「エース」
背後からの声にエースは隠れてため息をついた。この広いモビーディック号で、あえて生活リズムをずらしているというのに何故こうも見つかってしまうのか。
「エースってば」
「なんだよしつけェな」
睨み付けて罵倒してもまるで気にせず、両手に持った医療道具を掲げおいでおいでと手招きをする。
「入れ墨、彫ったばかりだろ?軟膏塗るから来い」
「いらねェ」
「折角立派なドクロを入れてやったんだ。綺麗な状態で背負いたいだろう」
「俺の機嫌をとろうとするな。本音を言え」
「……それはオヤジの“顔”だ。歪ませたり褪せたもんにしたら許さねェ」
だからきちんとケアをしろ。もしくはさせろ。船内でも容赦なく殺気立たせ歩み寄ってくるのだから白ひげ海賊団として加わった当初はこの男にはいつまでも警戒を解けないでいた。流石に今となっては味方を傷付けるような男ではないことくらい分かったが、今までとは違う意味で、近付きたくない。
「ほら、シャワーいくぞ。お前は直接当てるから俺が流してやる」
「はぁ!?ふざけんな一人でいい!」
「今更照れんなよ。俺に組み敷かれて、喘いだ仲だろ…?」
「バッ……!紛らわしい言い方すんじゃねェッ!」
墨を入れるこそばゆさについ声を洩らしてしまった事をいまだに揶揄われるのだ。他の家族達もそれに同調して笑ってくるのだから腹立たしい。
「くそ…っ」
入れ墨を彫ると決意した時にはめられた海楼石のブレスレットさえなければ、お前なんか燃やしてやるのに!と顔を赤くして吠えたって本人はどこ吹く風。さっさと行くぞと前を歩いていった。
この気色悪い男の手のひらで転がされる感じが嫌だから、近付きたくないのだ。
***
「こらエース」
今日の担当は甲板掃除だ。いまだ雑務から逃れられるような立場にない以上、仕事はきちんとこなしている。よって、今は『こら』などという小言を聞くはずはないのだが。
「……何すんだ」
「上着を着ろと何度も言ってンだろ。物覚えが悪いのか反抗的なのかどっちだ、ァア゛?」
「俺だっていらねぇって何度も言ってる!」
「お前の事なんざ知るかッ入れ墨の色が褪せるから言ってンだッ!」
投げつけられたパーカーに頭からすっぽり覆われる。少しだけ
の匂いがして頭がカッとなった。パーカーを着ただけでこれだけ体温が上昇するのならやはり上裸でいい。
「少しむくんでるなァ。冷やすもん持ってくるからここにいろよ」
「言われなくたって掃除終わるまでここにいるっつーの」
「はいはい」
今日の
は休みだったはずだ。それでもこうして経過を診にくるのはけしてエースのためを思っているからではなく、あれが彫り師で入れ墨大好き男だからだ。現に次の島の偵察から帰って来たマルコを見つけては駆け寄って胸元のタトゥーをペタペタと触り満足げに頬を赤らめている。
そんな男に手に持っていたたわしを投げつけたのは、これは、待ってろと言っておきながら、寄り道してるのが腹立たしいからだ。
「何カッカしてんだよい」
「別になんでもねェさ」
ブーイングサインをキメた
が目的を思いだして船内に消えていくのを確認して、マルコはにやけた顔をそのままエースに声をかける。
「
は俺の“入れ墨”にしか興味ねェから、安心しろよい」
「安心しろって、何の事だよ」
にたりと笑うマルコが口を開いたのと同時に、遠くから罵声が響く。袋を破く勢いで氷嚢が投げられたのを片手で受け止めると、飛んできた先では先程同様苛立たしげな顔をした
が大股で向かってくる。
「バカタレ日光に背を向けんな殺すぞ折角貸してやったんだパーカーを着ろッ!」
「嫌だね!こんなお前の匂いが染み付いてんの着たら気が狂っちまう」
「安心しろもうだいぶイってるからよ」
「オメーにゃ言われたくねぇッ!」
「そんなに俺のが嫌ならマルコから借りろ!おら脱げッ!」
「おい
勝手に俺を巻き込むなよい」
二人の喧嘩が三人の抗争になると流石にやかましいと遠くからグラグラされ甲板の手すりまで三人仲良く吹っ飛ばされた。
「だってエースが」という抗議の声も、「口やかましく言わなくともお前の作品はそんなヤワじゃねェだろう」と言われれば途端に信仰深くオヤジ……と言って大人しくなり、その場は丸く収まった。
もう誰の目にも止まらずに船の端に置き捨てられたパーカーを拾い、致し方なく着たエースを、遠巻きに甲板掃除をしていた仲間たちだけが見ていた。
***
「よしよし、綺麗だぜ」
「……そーかよ」
しっとりした声に官能的な手つきで背中を撫でられ、口説くような事を言うのだからこれが女であれば勘違いしてしまいそうなものだが、結局男が見ているのは背中の入れ墨だけだ。
「お前はこれから一生、オヤジの入れ墨を背負って生きていくんだ。忘れんなよ」
「へいへい、その度に『
が手掛けた』入れ墨だと思い出す羽目になるんだろうなァ嫌気がさすぜ」
「なんだ。そんなのはさっさと忘れちまえ。入れ墨が手前の物になったなら彫り師はお役御免だ」
「……」
エースはこの気色悪い男の手のひらで転がされる感じが嫌で、近付きたくないのだ。
散々手のひらで転がしておいて、こちらが手を伸ばせばしれっと離してしまうこの手が、大嫌いなのだ。
「もう俺が何かすることもねェしな。海楼石、とっていいぞ」
返せと言わんばかりに手を伸ばされる。この二週間ずっと力が入らないしだるいしで、ようやく解放されるのは喜ばしい。手放しに喜べるはずなのだ。なのに。
「エース?」
「返したくねぇ」
「ハァ?」
ブレスレットを返して、体を炎にしてみせればそれでもう作業はお仕舞いだ。また有名な彫り師は船内どころか海中を駆け回るのだろう。この二週間のように悪口を言い合うようなことはもうできなくなる。何故だかそれがとても嫌で、腹立たしかった。
「気に入ってんだ。返したくねぇな」
「ふーん」
それだけを返す男の顔が見られなくてタトゥーだらけの足に視線を向けるが、その足が一歩こちらに近付いてきてつられて後ろへ下がる。
「アクセサリーといっても能力者が海楼石持ってちゃご法度だろ。代わりに似たコレをやろう」
手首を浚われするりと何かが嵌められる。煽るように撫でられた手を振り払い手首を見ると、それは所々剥げた金色のブレスレットで、いつも
の左手首を陣取っていたものだった。
「……いいのかよ」
「あァいいぜ。それに」
お前が本当に『返したくねぇ』のは、俺だろ?
愛を彫る
耳からぽそりと入り込んでくる墨のような言葉に途端に体温が上昇し人体発火。
こうなったのもこの男が海楼石を取り上げたからだ!
散々人を手のひらで転がした男はやはり楽しそうに笑ってエースのリアクションを楽しんでいるのだった。
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