マロングラッセ (永遠の愛の証)
それから
は姿を現さなくなったし、カタクリもその影を探そうとはしなかった。記憶の隅に追いやってあの時の形相を忘れようとしていた頃にママから告げられたジェルマ66との政略結婚。ペロスペローたちの企てる作戦のあらましを聞き兄弟達に細かな作戦の動きを説明したりと動き回っているうちにメレンゲのことは自然と忘れられた。これから迎える茶会を終えたときには忘れたことすら忘れているかもしれない。
『俺は弟に劣情を向ける、最低な兄なんだよ』
正確には忘れたのではない。思い出す頻度が減っただけだ。
「…………」
メレンゲの正体には薄々気付いていた。ビッグ・マムの子である自分達に微塵も畏敬の念を抱かないこと、時折ペロスペローの事すら呼び捨てにしかけること、家族のいる場所で、“メレンゲ”と名を呼ばれることを決して許さないこと。本人は「
」が名前だと言っていたが、ママや兄弟達に自分の存在を思い出させないための偽名なのだろう。───いや、与えられた名ではなく自ら選んで使っているのだから、本人からすればそちらが本名なのかもしれないが───
「お兄ちゃん!」
作戦が、始まった。
***
全てがあっという間のようだ。本当は波乱と混乱に満ちた数々の戦いがあったのだが全て割愛する。ここに“メレンゲ”は絡んでいないからだ。
ブリュレにより麦わらとの戦いで負った傷の応急処置は終わった。麦わらの一味への追撃は兄弟に任せ、急ぎ医務室へ向かう、予定なのだが。
ブリュレとカタクリではいかんせん体格差がありすぎる。鏡まで運ぶことすら、なんなら上体を起こさせることすら容易ではない。
ひーひー言いながら力をこめる妹に申し訳ない様子で自分でも体に力をこめるが、立つことはさすがに難しい。
「おれは少し休んでから行く。お前は先にいって様子を見てこい……」
「何言ってるの、お兄ちゃんも早くきちんとした治療を受けないと──!?」
何かに気付いたらしい。ぐるりと首の向きを変えて立ち上がる。確かに自分たち以外の何者かの気配がする。なら、一体誰なのか───
「そう覇気を飛ばさないでください。敵ではありませんよ」
「メレ……
……」
「おや、約束を覚えてくれていたようで嬉しいです。……というか、やはり忘れてはくれていないようで」
頬をかく横顔は何を思っているのか読みづらい。警戒するブリュレもカタクリが顔見知りだと知ってから多少の警戒は解いている。
「さ。ここは私が運ぶので、ブリュレ様は先にいって医者達に大至急支度するよう伝えていただけますか?」
「……わかったわ。医務室への鏡はこれよ」
「ありがとうございます」
僅かに警戒を見せたまま、かといって兄の身には代えられないと急ぎ医務室へと向かった。
「……」
「色々言いたい事があるんでしょうが、今は何も言わず、ご自身の体を気遣ってくださいな」
「以前お前は、おれの兄だと言ったな」
「……ですから、それはまた今度にして。今はお体を第一に──」
「どうせ逃げるだろ」
ピシャリと言い切られた言葉に何も返せないのはまさしくその通りだから。むしろカタクリの身の安全を確保した後は混乱に乗じて島を出るつもりだったのだ。
「……いえ、逃げたりなんかしませんよ」
付け加えたがこれだけ間が空けば無理がある。カタクリもそれを察したのか左腕を腹の上に乗せ、傷口に手をかける。
「お前が喋るまで、このまま動かねェぞ」
ぐ、と傷口に指が沈むのと同時にまだ止血の施されていない傷口からは血が流れる。これにはさすがに降参だ。
「全く……ッ昔から強情っ張りなのは変わらない!」
「今更そんな事を言ってどうする」
「開き直るな!……で、くださいよ」
「誰に気を遣っているんだ」
兄弟なんだろう、と言われてようやく重い口を開く。
「……あぁ。そうですよ」
ペロスペローが産まれたその十二時間以上も後の事。出たくないと抗っていたのだろう片割れはこの地上に産み落とされたことを嘆くように延々と泣き続けた。それが
である。
「私は昔から“お外遊び”というものが嫌いで。5歳で体に悪魔を宿してからはずっと分身を外へやっていましたから、本体が閉じ込められ、分身を破壊されてから誰の記憶からも私がいなくなってしまったのは仕方ないこと」
次男である貴方が私を知らなくてもおかしなことではないと言い聞かせる。
仕方がないのだ。
知らなかったことは。
「今後の人生、何があろうと貴方と私はママの子。あの人の決めた結婚に従うし、あの人の命令した指示に従わねばならない。だから私たち二人がどうこうなることはできないんですよ」
言い聞かせるような言葉はカタクリと
自身に向けたものだ。ゆるゆると、首にかけられた縄を絞められる気分だ。言われなくても分かってる。シャーロット家に産まれた以上、自分の意思など二の次なのだと。
「私はそれが苦しい。だからこそ、貴方だけでも同じ思いをしないでほしかった」
「……その言い方じゃあまるで」
「えぇ。貴方も私が好きでしょう。カタクリ」
なんてことのないようにさらりと放たれる言葉に対して、今更自身を偽ってまで否という気は起きなかったが、素直に返事をしてやる気にもならない。
も返事を待っているわけではないようで、着々とその巨体を運ぶ準備を進めていく。
「──んっ!?」
驚いた声を出したのは
の方だった。突然引かれた上体は抗うための力を備えてはおらず、向こうの思うままに顔を引き寄せられ唇を噛みつかれる。
「痛いなぁ」
「体半分吹っ飛ばされても平気な顔してたくせにか?」
トラウマのように脳に染み付いた光景を思い出して口にする。
も何のことか察したらしくあぁ、と言ってまた笑う。
「そりゃ、あのときは本体ではなかったから」
「……!」
口の端からぽたぽたと血を流しながら、麦わらが暴れてくれたおかげで隠されていた檻が壊れましたと笑う。
なるほど通りで、いつもより老けて見える訳だ。
辛うじて皮肉を口にしたの後、とうとう血の気が無くなったのか気を失った。指先から伝うじんわりとした熱が、
のものだと感じながら。
未だ町の復興は成せていないが、どの兄弟もみな傷は癒え、戦闘にも復帰できるようになってしばらく経った頃。
勿論カタクリも例外ではなく、他の家族同様一大臣として被害の修復に当たっている。あの事件当日とはまた違う目まぐるしさに追われていた。
復興とは別に、やらねばならないこともあったから。
「“本体”が自由になった以上、私はもうママに殺されるんだろうなぁと思っていたんですけどね」
「そうか」
「予想通り呼び出されて。『あーオアデッドされる~』と思ったら、反旗を起こさない限り好きにしていいと言われまして」
どうやら滅多にわがまま言わない息子からのお願いだからとか。一体誰のお陰なのでしょう。お礼が言いたいです。
わざとらしい言葉には反応せず、顔を更にマフラーに埋め腕を組む。
「好きにしていいのなら、何故また給仕の格好をしてる」
「今更シャーロット家長男として振る舞うのは無理があるでしょう。それに」
『どうしたんですか、その怪我は』
『…………あぁ?』
「話すきっかけも、傍にいられたのも、私が“ただの給仕”だったからですよ」
「……」
「この格好なら、ずっとカタクリの傍にいても変ではないでしょう?」
主を呼び捨てにする給仕があるか。
そう言ってやろうと思ってやめた。
腕を組んだまま目をつむりマフラーに顔を埋めて気を落ち着けている間に、自分よりも小さな両手がカタクリの左手を引き寄せる。
「ずっと、傍にいますから」
薬指に口づけられた時には、驚きと、困惑と恥じらいで思わず土竜を振り上げてしまったが仕方がないだろう。
が傍についてからというもの、ろくに未来視などできないのだから。
Back