忘れないでね酷い人

指先から、ぽたりぽたりと血が落ちる。
痛む心など持ち合わせていないから床に転がる同僚を見ても何も思わない。まだ息はあるらしいが、別に顔を見られた訳ではないのだからわざわざトドメを刺す必要はないだろう。

「いかん、靴に血がついた」

靴音が鳴ってしまうから返り血には気をつけていたというのに。いくらか鈍っている事に気を引き締めながら血のついた靴は目的地へと向ける。

ガレーラカンパニーの社長でありウォーターセブンの市長はいつもの輝かしさも威厳もなく、ボロ雑巾のように床に転がる始末だ。情けないものだと仮面の下でため息をついた。



顔を晒した時のあの、絶望でも知ったような顔には更に嫌悪した。が死んだと知らされた、あの時誰かも同じ顔をしていたから。

「カク?」
「何でもない」

呼吸に乱れが生じたのか、カリファに声をかけられる。何でもないふりして肺の奥まで酸素を取り込めば、今の今まで頭に浮かんでいたあの顔も吐き出した息とともにまた鳴りを潜めた。
なんてことない。ただ久々の血の赤に気が高ぶっているだけだ。



だというのに。




「あ、アイスバーグ…さん……?」




聞き慣れた声が、この空間にはひどく不釣り合いな声が、小さいながらもしっかりと耳が拾いあげた。
もう何年も味わったことのない冷えびえとした感覚が足を伝う。


……?」

誰よりも先に名前を呼んだのは、アイスバーグだった。

声を封じられたかのように、乾いた呼吸の音だけがカクの舌の上を転がる。今名前を呼べなかったせいで、これから一生悔いが残るようなそんな“不快”な思いが胸を埋め尽くしたのに、それでも声は出なかった。

「誰かと思えば、ただの腑抜けた出来損ない一人か」

鼻で笑うルッチが何でもないように嘲りながらも右足の爪先をへ向けた。それに気付いた他の面々も、未だかつてない警戒心をあの男に、人も殺せぬような腑抜けた男に向けるのだ。

「共に日々……船作りに明け暮れた仲間だ。俺たちは」
「……」
「5年だぞ」

そう、5年。この5年はカクにとってあまりにも厳しい5年だった。感情を殺せと、何度自分自身に叱咤したことか。

「それを、何だよ……ッ」

首をもたげているため表情までは分からないが、震える肩と握った拳を見ればそれで十分だ。つくづく、元CP9とは思えない軟弱者になってしまったものだ。まだ何か言いたげに息を吸うが、それは喉の震えを際立たせるだけで何も言葉にならなかった。
廊下に転がる死体や怪我人に触れたのであろう血のついた両手はゆっくりと開かれる。


「まずはその手をどけろ」
「ッ!?」

底冷えする声の主は的確にカクの肋骨を狙う。肋骨は折れやすく、肺を傷つけるのを恐れて人は動けなくなる。そうやって相手を戦闘不能にするのだと昔言っていた。だから、すぐに避けた。体が覚えていたから。

「……、貴様いつから思い出していた?」
「アイスバーグさん、大丈夫ですか」

ルッチの声など聞こえていないかのように無視をしてアイスバーグの体に手を這わせる。
荒い息を上げながら応答するアイスバーグに僅かに安心したように息を吐いて、そっとベッド側にもたれ掛けさせる。

「ひどいよな。お世話になった人に、ここまでするのかお前達は」
「“世話になった”だと?潜入任務だ。むしろこちらが仕事を手伝ってやったくらいだろう」
「あぁ、あぁ…、全く、俺はお前のそういうところが昔から」

大嫌いなんだ。

目の前から姿を消していた。どこからか聞こえる声だけがカクの脳を揺さぶって離さない。動揺している隙きを突かれ、頭部めがけ蹴りを入れられる。

「んぅ…ッ」

両腕で庇い頭へのダメージは防いだが、骨が弛むのではと思うほどの衝撃は今までの手合わせがにとっていかに手を抜いたものだったかを知らしめた。

「ワシも、お前が嫌いじゃ…!」

こんな実力がありながら、何故傍にいてくれない!

「………俺は、カクの事は好きだったよ」
「───ッ、」




救いようのない莫迦者だ。









もしもあの後、麦わらたちが部屋に押し入って来なければ、何かを繋ぎ止めるための言葉を言えただろうか。
もしもあの時、なりふり構わずに本心を伝えられたらあるいは───

様々なイフを浮かべては、との最後の会話を思い出す。


「CP9時代の“同僚ごっこ”でも、俺は楽しかったんだよ。カク」
「……ッ、
「楽しかったんだよ。もう二度と会わないだろうけど」

泣きそうな顔をしていたのはだけ、だったろうか。



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