胸の痛みは消えていた

「スモーカー中将、西の海岸は制圧しました」
<分かった。班の状況は>
「負傷者は3名、打撲や切り傷による軽傷者が7名、あとの者は問題ありません」

電伝虫の受話器から大きく煙を吐く上司の息づかいが聞こえる。咥えられた二本の葉巻も戦いで僅かに乱れた髪型も、緩むことのない眉間の皺もこの吐息一つでくっきりと思い浮かんでしまうのが、短くはない付き合いを感じて恐ろしい。

<で、お前は>
「……は、左腕の全腕骨を損傷。回復まで3時間程かと」
<それは負傷者に入るだろ、馬鹿が>
「やはり完治まで30分です」

今ある体力をすべて右腕に注ぐ。体内で骨がぎちぎちと音をたて形を成し、真っ青に晴れ上がった皮膚の熱が下がっていく感覚に安堵する。
大丈夫、俺はまだ戦える。

「すぐ前線に復帰します」

電伝虫にそう伝えたが反応はなく、いつの間にか通信は切られていた。

「あぁ……」

胸が痛い。意味はないのに、回復した左腕でぐっと心臓の辺りを掴んだ。痛みは消えない。



<通達、掃討完了 船に帰艦せよォ 繰り返す、掃討完了 船に帰艦せよォ>

作戦終了の合図を聞いて船に戻る。捕らえた海賊はインペルダウンで働かせる為殺してはならず、致し方なく縄に縛って応援を呼んだ。俺一人ではゴロツキ集団を船まで引っ張っていくことはできないのだ。

「運ぶことより捕らえる方がよほど大変なことだぜちゃん」

そういって部下の人たちが励ましてくれるのは嬉しいけれど、むしろ気を使わせてしまっているようで申し訳無い。

「先程もスモーカー中将に呆れられました。折角西区を任せてもらったのに」
「あの人が呆れる?なんかの勘違いじゃねぇか?」
「いえ、指揮を取る立場である俺が負傷したんですから、呆れられて当然です」

通信越しに聞いた先程のため息がまた頭のなかでもくもくとふくれあがる。少しは落ち着いたはずの胸の痛みがまた復活してしまった。俺の能力もこの痛みは消してはくれない。

「なぁちゃん、ずっと気になってたんだが、なんでアンタはいつも寂しそうなんだ?」
「寂しそう?俺が?一体───」

伏せてッ!
自分の声をもかきけす叫び声に、一同咄嗟に腰を落とし警戒体勢を取る。

「……!?」

目の前に突然現れた獣は、どう見ても自然のものではなく、おそらくキメラと呼ばれるものだろう。報告書では何回か目にしても、実物を見るのは初めてだ。

「デケェ…ッ!」

誰かの声でふと我に帰る。確かに大きいが、だからといって尻込みしていたら全滅する。

「走ってください。その海賊の誰かがこいつを使役しているはずです。そいつらに逃げられたら返って手間だ」
「おい!おれらにお前を置いてけって言うのかよッ!」
「違いますよ。その化け物はむしろ海賊の奪還を狙ってる。貴方たちのが危険です」

足止めは俺がする。
スモーカー中将の大切な部下は、俺の責任の下誰も失わせてはならない。そのためにドフラミンゴとの一件後俺がここに配属されたのだから。



   ***

「ーー、ぁー…」

意識が浮上してすぐ息をできるのかを確認した。どうやら体はまだ酸素が必要らしい。安心したのもつかの間、腹部からはそれこそ死にたくなるほど激痛が走り、無意味だとわかっていてもつい手元にあった軍帽を力強く投げつける。むしろ痛みが増した気がする。阿呆か俺は。
今の音で軍医がベッドの横へやって来て、献血袋の横にある透明の袋を持ち上げた。

「目が覚めたのか。今麻酔を──」
「結構です。すぐ治るので勿体無いですから」

そうは言ったものの右腕の骨折を治すのにかなりの体力を使ってしまったため能力の発動にはまだ時間がかかりそうだ。必死に強がっていると、ノックもなしにドアが開けられ、そこには鬼の形相のスモーカー中将と申し訳なさげなタシギ先輩が立っていた。

「モルヒネは打ったのか」
「いえ、勿体無いのでいいと言い張って……」

ただでさえ貴重な医療道具なのだから船員たちに使うべきだ。そう言いかけて身に降りかかる殺気にも似た気配に顔をあげた。

「……医者に打たせるか俺が刺すかどちらか選べ」

俺より顔を青くした医者が慌てて左腕に針を入れる。鎮痛剤なんて貴重なものを。少しずつ体内へ流れるモルヒネを見つめている間に室内には俺とスモーカー中将の二人になってしまっていた。


「……あの、西区に行った者たちはみな無事ですか?」
「……」
「スモーカー中将?」
「あぁ。捕らえた海賊も含め全員な」
「良かったです」

預かった部下を傷付けずにすんだのなら何よりだ。モルヒネが効いてきたのかさっきまで自己主張の強かった腹部も大人しくなっている。

「他に言いてぇことがあるんじゃねェのか」
「……は?その……?」

てっきりこの報告だけしに来たのだと思っていたのに、スモーカー中将は椅子に深く腰かけたまま動こうともせず、諌めるように俺を睨み付けている。何か言わなければ、でも何を?必死に頭を働かせてようやく答えを見つけた。

「わざわざ助けてくださってありがとうございました。お手数をおかけして申し訳ありません」

これだ。意識が暗転するなかで何者かが俺を抱えあげたことだけはうっすらと記憶にある。立場上見過ごせなかったスモーカー中将が助けてくださったんだ。間違いないと思ったのにスモーカー中将の顔はむしろ不機嫌さを増していた。

「違いましたか?申し訳ありません。何と言うべきか皆目検討がつきません」
「……本部の奴からはお前を評価する声が上がっている。最小限の犠牲で最大を救う働きだったと」


「俺でも役に立てましたか」
「……」
「タシギ先輩みたいに強くはないけど、ここにいてもいいですか?」
「出ていけなど一度も言った覚えはねぇ」
「えぇ。そう、ですね……」

もう言葉が出なくなって、緊迫したこの静けさから少しでも逃げるように顔を背け首を縮める。──動けない以上少しも逃げるとは言えないが──

「それに俺は納得してねェぞ」
「……」
「お前がいつまで外野を気取ってるつもりかしらねえが、生憎俺たちにとっちゃお前はもうこちらの身内なんでな。テメェの身を犠牲にするような弱ェやり方を易々とするんじゃねぇ」
「……っ」
「だが、上が評価し、多少の功労金が支払われたのは事実だ。ほしいものがあれば言え」
「……いえ、たった今頂きましたから」
「ア?」

痛み止はすっかり効いていて、怪我なんか、もう少しも痛みはしなかった。

「なら、買えるだけのお酒がいいです。皆さんと、呑みたいな、って」
「却下だ。あいつらが余計仕事をしなくなる」
「……」
「──が、翌日もサボらず仕事をすると約束すんなら構わねぇ」

閉まったドアの向こう側にそう呼び掛けると、待ってましたと言わんばかりの勢いでドアはバタンと開かれ、みんながなだれ込んできた。

「もちろんですよォ!」
「おい!誰か酒買ってこい」
「太っ腹だぜ!」
「腹に穴開けただけのこたァあるなッ!」

張りつめてた部屋は一気に騒がしくなった。それはもうここは海賊の集う場所だったかと見間違う程に。

「ウルセェぞテメェら!ここは怪我人の来る場所だぞ!」
「そういうスモやんだって十分うるせぇぜ~!」

「なぁ!」と話を振られてごまかすようににっこりと笑う。功労金なんか、お酒なんか別にほしくない。一番欲しかったものはもう十分もらっている。


「はい、スモーカー中将」
「皆やっとお前の歓迎会が開けると喜んでやがる。這ってでも参加しろよ」
「……。はい、ぜひ、そうさせていただきます」





電伝虫が緊急だと告げ、急ぎ西の海岸に馳せ参じたスモーカーが見たのは、汗と泥にまみれながら集合地点に到着した部下たちと、顔面蒼白で丘を指差す責任者代理の姿だった。
何があったかは聞かなくともこの場にあの男の姿がないのだから急ぐ理由などそれで十分だ。

「チィ……ッ」

そこにはまさしく刺し違える状態の彼がいた。牙に腹を突かれたが得意武器の銃剣をキメラの眉間に差し込んだ状態で微動だにしない。獣が息絶えているのを確認し煙の男はふわりと彼の傍らに行く。

「タシギ、大至急医療班を集めろ」

軍手を脱ぎ捨て触れた首筋はかろうじてトクトクと血が通っているが、およそ人の体温とはほど遠い冷たさはスモーカーをぞくりとさせる。

「死なせるつもりはねぇぞ……ッ」

彼が確かめたかったことは、本人の知らないところでとうに行われていたのだが、言葉足らずの二人が知るにはもう少し時間が必要だった。



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