報告書を前に頭を抱えた。
まさか、よりにもよって、今回とは。
速達で送られてきた某国からの抗議文が視界の端について、目を背けても白紙の報告書が逃げられないと急かしてくる。
海軍大将なんてなるんじゃなかった。
今すぐ部屋を出て逃亡したいが、流石にセンゴクが許しはしないだろう。少しずつ窓に霜が降りているのがわかるがこれは些細な八つ当たりなのだ。止められない。
だというのにこの苛立ちが最頂点にあるこのタイミングで問題の男が部屋にやってきた。
「失礼します!」
「入りなさい……」
一音一音区切られた大きな声は今の沈んだクザンのそれとはまさに正反対で、元気よく開けられた扉からはやはり元気な顔をした海兵が入ってきた。
少将の立場でありながら着崩すことなく教科書通りの着こなしをする制服はまだ糊がきいている。
真っ白な手袋をはめた手をピンと張り敬礼をする姿も新兵そのものだが、彼は海軍少将という立場で、数多くの部下の命や近隣国との条約という重責を抱える立場にあるのだが本人はその重さをいまいち理解していない。
クザンは再度ため息をついた。
「
さァ……なんで呼ばれたか分かってる?」
「はい!この間の海戦で俺が海賊をうっかり殺してしまった事です!」
「そう。おれさァ、伝電虫で伝えたよね?『某国の財宝を盗んだ海賊は、財宝の売買先を聞き出すために殺すな』って。お前あんとき『はい』ってでかい声で返事したでしょ」
「はい!」
「うん、そんな具合で」
思わず氷結させた手が握る力でパキリと音を立てた。パラパラと散る氷の粒が書類に落ちる前に紙をどかし、
への調書を続ける。
「知ってて何故殺したの」
「はっ。海賊の一名を捕らえ尋問にかけるべく護送をしていたのですが、途中で部下の腰刀を奪い逃走を図った為、おとなしくさせようと手刀で首を打ったら……」
「勢い余って骨を折った、とお前さァ……」
「本当に申し訳ございません!!」
土下座した時の頭突きはクザンの足元にまで振動がくるほどの勢いだが、
は極度の石頭なのかまるで気にしていないように言葉をつづけた。
「免職だけは…免職だけは勘弁してくだざい!俺まだクザンさ…クザン大将の下で働ぎだいでず……ッ!!」
「うるせえ泣くなみっともねェ!」
いつもこうだ。新人ならまだ許される行為を少将になっても繰り返していては部下からられるのも当然だ。
本人は「俺たち信頼関係築けてます!」と自信満々だったが、その部下から「洗濯物は早めに出しておいてくださいよ」と言われる姿はどう見ても下に見られているとしか思えない。
「はぁ……財宝の行方はゼロから調べないとだな。向こうの外交官にはおれから話しておくから、お前のとこも捜索隊に加わりなさいよ」
「はい!夜明けとともに出航致します!」
「気合十分なのもいいけどね、部下の疲労具合を確認するものお前の仕事だから。わかってるよな」
「はい!失礼します!」
腕に定規を仕込んでいるかのような敬礼をして部屋をでていく後ろ姿に、本当に分かっているのかと部屋に残されたクザンがため息をこぼした。
***
「あ!クザン隊長~!」
「手振るの止めなさいや」
「ハッ!まさか見送って頂けるとは思っていなかったため、つい感激してしまいました!」
「はいはい……昨日の今日で出られるわけ?」
「はい!部下たちのコンディションも問題ありません!替えの制服も持ちました!」
「制服の申告はいらん」
は口元をきゅっと上げて再度敬礼する。腕に巻いた携帯伝電虫から部下の急かす声が聞こえたからだ。
「それでは、行ってまいります!」
あまりに堂々とした敬礼。
まだ名前も知らない頃から見ていた変わらない姿だが、あの頃と違い体は震えていなかった。
「まだ早朝なんだから静かにしなさいや」
手を振って見送る背中は他の少将たちよりずっと小さく、所謂凡人だ。
(贔屓にしてやるほど秀でた点はないんだよ)
何度つぶされても何度追いやられても笑顔で手元に戻ってくる姿につい関心が向いたのだ。赤犬の直轄隊でありながら苛烈さなどなく、戦に怯える男を哀れに思って引き抜いた。
本人の青雉にあこがれていたという言葉がどこまで本心かはわからないが、あの元気さを見ればそれほど現状に不満はないのだろうと思う。
「やる気だけは十分だよね。何かしら成果があればいいけど」
また泣き顔を浮かべて帰ってくるであろう部下をどう励ましてやるか、そんな事を考えながら執務室へ戻る。机に置かれたままの抗議文にどう対応すればいいのか頭を悩ませながら。
子犬赤い犬
だから
の戦艦が戻ってきたとき、クザンは僅かに冷や汗をかいた。
舷から降りてきた
はあんなに真っ白だった制服を赤く染めて目も虚ろだったから。
「
」
青雉の声に反応を示した
は暗い目をしてはいるものの反射のように口に笑みを浮かべ敬礼する。
「クザン大将に迷惑をかけぬよう、しっかり任務を果たしてまいりました」
抗議文撤回を告げる文書は、血で汚れぬよう厳重に保管されてクザンの手元へ渡った。
「お前、それ、大丈夫なの」
「え?ああ、はい。ほとんど返り血ですから」
が動くたびに制服につく凝固した血が剥がれ落ちるが、それとは別にまだ乾いていない血も、少しずつ甲板を濡らしている。
「いやいや、お前」
「大丈夫です……まだ、働けま……」
焦点の合わない目や前後に揺れる体からして倒れてくるのは分かっていたのにクザンは避けることもせずそのまま倒れこむ
を受け止めた。
「……お疲れさん」
「あー!少将!着替えもせず船をおりて……ヴァー!?申し訳ありません申し訳ありません!」
「青雉殿に会うときはいつも綺麗な制服で会うと言っているのですが…!!」
「今回は特に気合入ってて。私たちの半分は前線に立つ間もありませんでしたッ」
上官を労う部下たちを見て、なるほど信頼関係が築けてるという言葉も理解できた。
しかし、この血まみれで意識を失った男を、真っ青な顔で手を伸ばす部下達に預けることなく自分の手で医務室に運ぶと言い張った己の行動には全く理解できなった。
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