縋る余地がまだあれば

「───か、」

誰かを呼ぶ声がする。するりするりと足音を立てず近寄ってきたペルが差し出された手にそうと顔を近づける。

「はい、ここに」
「………温かいな」
「生きていますから」
「そうか」


「…………そうか」


そう言って、また眠った。
呼吸が規則的になったのを確認してから中途半端に空に浮いた手を下ろし顔を遠ざける。

「……」

このは時々“こう”なる。
一週間近く国のため王のため、民のために働いてはプツリと糸が切れたように眠りこける。二日程眠って目が覚めた時にはまた眠る前の天衣無縫、明朗快活の男に戻るのだ。いつから“こう”なのかは分からない。少なくともペルがこの男を認知した時には既にこうであった。
『元気で明るい衛兵』『頼りになる兄貴肌』『まるで指針のような人』に関する周囲の評価にペルが首を横に振りたくなるのは、こうした夜、眠りこけるの側で夜伽をする時だ。
眠っているだけなのだから要らぬと周りは言うが、ペルはこの夜伽の任を譲らなかった。国王にも城内の部屋は安全だからと言われたこともある。それでもこの役を降りるわけにはいかなかった。否、降りたくなかった。

「どうかこの時だけは……貴方の傍にいることをお許しください」

今となってはもう、彼が眠っている時しか手の届く距離にいられないのだから。


   ***

!貴様また倒れてたらしいな!」
「落ち着いてよイガラムさん。中庭で倒れたのはこれが初めてだ」
「そういう意味ではないッ!」

演習場から聞こえる声につい身を乗り出した。
下では杖術の訓練中らしいが練習用の杖を肩に担いでカラリと笑いながらイガラムの叱咤を流している。イガラムの怒る姿をまるで他人事として楽しんですらいるようだ。宥めるでも聞き流すでもなく、何故か貴重な植物でも眺めるかのような顔でイガラムと話をしている。

「言っても聞きませんよね」

声をかけてから、しまったと思った。大人しく二人の会話する姿を眺めておけば良かったのについ介入したい気持ちが表に出てしまった。この後傷付くのは自分だと言うのに。

「おはようペル」
「おはようございます」

名前を呼ばれ挨拶を交わす。しかしそれだけだ。以前なら手を振って笑いかけて、こちらの用事などお構い無しに駆け寄ってきていた。
ペルが忙しいとあしらえば冷たいこと言うなよと言いながら肩を組んできたことだろう。

「ペルも言ったように今更習慣付いたものは直せないから大目に見てよ」
「大目に見てポックリ死んだらどうすると言っているんだ!」
「大丈夫大丈夫〜。俺は、皆を残して死なないよ〜」

何か含みのある言い方だがその意味するものまでは気が付かなかった。ただひらりとこちらに背を向け演習場を後にするの背中を見送った。

「………」
「難儀だな」
「はい?」
「お互いに一歩引いた状態ではその距離が縮まることはないぞ」
「どういう、意味ですか」
「コブラ様も気にかけておられる。さっさと仲直りしてしまえ」
「喧嘩などしておりません。喧嘩すら、させてもらえないのです」

せっかく話を振られたのだ。縋る思いでイガラムに吐露した言葉がいやに弱々しくつい自嘲的に笑ってしまった。何も可笑しいことなどないのに。

「同じく国に仕える身でも思想までは異なるものだ。きちんと話し合ってみればいい。私もあいつとは一晩中殴り合いをして和解した」
「えっ?」
「臆病な奴なのだ。特にお前相手には」
「それは、どういう意味ですか」
「うっかり湯などに行って裸の付き合いでもしてくればいいさ。簡単に喧嘩まで発展するだろう」

尚更意味がわからないがしかしその問いには答えてもらえなかった。演習場には衛兵達に混じって指導するの姿があるだけで、その目は一度もこちらに向けられることはなかった。以前のように追いかけられることは、もうなかった。


   ***

さん」
「なんだい」

目は合わない。が備蓄倉庫で在庫確認が終わる頃を見図らい声をかけたのだが、簿冊に目を落としたままでこちらに向き直る素振りもない。ここまであからさまに避けられることをした心当たりがペルにはなかった。

「今度でかけませんか?」
「あー……いいけど、どこへ?」
「うっかり湯とかどうでしょう」
「……」

の手が止まる。待ち望んだ視線は訝りを含んでいて、今のは失言だったかと言葉を紡ぐのをやめた。

、さん?」
「……、あーすまん!俺しばらく忙しくてさ、のんびり風呂に行く時間は取れなさそうだ」
「そう、ですか」
「悪いな、それじゃ!」
「待ってくださいさんっ」

───パシッ

触れることを拒むように、はたき落とす事すら嫌悪するようにペルが触れた指先からすぐに逃げていく。思いもしなかった行動に動けなくなるのはペル一人で、は一瞬だけ歪めた顔をまた笑顔で取り繕いすまんと笑った。

「静電気」

なんて分かりやすい嘘。思わず睨みつけたペルの事など構わずには倉庫を出て、町の修繕作業へと赴いた。

「……あれ?」

そういえばあの人はいつから寝ていない?

ペルによぎる考えは今まさに目の前で答えとなっていて、抱えていた資材を地面にばら撒き、そのままゆっくりと倒れていくの姿があった。

さんッ!」

掴んだ腕は、以前よく肩に回されたそれとは別物かと思うほどに、冷たい。


   ***

「───か、」
「っは、さん」
「誰か……いないのか……」
「………」

が魘される時はいつも同じ事を口にしていた。その言葉の意味が分からない。しかし悪夢であることには違いないだろうからと、いつも恐る恐るその手を握るのだ。

「ここにいます」
「あぁ……」

ペルの手の甲をそっと撫でてまた眠った。濃い隈をこさえ苦しそうに眠るその顔を見るペルもまた苦しそうに顔を歪めた。



「………〜!?」
「おはよう、ペル」
「お、おはよう、ございます……」

しまった。いつの間にかペル自身も寝てしまっていたらしい。のいるベッドに両肘をついて祈るような姿勢で寝ていたせいでは動くに動けなかったのだろう。すぐに体を起こし謝罪をするも気のない返事が返ってくるばかりだ。

「手間かけたな。着替えまでさせてくれたの?」
「は……作業着は泥まみれでしたので……肌着等はそのままですが」
「十分だ。ありがとな」

それだけ。それだけ言ってすぐ部屋の外に出ようとするから堪らなくなって思い切り腕を引いた。今度は振り払われぬよう力いっぱいに。

「……」

あの時と同じく逃げようとしたが叶わなかったはペルを睨みつけた。初めて向けられる表情に一瞬息苦しさを覚えたが、それでも逃がしはしないとまた腕に力を込める。

「……そのような態度を、取られては、困ります」
「『困る』?ペルは昔からそう言っていたな」
「話を逸らさないで戴きたい!」

分かっているでしょう。情けなくも声が震えたがそれでも言ってやらねば気が済まなかった。もうずっと合わなかった視線が今はお互いに向けられているのだから。

「何故そうも逃げるのですか、前はあんなに……ッ」
「静かになってよかったと、放っておけばいいだろう」
「そうはならなかった、むしろ前のほうがずっといいと、思ってしまっているのです」

もう誤魔化しようがない程に情けない姿だと過去の自分が見れば目も当てられないだろう。前はあんなに素っ気無い態度でも気にすることなく笑いかけてくれたのに、今は追わねば静かに突き放される。それが嫌なのだと、縋ることになるなんて。

「………。お前が味方だろうと分かってはいるんだ」
「え?」

諦めたように肩の力を落としてそれでも表情には僅かに笑みが浮かんでいた。するりと肌着を持ち上げる。暑いからとよく脱いでいたその肌に、今までとは違う点が一つ。

さん、この傷……」
「刺されたんだよ。ここの国民にさ」
「先の内乱、ですか」
「あぁ。別に特別なことじゃないよな。殺された奴だっているんだから」
「これもクロコダイルのせいで──」
「ハァ……」

溜息一つ。ペルが黙るのはそれだけで十分だった。は険しい顔を崩さないままでペルの目をじっと見つめる。

「あの切っ掛けがクロコダイルによるものだったとしても、あの時人々が抱いていた殺意は本物だろう」
「……」
「コブラ王を敵として武器を握るのは男だけじゃない。女や年寄りだっていた。王は国民に手を出すなと言ったが一方的に暴力を振るわれれば国王軍だって冷静ではいられない。そりゃそうだ。目の前で仲間が血を吹き出していれば」
「そんな、」
「国を守るための兵が、ナイフを振り回す老人の腕を折っていたよ。女が熱湯を撒いたから俺の部下は顔に消えない火傷を負った。きっと片耳イカれただろう。前に皆で植えた花壇には水ではなく血でいっぱいになったし、贔屓にしてた居酒屋の親父を捕縛し牢に入れた。『裏切り者』と罵声を浴びせてきたなぁ。国王軍になると言っていた子供たちは今どうしてるのか。──クロコダイルのせいだから、で終わらせられない記憶があるんだ。最前線の兵たちには」

その目には恨みからか強い熱が含まれていて、ペルは口を挟むことも、その目を逸らすことも叶わずなんとか呼吸を続けていた。

「俺を刺したやつは誰だが知らないが、どちらの肩にもバロックワークスのタトゥーは入っていなかったよ」
「……っ」
「もう誰が味方か分からず眠れなくなった。そんな自分が誰よりも腑抜けで情けないとは分かってるんだけどさ」

は自分の手を見つめる。震えるまではいかなくとも弱々しく指の曲げ伸ばしを行っている。

、さん……」
「……」

その手を包もうとして静かに躱される。小さな声でごめん、と言う顔は痛みに堪えるようにして笑っていた。

「他人事のように話してしまったが、俺の手だって綺麗じゃないよ」

知らなかった。
自分の方が療養期間が長かったからだろう。が何でもないように笑ってるから。──いや、言い訳だ。傍に居たいといいながら、結局怖くて深くまで知ろうともしなかった。

「あぁ………ッ」

の笑った顔が、今はあんなに遠い。


「……イガラムさんに言われてたんだ。ペルと話をつけろって」
「私も言われました」
「懺悔ができて良かった。もう俺は、誇れる戦士ではないが、それでも俺は、このアラバスタで生きたいんだよ」
「私だって、貴方のいるアラバスタで共に生きたいと思っています」
「……」
「なのに貴方は私から遠ざかると言うのですか…っ」





「折角厄介払いできる機会を無下にするのか?」
「突き放すのは手遅れだったようで」
「あぁ……お前だけは俺を突き放してくれると思ったのに」
「そんなことはしない。むしろ、貴方の背負い込んだ咎を一緒に背負わせて頂きたい」
「……」
さん?」
「いや、今のは告白だよなぁって」
「なっ……!?」
「照れるなあ。俺が惚れさせたかったのに先にときめいちゃったよ。ペル」
さん!」

惚れた相手でなければこんな必死に繋ぎ止めはしないって、突然抱きしめられたら口が働かなくなってしまう!



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