意思の不疎通
もはや海軍本部名物となっている光景に偶然居合わせたスモーカーはため息をついた。

「クザン大将!今日は書類をやる約束でしょう!?」
「いやいや、気分転換に軽く出掛けるだけだって」
「『軽く』島の外まで散歩する奴があるかッ!」

上官の腕に巻き付いて不敬な言葉で詰る部下をまるで気にも止めずズルズルと引きずりながら外へと向かうのは、海軍の最高戦力である大将青雉だ。
副官であるはあの仰々しいコートを着ていない外出にろくな事がないと必死にしがみつくのだが、筋力も体幹も、ましてや身長も青雉の半分しかないのだから当然勝てるわけがない。

「サカズキ大将の部下から何度もつつかれてる書類があるんですよ!」
「あー、あれだ。ほら……まぁいいや」
「よくねぇッ!」


さん」
「……!おぉたしぎ、スモーカー准将も」

がっちりホールドしていた両腕を離して敬礼のポーズを取る。突然体から重みがなくなったクザンは晴れて自由の身になったわけだが、少しつまらなそうな顔で部下たちを見下ろす。

「あら、本部に顔出すなんて久し振りじゃねェの」
「どうしても上からのサインが必要な書類なんで」
「どうしても?」
「どうしても」

なら仕方ねェとため息をついて胸ポケットから取り出した簡易的な万年筆には思わず開いた口が塞がらない。しれっと二枚目の書類をたしぎから受け取りそれにもサインをさせるのを見て今度は泣きそうな顔さえしてる。

さん、大丈夫?」
「あぁいや、なんか目から鱗というかスモーカー准将すごいなぁと思って」
「あァ?」

たしぎと同期でありながら海軍大将補佐までの出世を遂げた男からの称賛など嫌味かとねめつけたが、あまりに真っ直ぐな目で見てくるものだから居心地が悪くて目をそらした。

「いいなぁ、俺もたしぎみたくスモーカーさんの元で働きたいよ」
「あらら、それ俺の前で言うかね普通」


「効率よく仕事してくれる人が大好きなんです」

おそらくこの時からだ。がおかしく(青雉目線)なったのは。


   ***

「クザン大将ぉ!」
「分ァかった分かった」

それからも『名物』は幾度となく繰り返された。流石に3日連続で執務室から逃げ出した事にひどくご立腹の副官に全力で足を踏まれては逃げることも敵わない。
最初からその作戦に出ればいいのに、上官の足を踏むなんて行為はやはり気が咎めるのだろうかと真面目な部下の頭をぽんと叩いて踵を返した。

「この山がクザン大将直筆でお願いされた書類です」
「おー……」
「こっちは判だけ押してくださればいいです。中身は全て承認できるものでした」
「……」
「こちらは承認不可のもの。一つ一つ付箋で不許可理由が書いてあるので書き写してください」
「あらら、お前さん、いつの間にここまで仕分けてたの?」
「あんたがふらふら出歩いてる時だよ」
「………」
「……失礼しました」
「あー、いやいいんだけどね今更」

自分には勿体無いくらいよく出来た部下だと頭の中で称賛していたくらいだ。至極全うな罵倒を食らったくらいで今更怒るわけがないのだが、まだそこまでは分からないらしい。

「仕方ねぇ。久々に頑張りますか」
「他の二人は毎日頑張ってくれてると思うんですけどね……」

あの二人についた副官が羨ましいと言わんばかりにため息をつかれて、クザンは足の小指程には申し訳ない気持ちになった。


   ***

「…………ふぅ」

執務室の扉の前で大きく息を吐く。結局あの日、片付けても片付けても消えてはくれない白紙の山に嫌気が指して『気晴らし』に出てしまったのだ。少ししたら戻るつもりだった。本当だ。しかし途中で海賊船と遭遇してしまったばっかりに、ちゃんと仕事をしてしまったばっかりに、捕縛した海賊達の処理に追われその日は本部まで戻ることができなかった。

「アァー、流石にあいつも怒ってるだろうなァ」

立ち寄った島の名産と言われるコーヒー豆を持ってきたのはに機嫌を直して欲しいからなのだが、偶然鉢合わせたボルサリーノには「別に怒っちゃいなかったよォ」と言われた。はて、自分でいうのもなんだがあれだけ言われた仕事を放棄して怒らないものがいようか。


「あー……?」

恐る恐る開けたドアの向こうには、意外にも誰もいなかった。

「あれま。どこか行ってるのかね」

気掛かりだった机の上の山は全てなくなって、あまり使われないペン立てだけがひっそりと置かれたなんとも侘しいものになっている。

「どこ行ったんだ?」

小言を言われるにしてもいつもの出迎えがないことに僅かながら違和感を覚えて、取り敢えずクザン用に宛がわれた大きな椅子に腰かける。

「あれ、クザン大将」
「お、おぉ……」

噂をすればとはまさにこのことだ。何言われるかと身構えたが、はまず手元の紙袋に目が行ったらしく、遠巻きに珍しく上官が持ち込んだ荷物を観察している。

「あー…。コーヒーだ。この間行った島の名産品らしくて」
「うわぁ、これで美味しいコーヒーが飲めますね!ありがとうございます」
「ん」
「大将も飲まれますか?」
「あー、お願いしようかな」

にこりと笑ってコーヒーを入れるため部屋を出ていったはいつもどおりを通り越して不気味なくらいに親切だった。配属当初のような態度が気にならなくもないが、まぁ怒ってないならよしとしよう。

「はいどうぞ」
「ありがと」

コーヒーとお茶請け用のビスコイト。その横にはファイルに入れられた書類が置かれた。

「これは?」
「大将が外出中に降りてきたものです。どれも重要な案件ですから、コーヒー飲みながらでもきちんと目を通してからサインをお願いします」
「あー、その、なんだ」
「ん?」
「……少なくない?」
「いえ別に」

にっこりと笑ったはそれ以上何も言わず自身の秘書室へ引っ込んでしまった。いつもならここでクザンを見張りながら書類を捌くと言うのに。

「やっぱ怒ってんのか?」

誰もいない部屋では返事をするものもいない。



その翌日も、幾日後も、クザンの手元に回ってくる書類は少なかった。数枚ならばとその場で斜め読みしてサインをする。受け取ったはお礼を言って提出しに向かう。一人残されたクザンは手持ち無沙汰になって『お散歩』に出る。淡々とした日が繰り返され、最初は小煩いのがいなくなったと喜んだものの、最近はただ面白くないと顔をしかめた。

「なぁ
「はい。どうしましたか」
「やっぱおかしいでしょうよ」
「……そこはもっと喜ばれる所では?」

大嫌いな執務が減ったんですよ。差し出されたコーヒーは煮詰まっていないから、この間のお土産をわざわざ挽いてくれたのだろう。嫌味も嫌がらせもない、普段と同じ親切で気の回る部下のままだ。

「……
「うわっ」
「…………」

大将青雉は頭の切れる方だ。海賊達の考えることなど容易に想像ができるし、大将達からどう逃げるかだって然程悩まない。だというのにこの部下の考えてることが分からず、仕舞いにはこうして襟を手繰り寄せ尋問紛いの手に出ているのが自分でも分からない。

「それにその目の隈はなに」

白状しなさいや、追い詰める声には無意識のうちに圧がかかり降参と言いたげに副官から力が抜けた。

「大将に仕事してもらうよう頑張るより、俺が頑張った方が効率が良いことに気付いたんですよ」

取り出したメモにさらさらと書かれたのはクザンのサインだった。

「筆跡を真似て、重要度の低いものには俺がサインしてました。あと判だけの書類も」
「お前ねェ……」
「いやいや!勿論人のサインを悪用したりしてませんよ!どうせ俺が仕分けて大将が見もせずサインするだけなら俺がやっても同じかなと思って!」
「そうじゃなくて……いや確かにサカズキ辺りにバレたらマズいが」
「?」
「一人で頑張ることないでしょうや」

目の下の隈をなぞる。全てを氷結させ停止させる手だというのにその男は少しも動揺を見せず言葉の意味を探るようにこちらを見つめている。

「頼まれりゃ、俺だってちゃァんと仕事するさ」
「クザン大将……」
「………」


「大丈夫です!今までみたく大将に仕事しろとまとわりつくのより、今のがずっと楽なので!!」
「…………は?」

文官として腹くくって頑張りますから!とは殊勝な心がけだが、残念ながらクザンの意図は伝わっていないらしい。

「スモーカー准将も『あのサボり癖は今更治らねぇ諦めろ』と言ってたし、これからは外の仕事さえ頑張ってくれればそれで!」

ぎゅっと顔に力を入れて目力を強くしたのはスモーカーの真似だろう。声まで低くして、若干似ているものだから彼の変な器用さには驚かされる。
隠し事を打ち明けたからか、一人清々しい顔をしたは敬礼をしてまた部屋へと戻っていった。書類は山のようにあるらしい。

「スモーカー…に、相談したのか……」

これは完全な八つ当たり、ひどい飛び火である。



「何ですか全くッ!散歩行くでもなく暇そうについてくるなら手伝えッ!こっちはあんたのせいで目が回るほど忙しいんですよッ!」
「そうそうやっぱそうでなくちゃ」

二ヶ月ぶりに聞く文官の怒号にクザンはやたら嬉しそうだが、スモーカーはただあの男に仕える副官に同情した。今度飯にでも連れ出してやろう。

さんずっとつまらなそうに仕事してたから、また楽しそうで何よりですね!」
「…………どこがだ」

上官相手に叱りつけている男のどこが楽しそうに見えるのかは謎だが、同期のよしみか、何か確信を持ったようにたしぎは明るく返事をするのみだった。



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