のまれてろ

竈門の火が薪を燃やす静かな音は、男の唸り声や咳払いでかき消される。さっさと自室に籠もりたいのだが、屋敷の掃除をする男が飲酒できる部屋を制限しているため、買い溜められたお高い酒にありつくにはここにいるしかないのだ。ゾロはこれから始まるであろう茶番に霹靂しながら酒瓶を傾けた。
いつもなら『もっとゆっくり味わえよ』と小言をいう男が、今は鷹の目に上手く誘導され酒瓶を傾ける側に回っている。そしてその男、吐くのかと疑わしい程に何度も深呼吸と咳払いを繰り返してはまた酒瓶に手をかけるという行為を3回ほど繰り返して、ようやく意を決したように顔を上げた。

「嫁に来いミホーク!俺が一生かけて幸せにしゅる……ぶわっはっは!また噛んじまったッ」

真正面にいる鷹の目ことジュラキュール・ミホークに唾がかかるくらいの距離で笑うという男は酒を飲むたびにこうしてプロポーズの言葉を吐いては勝手に玉砕している。それに対しゴーストプリンセスが野次を飛ばすのが恒例だ。

「まーた失敗したのか!お前は滑舌が悪いんだから飲んでないときに言え!」
「ばかやろぉ素面で言えるかっての!」
「めんどくせぇなぁ!おい、もうお前から言えよ!旦那だろ!」

ペローナに泣きつこうとしては蹴り剥がされ、都合よく置いてあったクッションに倒れ込みそのまま眠った。あんなにうるさかった男が黙ればもうこの部屋に聞こえるのは薪の燃える音だけとなり、それをお開きの合図にペローナはあくび一つして自室へと戻った。本当に、本当にくだらない無為な時間であったがゾロにとって有益となるのはこれからだ。

「なァ、今から手合わせしようぜ」
「……」
「どうせお互い酒も抜けてるだろ。それに……」

鷹の目の鋭い眼光に武者震いを覚える。の騒々しさにはうんざりだが、この時ばかりは感謝の意を表してもいい。こうなるとミホークの手合わせはいつにも増して熱が入るのだ。既に剣を持ち中庭に降りたミホークを追ってゾロもバルコニーから飛び降りた。


   ***

日が昇る。夜通し続いた手合わせはどちらかともなく剣をおろし、もうしばらくすれば聞こえてくるであろう喧騒に備え身支度を始めた。

「あぁ゙!頭が!痛ェ!」
「自分で深酒したんだろ!さっさと朝飯作れよな!今日はお前の当番だぞ!」
「容赦ないな……あ!?あんなに買い溜めておいた酒が全部無くなってる!?ゾロの野郎ぉ……すごいな!でも許せん!」

確かにゾロもかなりの量を飲んだが鷹の目に煽られただって負けてない量を飲んでいる。本人が覚えていないせいでひどい八つ当たりを受けたわけだが、それだって横に立つ不機嫌そうな男の顔を見ればありがたいくらいだ。

「……あれ、ミホークにゾロ。朝早いな」
「おぬしが遅すぎるのだ」

いつの間にかミホークは悠々とのいる部屋まで上がっている。一人になったゾロはそのまま地面に寝転んだ。

「そうかなぁ……イテテ、だめだ、あさめし作れるきがしない……」
「たっくしょうがねぇなぁ!明日の当番と替わってやるよ!感謝しろ!」
「まじで?ありがとうペローナ、愛してる」

パリンッ!
空になった酒瓶が砕け散った。手持ち無沙汰にいじっていた瓶がミホークの手の中で粉々に砕け散っている。下から皆の会話を聞いていたゾロは今日の鍛錬もさぞ盛り上がるだろうと満足気に笑う。

「何してんだミホーク」
「……」
「手、大丈夫か?」
「仕事増やされたことにキレろよ!」
「あ、そうか」

キレのあるツッコミにへらりとした笑みを浮かべてミホークに布巾を投げ渡し、頭を抑えながらペローナの朝食作りを手伝いに行った。それをミホークは鷹のような目つきで真っ直ぐに見つめている。それこそゾロでも察する程度には露骨であるのに、は酒で口を滑らかにしないと肝心の言葉が出てこないと言う。しかしそんなことはゾロにとって預かり知らぬことで、むしろこのまま鷹の目を振り回してくれれば都合がいいと考えていた。

「ゾロぉ、朝飯できたぞ〜いでで」
「おう」

席につくと肩が触れ合うくらいの距離に座って話している二人と対面し、こちらの方がよっぽど恥ずかしいのではとも思ったが口にはせず、出されたものを黙っていただき、またミホークとの鍛錬に励む。が二日酔いの日は──かなりの頻度でこの日はやってくるのだが──いつも自身の不甲斐なさから自己嫌悪に陥りながらのたのたと家事を行い、仕舞にはペローナの手を借りて終わらせるような特段秀でた点もない、追い出すことへのデメリットがないような男をいまだに置いておく理由など、そうないだろう。

「ミホーク、明日島に連れて行ってくれないか?買い出ししたくて」

にやりと笑みを浮かべたゾロを見たは何を思ったのか「デートだからお前は連れて行かないぞ」と言う。そんなのこちらから願い下げだ。


   ***

「それじゃあ俺たち出掛けるけど……大丈夫なのか、ゾロは。随分やり合ってたみたいだが」
「気にするな。彼奴が弱いだけだ」
「お前が答えるのかよ。ゾロは未来のある男なんだから後遺症が残るような怪我はさせるなよ」
「それはおぬし次第だろうな」
「え、なんで俺……?」

多少の身長差のある二人はいつだって距離が近い。手を繋がなくとも傍から見ればデートだと分かるような距離感で街を練り歩いているのだから今更プロポーズをしたくらいで何も変わらないだろうと、前に酒屋の親父が荷物持ちで島に駆り出されたゾロに言ったことがある。
繰り返すがその辺の事情はゾロには至極どうでもよくて、肝心なのは呑気に裏路地の露店を満喫するいいカモことに背後から近付いた暴漢が一瞬にして倒れたことや、が煙草を吸いに行っている間に市民に紛れた海賊狩りをあっさり無力化するその手捌きが見られるという事だ。
しかし、両手に抱えていた荷物を上手く持ち替えて鷹の目の腰に腕を回したり、海賊の気配に敏感な男がそんなの行動に僅かばかりにも目を見開いたりという一面も見なければならないため、よっぽどの理由がない限り買い出しには同行しないと決めている。


そんな二人だからどうせ上機嫌で戻ってくるのだろうと高を括っていたが、どうやらその予想は外れたらしい。は腕を組み明らかに不機嫌な様子で戻ってきて、鷹の目は当事者とは思えない俯瞰した態度で荷物を持ちの後ろをついてくる。一体何があったのかとペローナが問えば、どうやらミホークに原因があるらしい。

「俺が買い出しを終えて一服してる時によ、一人の細身の青年が道を教えてくれって俺の隣に来たんだよ。訛があって旅行者みたいで、武器らしいものも持ってなかったから別に危ない奴じゃなかったのに、ミホークがそいつの腕を捻り上げて追い返しやがったんだ」
「……」
「何か俺が見落としてたのか聞いても答えやしない。ミホークの早とちりだろうと言っても認めないし、彼に謝罪もしないんだ」

ひどい、あの街は買い物しやすくて気に入ってたのに行きづらくなった。不満を垂れ流すを見下ろしていた鷹の目がようやく口を開けた。

「腕を締めるのはお主でも良かったのだぞ」
「なんて???」

突然の暴力発言に意味がわからないとは目を丸くするばかり。

「距離が近かったろう」
「波の音で声が聞こえづらかったんだよ。道案内だから細かい場所だって聞かれるだろうし」
「あれは男娼だぞ」
「エッ」
「……」

何故鷹の目がそれに気付いたのかは分からないが、つまり不機嫌なのはだけではなかったのだ。男娼だと気付けなかった事へのごまかしか、は小さく咳払いをして「ひどいなぁ」と言った。

「俺が浮気するとでも思ったのか?」

それに対し鷹の目は無表情のまま、しかし力強い声で「あぁ」と返す。

「その移り気によっていくつ刀傷を体に残したかもう忘れたか」

この時のゾロの落胆たるや。鷹の目がそんなしょうもない──本人らからしたらそれなりの理由なのだろうが──理由で刀を振るっているなど知りたくはなかった。『背中の傷は剣士の恥』?刀傷をそんな安い事で残さないでほしい。

「………うん!確かに説得力がないな!でも本当に、一番大切なのはミホークなんだけどな。どうしたら信じてもらえるかなァ」
「軽い言葉を吐くのはお主の特技だからな」
「受け取る気がないんだろう。俺ばっかり好きで、そりゃあ多少の目移りもしちゃうよ」
「……」
「無言で柄を握るな!」

二人のピリついたやりとりにしびれを切らたのはここまで空中に浮いて見物していたペローナだった。怒っていのか泣きそうなのか分からない顔で空を叩き、ゴーストをの方へ飛ばす。

「いい加減にしろいつまでも喧嘩しやがって!そんなの宙ぶらりんな関係だからだろ!さっさとそのポケットのもん渡しちまえ!」
「わっ!待ってく──生まれてきてすいませんでした……俺は無様な性欲茶虫です……」

ゴーストが浚った小さな四角い箱はそのまま鷹の目の手に渡った。早くも立ち直りをみせるはこんな形で渡すことになるなんてと再び肩を落す。
「おい」
「……あい」
「お前が俺を寄越せと言ったんだ。なら最後までやり遂げろ」
「ひゃい……」

突き返された箱から指輪を取り出して震える手でミホークの手を取る。

「ずっと、俺の横にいてください」
「あぁ。幸福な生涯を送らせてやる」
「ひぇ……格好いい……」





ミホークが“お嫁さん”になるのは夜だけだね、なんてそれこそ聞きたくない。



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