自分がない男だった。
掲げる正義や信念もない。
正義側の人間とは思えない男だった。
「意思がないから、人の指図を受けられる海軍に入った」
自己紹介でそう述べただけあって、彼は本当に自分の意見というものを述べなかった。自分のない彼を周りはノーマン(no own man)と陰で呼んだ。
だからこそ皆が嫌がるドレークの同室に
・
が据えられたのだ。自他ともに厳しいドレークの部屋はきちんと整えられ、娯楽の品一つない。そんな共同部屋へやってきた
は両腕で抱えられるサイズの段ボール一つだけしか持っていなかった。
「……荷物が少なくないか」
「欲しいっていうからあげた」
大部屋から一足早く二人部屋へ移れるのだから御慈悲を寄越せ、などと海賊のような言いがかりをつけてきた同室の海兵たちにあれこれ持っていかれたらしい。
ドレークとの同室はごめんだと断ったのは自分達だと言うのになんて輩だ、とドレークは憤ったが当の本人はまるで他人事のようにまあまあと両手を向ける。
「別に最低限必要なものは残してたから構わないよ。あぁ二段ベッドなのか。君はどっちを使いたい?」
「お前が好きな方を選べ」
「…………。君、名前は?」
「同期の名前も把握していないのか。X・ドレークだ」
「そうか。あぁベッドね、ドレークが選ばなかった方を使うよ」
予想通り
がベッドを指定することはなかった。大部屋連中の自己主張の強さに押されているだけと思ったがそうでもないらしい。その後も頑として
に選ばせようと待っていると、弾かれたように部屋を出ていってしまった。
「流石に気を悪くしたか」
一人きりになった部屋でぽつりと呟く。ほんの数分自分以外の人間がいただけなのに、心なしか部屋がいやに無機質に思えた。───律儀に一人分開けたスペースやきっちり補充した備品など、ドレークがこの日をずっと意識していた事など本人すら知らないことだ───
手持ちぶさたになって、机に手をついてたままぼんやりしていると控えめなノックか二回聞こえた。
「前の部屋の奴等に聞いてきた。半数以上の奴が下を選ぶと言っていたから、下でいいか?」
「…………好きにしろ」
「わかった」
ひょっこりと顔を出した
はドレークの心中など知るはずもなく、そのまま運んできた荷物を二段ベッドの上へ持ち運ぶ。
「おい、下を選んだんじゃないのか」
「ん?いや、お前が下でいいかと聞いたんだ」
上がいいなら代わる、と言葉を続けた男にドレークが肩を落とし額に手を当てたのは無理もない。周囲に呼ばれているあだ名が、ふと頭をよぎった。
***
「ドレーク、風呂に行かないのか」
「今は人が多いだろう」
「あぁ。でも今いかないと長くは浸かれなくなるぞ」
「構わない。先に行け」
「分かった」
先に行け、と言えば
は机に置かれた道具を持って一人風呂場へと向かう。そしてドレークは人が戻りだした頃を見計らい、部屋の電気を消して一人遠回りをしながら風呂場へと足を運んだ。別に湯船に浸からなくても構わない。必要最低限を済ませればそれでいいのだから。人通りの少ない静かな廊下は冷えこんでいるが、足早に風呂場へ行くことは許さなかった。
「ドレーク、風呂に行かないのか」
「……今は人が多いだろう。何回言わせるんだ」
毎日毎日、入浴の時間になると
は一度時計を見てからドレークにそう問う。聞く前にさっさと風呂場へ行けばいいのに、もはやお決まりの挨拶とでも言うように毎晩繰り返す。
「ドレーク、風呂に行かないのか」
「……不毛だと思わないのか」
「何がだ」
「この会話だ。毎日答えが分かってるのに」
その日は強い雨が降っていて、そのせいで空気も冷え、部屋のなかは肌寒く薄暗い。こういう日はどうも癒えたはずの傷が痛んで仕方がなかった。だからつい当たりも強くなった。
は何か考え込むように首をもたげて立ち尽くしている。両手はだらりと下がったままだ。
「…………今日はすごく寒いな」
「は?」
「明日から休みだから、ほとんどの奴等が陸に上がってんだ。知ってたか?」
「……いや」
知らなかった。いや、関心がないのだ。
周囲の人間が何をしていようとも自分に害をなさない限り、自分のテリトリーに踏み込まれない限り関係がないから。
「それで、ドレーク、風呂に行かないのか」
「……、その発言は、まさかおれを風呂へ誘っているのか」
これが勘違いなら自害したくなる恥ずかしさだが、幸い笑われることも否定されることもなかった。ただドレークが入浴のための支度をし始めた辺りからずっとそわそわと桶の中身をいじって待っていた。
その日以降、
の『風呂に行かないのか』はなくなった。
***
肩を並べて風呂へと向かうようになってからだいたい200日目の夜。
「ドレークはすごいな。もう将校か」
「悪魔の実があれば誰だってそうなる」
「そうなのか。俺にはお前の出世速度はかなり優秀だと思うが」
今更体中に残る傷跡を見られることに抵抗もないが、珍しく光の宿った目を向けられては小恥ずかしくて顔を背けてしまう。
「お前もすぐ上がってくるだろう」
「どうだろう。昇任には興味がない」
「なら上がってこい」
「えぇ……」
「おれの後ろにいるためにもさっさとここまで来い」
自分がない男はドレークがそう言うならと首を左に傾けた。意思はなくとも嘘をつくこともない男は、その後ドレークの“指示”に従うようにどんどんと階級をあげた。ドレークにとって最大の転機が訪れる頃には大佐として部下も抱えている程に。
「……」
昔、二人で使っていた部屋は今では
が一人で使っている。将校なんだからもっといい場所へも移れるのに、相も変わらずこだわりのない男は一番人気の無いボロ公舎に居ついていた。
「お、ドレーク?」
「邪魔するぞ」
外は騒がしかったのは、そんなボロ公舎に似つくかわしくない海軍将校がやってきたからだ。それも単身で。
「忘れ物でも取りに来たのか?」
「何年前の話だ」
「でもほら、お前が置いてったのまだ取っておいてあるぞ」
「…………」
ため息をこぼす。そんなもの、さっさと捨てるか取りに来いと言えば良かったのに。
「それで、今日はどうしたんだ。あ、コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「いや、すぐ立つから構わない」
そうは言いながらも何を口にするでもなく家の中の物を眺め時間を浪費するドレークに、
の方から話すよう促せればいいのだが、相も変わらず自分がないノーマンはドレークが動き出すまでぼんやりとした様子で椅子に座り動かない。
「…………おれは」
「うん」
ようやく三文字絞り出したところでまた何も言えなくなった。早く言えと急かしてほしいような、このまま準備できるまで黙って待っててほしいような。当然この男は後者なのだけれど。
「…………おれは、ここを離れる」
「海軍本部を?それとも、海軍を?」
「………………」
「そうか」
それっきり、
は何も言わない。ただ黙って部屋の隅に置かれた観葉植物をぼんやりと眺めている。あれは確か、同期がいらなくなったからと持ち込んだやつだ。
「それを言いに来ただけだ」
居心地が悪くなって部屋を出た。期間で言えばそれほど長くはなかった友人だが、もう会うこともないだろうと思うと、どうしてなのか最後に顔を、見ておきたかったのだ。
***
「船長、こちらに向かってだれかがやって来ます」
「なんだと?」
これは謂わば密航だ。人に見られる訳にはいかない。事情を知らない者なら尚更だ。
「ゴム弾でも電気でもいい。今のうちに気絶させろ」
「了解しま──」
途絶えた部下の声を不審に思って振り替える。そこにはぐったりとした部下と、それを支える不審な男
「……
、か?」
男は返事をするように、甲板に部下を寝かせ顔を上げた。フードの下にある感情の読めない顔にふと血の気が引いた。
「お前、何故ここが、何をしに……」
「ん?」
欲しい答えを寄越さないままその足だけがドレークの方へと向けられる。少しずつ詰められる距離に適切な思考が追い付かない。殺した方が、いいのだろうか。いや、この男なら黙っていろと言えば簡単に───
「俺、本当に何でもいいんだよ」
「は?」
「周りがどうしようとどうでもいいし、周りが俺に何か求めるなら従ってやる。“ノーマン”とは上手いこと言うなぁて思ってる」
掲げる正義や信念もない。
正義側の人間とは思えない男だった。
そんな男が今はドレークの制止も聞かずこちらへ歩を進めている。
「でも今は、行くなと言いたいし、それが無理なら連れてけと思っている」
「…………は」
「だってお前、俺がいないと寂しいだろ?」
「………そ、んな、こと、……っ」
全くこの男は、正義側の人間とは思えなかった。
定義を問う
「無理にでも乗り込むつもりなんだが、いいだろうか?」
「ハァ……ここに来て選択権を委ねるな」
「なら、これからもよろしくな」
初めて見るような喜色を浮かべた笑みを見て、追い出そうと言う気持ちそのものが削がれてしまった。
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