だと思っていたんだ」
「そんなこと俺、言ったことある?」
「直接言ったことはないな。でもほら、俺が逆恨みしてのスキャンダルを恐れてとか。いざつきあってみたら違うなぁと思って自然消滅を図ってるとか」
「バカバカしい……」

ようやく顔を上げた啓悟のなんと可愛いことか。
次に顔を下げたのは俺の方だった。怪我人相手に抱きしめたい気持ちをなんとか抑え付けて、ほっとしたようなへらりとした顔の啓悟の目を見てまだまとまらない言葉をなんとか紡ぐ。

「お前が俺の元を止まり木だと思ってくれてるなら、俺から別れたい理由なんてないよ」
「どうだか」
「本当さ。啓悟さえこんな俺でいいって言うなら。……というか、眠くないの?」
「俺はこの先もずっと……、の───は?あぁ……、しまった………」

カクンと倒れこむ啓悟を支えてゆっくりと羽を畳んでいく。触れている相手を少しずつ眠らせる俺の個性はやはり人間くらい大きな相手にはなかなか効きづらい。

「よっと。重たいなぁ」

筋肉質のこいつを背負うのは骨が折れたが、それこそ置いていくなど考えられないから。

「どうやらお互い言葉足らずらしい。看病してやる間存分に話そうな。俺の重たい愛を伝え尽くしてやる」



俺はともかくこいつは仕事休めるのだろうか。そんなことを考えながら誰かのおかげで無傷だった家へと向かう。背中の鳥はもぞりと動いて

「ばかやろう」

と悪態をついた。本当に俺の個性、使い勝手悪いよなぁ。



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