無関心という愛情表現

視界が真っ赤になる。これは異常ではない。正常な反応だ。敵を前にして時々起こる事。つまり目の前の男も、これはイチジにとって敵と同じなのだ。

「……可哀想な人」

この島にいる数少ない生身の人間は、研究員の親を持ちながらも本人は給仕を希望し、両親の後押しもあり今はヴィンスモーク家のシッターを兼ねた給仕をしている。ニジやヨンジと共に何日で壊れるかを賭けていたのだが、残念ながら3人の予想は外れ、4カ月経った今でもまだ五体満足で傍仕えをしていた。それだけでも腹立たしいのに、更にイチジを苛立たせるのはこの男の過干渉によるものだった。

「イチジ様達はお強いのに、情操教育が間に合っていないようです。それでは大人になって通用しないのに」
「黙れ、口を閉じろ」

再び顔に蹴りを入れる。血を吐いて倒れてもまだ謝罪の言葉を口にしない。それどころか哀憫の眼差しを向けてくるのだから再びイチジが殴りつけるのは何一つ不自然なことではない。捨て置けとニジは言うが、召使が逆らえばしつけをするのは当然の事であるのだからこの行動に何一つ不合理はない。

「あ……」
「何かおれに言う事でも思い付いたか?」
「一つだけ。あと25分後に動的射撃訓練の時間になりますので、今の内に活動服にお召し替えを」
「……」

融通は利かないしどれだけ痛めつけようとも動きは鈍らず表情も変えない。機械のようなくせに人間らしさとやらを唱える男がイチジにとって何よりも不愉快だった。しかしそれを父に進言した日には『“不愉快”などと凡人のような感情に支配されおって』と気を失うまで殴られた。

「──が…びます。手当ても……てく…い。ソ…様の……」

イチジの意識が覚醒した時には自室にある寝具に寝かされ、顔や体には塗り薬や貼り薬がつけられている。サイドテーブルには水の入ったグラスが置かれていて、その光景の違和感から何かを探すように辺りを見渡すと、部屋の隅から「イチジ様」と憎らしい男の声がした。

「大丈夫ですか、まだ痛む場所はありますか?」
…ッ」

憎らしい。顔を見た瞬間に抱いた感情をなんとか抑えつけたのは先ほどの父の言葉を思い出したからだ。感情に支配されることは許されない。

「脳震盪を起こしたようで、ここまで運ぶ間も一度嘔吐があったためもうしばらくここでお休みください。御父上からもそのように御言付けを預かっております」
「嘘を言え」
「事実です。ここ数日体を酷使しすぎた事もありコンディションの低下が認められると進言しました。今日は一日療養に努めてください」
「余計なお世話だ。手入れならポッドに入ればすぐ済む」
「手入れではありませんイチジ様。手当てです。人に施すのは手当てです」

いつになる真剣な、イチジに言い聞かせるように声を発してサングラスを通り抜けるような強い視線がイチジに向けられる。その姿を前にして、また視界が、熱く、赤くなる。

「黙れッ!」
「……」

サイドテーブルをに向けて思い切り蹴とばす。とっさに庇った手が顔面への直撃を防いだがグラスの水までは避けられず、髪から水を滴らせながら男は忍ばせていた布巾で手早く床を拭いた。その間イチジの事は一瞥もくれない。何故か、それがまた腹立たしかった。

「すぐ拭くものをお持ちしますので少々お待ちください」
「……」

消毒液の匂いをさせた男が部屋に戻る前にイチジがその場を離れた為その後の事は分からないが、夜自室に戻った時には部屋は元通りに片付いていて、その片付いた部屋と一緒には綺麗に姿を消した。


「サンジ君」

久しく姿を現さなかった給仕は『出来損ない』の隣にいた。

「サンジ君さえよければこれを貰ってくれませんか?」
「これは?」
「マカロンというお菓子です。見た目の美しさに惹かれて買ったのですが私には多くて。ぜひレイジュ様と一緒にお召し上がりください」
「いいの?」
「もちろん。サンジ君さえよろしければですが」
「た、食べたい!」
「良かった。それでは先にこれを持ってレイジュ様のお部屋へ行って頂いてもよろしいですか?お話は通してありますので」

嬉しそうに笑い走っていく弟の姿を見てイチジは口角をあげた。足でも引っ掛けて、その手に持つ紙袋をぐしゃぐしゃにしてやろう。転んだまま泣きわめく姿を想像して両足に力を込め、跳ねた。

「!?」
「ご容赦ください。イチジ様」
…ッ」

振りかぶった腕を引っ掛けられるように掬い取られそのまま両足が宙に浮く。全力ではなかったとはいえ、ただの人間に行く手を阻まれたことへの不快感から取られたままの腕を力強く振るった。冷めた目で見下ろすその顔に拳を入れれば少しは胸がすくが、は顔を歪めることもなく苛立ちを露わにするイチジの前に膝をついた。

「これはソラ様の望んだ事ですので、どうかご容赦ください。感情のはけ口が欲しいのであれば後ほど私めがお相手しますので」
「お前、どこまでおれを愚弄するんだ」
「愚弄など」

否定の言葉を最後に、は深々と頭を下げて背を向けた。いつもこうだ。慇懃無礼で背面服従。気遣うような態度は表面上で、その行動の真意は、誰か別の意思が働いている。

、その怪我どうしたの?大丈夫?」
「何でもありません。ちょっと転んだだけですので」

強化された聴覚が耳障りな音を拾っていた。


   ***

「ソラ様が御隠れになられました」
「だからなんだ」
「貴方にとっては、血縁者、お母上なのですよ」
「いてもいなくとも変わらないだろう」
「……嗚呼、……本当に、可哀想な人」

今までとは違う、落胆ばかりを含んだ目。たまらなくなって思い切り蹴飛ばした。壁に打ち付けられた際に割れた瓦礫と一緒に地面に落ちてそのまま。起き上がりもしなければ何も発さない。糸の切れた人形のようにそのまま頭をもたげて座り込んでいる。打ち所が悪く気を失ったのかもしれない。だからといって助ける義理もないしその気もない。どうせ起こしたところでまたいつも通りの小言が始まるのだ。だから、そのまま立ち去ったのに。


   ***

次に会った時のはひどく不抜けていて、おそらく何かの薬を打たれたのだろうと推測した。その副反応でこうも別人のようになっているのだ。相変わらず使えない給仕だと思う。他の給仕だって使えないが、サンドバックとしては有能なのだからそれ以下である男が生意気にも自分に口答えし、更には──

「おい」

ベッドメイキングを終え部屋を去ろうとする男の背中を蹴りつける。前によろけた男の指は傷だらけで、目の下には濃い隈をつけ目はうつろだ。『すぐに手をあげるのはおやめください』と口うるさく言っていた口は力なく僅かに開いたまま。

「……何か」
「お前、あの出来損ないを外に出したな」
「……」
「おれたちの遊び道具だぞ。それを父上の許可もなく勝手をして、許されると思うなよ」
「構いません。私は、ずっと、ソラ様に仕える身。サンジ君をこんな地に置いておくくらいなら一人外へやってしまった方が余程彼の為。レイジュ様の意思に賛同しただけです」
「なら、あのおもちゃがいない今誰がその役割を負うか分かっているんだろうな」
「ハハッ!」

先程まで淡々と返答するだけだったが突然笑い出した。しかし決して楽しそうなものではなく、暗い目には自嘲の色が浮かんでいた。

「えぇ、構いません。むしろそのまま壊れるまでどうぞご随意に。もう仕える方もいませんので」
「何故そうなんだ」
「?」
「あの出来損ないの世話が無くなったのならまたおれに…おれたちに尽くせばいいだろう、前みたく傍で無意味に吠えるのはもうやめたのか?」
「あれはソラ様が命じたからしたまでです」
「……あの女は何を命じた」

この時は露骨に顔を歪めた。嫌悪を露わにして、しかしそれが声に出ないよう一拍開けてから静かに口を開く。

「あの『女性』は『お母さま』です」
「いちいち突っ掛るな。重要なことではない」
「重要です。少なくとも私にとっては。とても…!」

脱け殻の目に僅かな熱が戻っている。その理由を考えるとまた自分の視界が赤くなるから、今はじっと堪えることを選択した。その様子に我に返ったらしいは肺一杯に息を吸い込み非礼を詫びる。

「ソラ様は、今後ヴィンスモーク家を率いる子供たち、ひいては長たるイチジ様に人としての教育をしてくれ、と」
「自分の主の命なのだろう。なら突き通せよ」
「でも貴方自身は、それを望まないでしょう?」
「……」

望むかと聞かれれば、イチジがそれに肯定するわけがない。きっとそれを分かったうえでの質問で、もまたイチジに応じられたくはないという意思表示でもあった。

「……なら」

イチジを苛立たせるのはこの男の過干渉によるものだ。それが無くなって晴れて自由であるはずなのに、苛立ちが続くのは何故なのか、英知の結晶であるはずの頭脳でも到底解析が及ばない。

「ならこれはお前への罰だ。おれに傅いて今まで通り実らない教育を施していろ」
「……貴方がそうおっしゃるなら、俺はそれでも構いません」
「……」
「貴方はソラ様の子。俺にとって大切な方のお身内であることに変わりはありませんから」

嗚呼、本当に、腹立たしい。




はたしてどちらへの『罰』なのだろう



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