愛おしさを包み込んで

“赤犬”ことサカズキを怒らせる人物など5万といるが、困らせる人物はきっと片手といないだろう。普段の威圧感も幾分か鳴りを潜め、資料に目を落とすサカズキの横はいつもより居心地がいい。普段からこのくらい気を抜いていればいいものを、そう思いながら欠伸を噛んだ。

「黄猿殿はどう思われますか」
「わっしかい?そうだねェ」

もう総大将が気もそぞろだし、後日に持ちこそう。先程から捲られない資料を横目で見てから正面を向き声を発する。

「もう少し視察を続けてみようかァ」

面倒を起こす気はないのだ。余計なことは言わない、触れないのが一番だと黄猿はのったりと会議をお開きにした。




黄猿が赤犬に意見を仰がず会議を閉じた。きっと何か察しているのかもしれないとは思いながらも正直それどころではなかった。

「納得いかん」

さて、自室に戻り葉巻を思い切り吸ったサカズキはその紫煙を吐き出しながらあの時の事を思い返していた。サカズキを恐れず、崇めず、常に真横にいるように自分を偽らないあと男との一場面を。


   ーーー

今思えば、その日の休みだって上が率先して休まねば下も休めないという男の指摘から無理矢理取らされたものだった。とはいえ急ぎの仕事があるわけでもなく、確かに久しくゆっくりと顔を合わせていなかったからと自ら休暇届けを申請したのだ。その時のサカズキは不機嫌ではないし、相手に関しては上機嫌だった。
だから彼を怒らせたのだとしたら、あの時だ。

『ぼく、大きくなったらかいぞくになるっ』

齢十もいかない子供だが、よりにもよって海軍本部のあるここでそんな発言をしたのだ。赤犬が『海賊』の言葉に反応して二度とそのような事を言わぬよう親子に対し"脅し"をかけたのも無理はない。だというのに、その一件以降サカズキの横でニコニコと笑っていた男、ががらりと表情を変えた。

『おい、何を拗ねちょる』
『………』
『貴様、聞こえとるんじゃろうが』
『………』
ッ!!!』

皆が振り返るサカズキの大声もすべて無視して、はスタスタと自分の拠点へと帰っていった。

   ーーー


それ以来、サカズキはどこか上の空だった。

「赤犬殿」
「なんじゃ」
「部下が怯えていますので、何か問題をお抱えなら早急に対処したほうがよろしいかと」

急を要する書類の決裁を取るべく回ってきた青雉の文官が赤犬に進言する。大将相手にも動じない男だというのは知っていたがそれが赤犬にも適用されるとは誰も思っておらず、部屋遣えになっている赤犬の部下が動揺しモップを落とした。

「その生意気な態度はお前の上司だけにしちょけよ」
准将が、恐れ多くも書類の手伝いを申し出てくださいまして」
「……」
「今は私どもの部屋で一人作業されています」
「貸しを作ったと思うなよ」
「まさか。むしろ日頃のお詫びです」

わざとらしく肩をすくめた文官は決裁を受けた書類を大切そうに受け取り部屋をあとにした。なるほど青雉の部下として長いだけのことはある。

湯呑に残る濃煎茶を飲み干し、渡されたメモに記載のある部屋へと向かう。



「……お疲れ様です。サカズキ大将」
「貴様、いつまで拗ね続けるつもりじゃ」
「少なくとも君がそう言い続ける間は」
「あ゙?」
「自分に非があるかも、とは思わないんだろう」
「………」

と話すとき、サカズキの体感時間は普段よりも長くなる。と言う男は言葉をとても大切にする人間で、すぐに答えをだそうとはしなかった。物事の答えには必ず理由を添えるし、相手の言葉は最後まで聞く。速戦即決を好むサカズキとはあまりにも異なる点が多いのに、ここまで縁を切らず、むしろ切れぬようにしてきた事の意味など考えたこともないのは当人たちくらいだろう。

「サカズキ、子供の言葉だ」
「なら尚更じゃろうが。矯正は早いうちにするのが簡単じゃ」
「"矯正"で無理に正したって歪むだけだよ。本人が気付かないと意味がない」
「気付かなければ悪が蔓延るだけじゃ」
「その時は僕達が粛清する」
「………」
「そのための僕達だ」

棚の上にある箱を取ろうと腕を伸ばす。サカズキが横に並びより先に箱を手に取り机へ置いた。

「ありがとう」
「お前一人でできる作業じゃなかろうが」
「あとでもう一人来るよ」

そのもう一人からがここにいると聞いたのだがそれは言わないでおいた。お膳立てされた恩を仇で返すわけにはいかない。

「サカズキ、今回の件で君と和解できる気はしない」
「………」
「ただいつまでも君と満足に話ができないのは僕だって困るんだ」
「さっさと条件を言え」
「せっかちだな」
「わかってるじゃろうがワシは──」
「わかってるよ、ありがとう。でもそれこそ、あの子には関係ない話だろう」

の右手がサカズキの肩を叩く。
サカズキはなんとか自分の中でぶり返す怒りを抑えるようにの小さな左肩に額を乗せた。





こんにちは。
この間は怖い思いをさせてごめんね。今日はごめんなさいを言いに来たんだ。本当は本人が来ないといけないんだけど、あのおじさんは今悪い海賊を倒すのに忙しくて僕が変わりに来た。今の僕は海軍で大した仕事ができないからね。
ん?あぁこれね。僕の左腕は海賊との戦いで落とされたんだ。でも死にそうになっていた僕に応急処置を施してくれたのも海賊だ。
海軍も海賊も同じでいいやつも悪いやつもいる。だからどうか先入観に囚われないで──君は君自身が見たものを信じればいいからね。



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